同じ朝が来る

BACK NEXT TOP


(7)小指の告白




 夏休みに入り、すぐに夏期講習が始まった。

 志望大学を一応決めてはいるけど、まだ納得がいってなかったりもする。
「暑……」
 照りつける日差しが痛いくらいだ。予備校から出て、携帯を取り出すと着信が入っていた。……林からだ。何だろう。

『倉田? お前さ八月の最初の金曜ヒマ?』
「え、何だよ急に」
『お前、そこ予備校もバイトも休みだろ?』
「まあ、ヒマと言えばヒマかな」
『頼みがあるんだけどさ、一緒に遊園地付き合ってくれよ』
「え、嫌だよ、このくそ暑いのに」
『木下さん誘ったんだよ、俺』
「……」
『でさ、やっぱいきなり二人はどうかと思って、木下さんも友達誘ってもらったんだ。俺も倉田を連れてくからって言っちゃったんだよ』
「!」
『遊園地っても、ほらあの水族館のとこ。アトラクションはちょっとで水族館メインだから、涼しいって』
「……お前余裕じゃん、この時期に。俺受験勉強で忙しいんだよ。二人で行って来いよ」
 ちょっとだけ声が低くなる。何でよりによって俺なんだよ。
『ヒマっつっただろ、今。一日くらい勉強しなくたって変わんないって。頼むよ。な? 何か奢る!』
「他の奴に頼めばいいじゃん」
『皆空いてないんだよ。彼女持ちにも頼めないし。倉田なら、木下さんも知ってるしさ。つうか何で? 遊園地嫌いだったっけ? 水族館駄目?』
「いや駄目じゃないけど、そういうんじゃなくて」
『じゃあいいだろ? 木下さんも仲いい子と来るって言ってたしさ』
「誰?」
『えーと、何て言ったっけな。忘れた。俺は知らない子』
「お前な……」
『な、頼む!』
 結局、林の誘いを断れず、四人で水族館へ行く事になってしまった。俺、何やってんだよ。きっぱり断れない自分の優柔不断さに嫌気が差して、溜息を吐きながら携帯を閉じる。


 当日、大きな水族館前の待ち合わせ場所には、林と木下さん、そして彼女の友達が既に待っていた。
「ごめん、遅れて」
「おせーよ」
 口とは反対に林は嬉しそうだった。
「倉田くん」
 木下さんが俺に声をかける。
「同じクラスの、田辺さん」
 彼女に紹介された女の子、田辺さんはぺこりと頭を下げて俺を見た。
「あ、倉田です」
「田辺庸子ようこです。一日よろしくね」
 元気で明るそうな子だった。
「じゃ、行こうぜ」
 林に促されて、水族館へ入る。彼女達の後ろに周り、林が小さい声で俺に言った。
「ありがとな、倉田」
「いいよ。水族館好きだしさ。……二人で一緒に回れば?」
「え、あ……うん」
 林は少し照れた様に笑った。きっと、勇気出して誘ったんだろうな。そう思ったら、何も言えなかった。

 中は一瞬だけ薄暗く、大きな水槽の青さが浮かび上がって見えた。一斉に集団で泳ぎ出す魚や、ゆったりと泳いで行く大きな魚が目の前に現れる。冷房が効いた館内は、全てカーペットのようなものが敷かれていて足音も響かない。たくさんいる筈の人の声も、それほどうるさくは感じなかった。さっきまでの暑い空気と日差しと喧騒から遮断されて、別世界にいるような気分になる。

 さっき俺が言った様に、林は木下さんの傍に、俺は田辺さんと一緒に魚を見て回っていた。途中四人で見る事もあったけど。でも……いざこうなってみると、結構つらい。もし林と彼女が上手くいったら、こうして二人が一緒にいるのを目の当たりにしなきゃならないのか。林の口から彼女の話を聞くこともあるだろうし。それも結構キツイよな。

 館内の地下に降りていくと、珍しい魚がいる場所があって、そこは相当混雑していた。夏休みのせいか、小さい子どもから大人までが群がっている。
 気がつけば傍にいた筈の田辺さんがいない。周りを見ても人が多すぎてよくわからない。まずいな、はぐれた? 
 その時だった。Tシャツの裾を引っ張られ、振り向くと木下さんがいた。
「木下さん、どうしたの? 林は?」
「はぐれちゃったみたい。人が多くてわかんなくなっちゃったの。庸子も?」
「うん。でもまあ、携帯もあるし大丈夫だよ」
「圏外になってるの。ここ地下だからかな」
「……そっか。ま、いつか会えるって」
「そうだよね」
 俺の言葉に彼女が笑った。やっと彼女と向き合えた気がする。私服姿、ほんとはさっきから気になってたんだ。
「そういうカッコするんだ、普段」
「え、あ……これ? うん。変?」
「全然。思ってたよりもずっと良かったし。似合ってる」
「……どんなの、思ってたの?」
 彼女が上目遣いでこっちを見た。
「内緒」
 顔を逸らすと、さっきと同じように俺のTシャツの裾を引っ張る。それが可愛くて笑ってしまった。
「あ、絶対変なのだ! 教えて」
「変なのじゃないよ」
 ゆっくり歩き出す俺の隣で、彼女が小さな声で呟く。
「……倉田くんは、思ってた通りだったよ」
「……」
 また騒ぎ出しそうになる心臓を抑え込む。

 大きな水槽の前で彼女は立ち止まり、ガラスに手を当て、泳いで行く魚を目で追うわけでもなく、真っ直ぐ前を見て言った。
「倉田くん」
「何?」
「私、こんなことないかと思ってた」
「こんなこと?」
「うん。倉田くんとこうして、出かけること」
「……うん」
 彼女の手の横に、自分の手を並べる。
「やっぱ、小さい」
「え?」
「手」
 彼女を振り向き、その顔を見つめた。今俺、多分隠せてないよな。自分の気持ちが全部顔に出てる。彼女も俺を見上げて視線を合わせてきた。
「倉田くん」
「ん?」
「私ね、私……」

 彼女のいつもとは違う声に、その表情に胸が詰まる。
 ガラスに当てている二人の小指が一瞬触れた。……駄目だ。彼女が何か言う前に、言ってしまいそうだ。好きだって。その手を掴んで、ここから一緒に逃げ出したい。何も考えずにこのまま、ここから。

「……」
「……」

 動き出そうとしない二人の時間を、壊したい衝動に駆られながら、青い世界の中で彼女の名前を呼んだ。

「木下さん、俺」




BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2009 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-