同じ朝が来る

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(8)飲み込んだ言葉




 彼女の俺を見つめる瞳が一瞬だけ揺れた。ガラスに当てていない方の手を強く握り締める。

「俺……」

「倉田!」
柚枝ゆえ!」
 同時に名前を呼ばれ、元の世界へ引き戻された。声がした方へ振り向くと、林と田辺さんが少し離れた所からこっちを見ている。
「柚枝〜良かった! 会えないかと思ったよ。携帯圏外だし」
 田辺さんが駆け寄り、木下さんに抱きつく。木下さんは田辺さんの肩越しに俺をもう一度見て、すぐに目を伏せた。
「うん、ごめんね」
「……ね、柚枝、ちょっといい?」
 二人はトイレへ行くと言って、その場を離れて行ってしまった。

 駄目だな俺。やっぱりいざとなったら、もう我慢できそうにない。彼女に伝えてしまう前に、林にはっきり言おう。林から逃げないで、言わなきゃいけない。
 自販機の前で、紙コップに入ったコーヒーを手にした林の元へと近付く。

「林、あのさ、」
「倉田。俺、告るから」
 林が顔を上げて言った。
「え」
「やっぱ今日言おうと思う。木下さんに、好きだって」
「……」
「せっかく倉田も来てくれたんだしさ、頑張るよ俺」
「……そっか」
「どうなるかは、わかんないけど」
「……上手くいくといいな」
「おう! お前何飲む? 奢ってやるよ」
「なんで」
「今日のお礼」
「こんだけ?!」
「上手くいったら夕飯な!」
 林は嬉しそうに俺に笑顔を向けた。俺も笑って返すけど……行き場の無い飲み込んだ言葉が苦しかった。
 このタイミングで言うのはどうなんだよ。林がこれから告白するって言ってんのに。

 水族館から出ると、もう夕方だった。
 暑さもだいぶ和らいだから、アトラクションにいくつか乗る。魚を見た時と同じように、林と木下さんが前を歩き、その後ろを田辺さんと二人でついていく。

「ね、倉田くんてさ」
 田辺さんが、俺の腕を突っついた。
「なに?」
「何気に、女の子から人気あるの知ってる?」
「え? 何それ」
「聞いた事ない? 結構カッコイイって、いろんな子が言ってるよ?」
「そんなの全然聞いたことないよ。俺の方が詳しく教えて欲しいくらい」
 俺が溜息を吐いて口を尖らせると、田辺さんがクスクスと笑った。
「やっぱり自覚ないんだ。そういう所がいいんだよね、きっと」
「……」
 ほんとは嬉しい話なんだろうけど、どうしても前にいる彼女が気になってしょうがない。林と、何話してるんだろう。林の奴いつ告る気なんだよ。
 林と木下さんが上手くいったら、それはそれでいい。俺の気持ちを知らない方が、あいつだって彼女と堂々と付き合える。けど、もし林が上手くいかなかったら……実は俺も彼女を好きだった、なんて後から言うのは卑怯だ。ましてや、林に何も言わずに彼女に好きだと言ってしまったら、それこそ最低だよ俺。
 今までは彼女に好きだなんて言うつもりはなかったから、林にも黙っていられたけど……もう無理だ。

「倉田くんて、彼女いないの?」
「いたら林と二人で来ないって」
「だよね。そっか、そうだよね」
「……」
「でも二年の時はいたでしょ? 彼女」
「あー、うん」
 告白されて付き合ってみたけど、好きとかそういうんじゃないような気がして、彼女に悪くなってすぐに別れたんだっけ。
「……」
 前を歩く林の背中を見つめる。あいつもあれから俺に何も言わないし、第一ずっと一緒に行動してるんだから、まだ木下さんには告ってない筈だ。林に打ち明けるなら今しかない。
「どんな女の子が好きなの?」
「え?」
 まずい、全然話聞いてなかった。
「何?」
「えー、二回も言うの言いづらいなあ」
「ごめん、聞こえなかった」
 横を歩いていた田辺さんが、一歩前に出て顔を覗きこんで来た。
「だから……倉田くんは、どんな女の子が好きなの?」
 田辺さんの口調に、一瞬でその場を離れたくなった。何回か聞いた事があるこの台詞。その後に続く言葉は、たいてい決まっている。
 ……まさか、田辺さんなのか? 前に林が言っていた、俺を気に入っている三組の子って。それが本当だったら、それこそ取り返しがつかない。知っていたら今日絶対にここへは来なかった。まさか、だよな? 俺が今、勝手に勘違いしてるだけだよな?

「別に、特にないよ。行こう? あいつら結構前に進んで……」
 前に進もうとした時、もう一度腕を引っ張られた。
「倉田くん、話があるの」
 田辺さんの声色が変わった。駄目だ、聞いたら。今聞いてしまったら、そこからもう前には進めない。
「今じゃなきゃ駄目? あとで聞、」
「あたし、二年の終わりくらいから好きだったの。倉田くんのことが」
「!」
「あたしと付き合う気、ない?」

 ジェットコースターが通り過ぎる音と共に、乗っている人達の喚声が届く。
 田辺さんの方を向き、顔を見る。
 いい子だよな。明るくて、はっきりしてて。きっと一緒にいれば楽しいんだろう。木下さんを忘れられるのかもしれない。だけど、無理だ。彼女を忘れる為に、彼女の友達と付き合うなんてこと、とてもじゃないけど俺にはできない。

「ごめん。俺、付き合ってはいないけど、好きな子がいる」
「……そう」
 田辺さんは俺の言葉を聴いて俯いた。
「うん」
「……誰のこととか、教えてはくれないよね?」
「俺が好きでもその子とは……絶対に付き合えないし、誰にも言えないんだ。ほんとごめん」
「誰にも?」
「……誰にも」

 これで、俺の思いを木下さんに告げる事は無くなってしまった。
 田辺さんの気持ちを知りながら、俺が木下さんを好きだなんて言ったら、この上なく彼女を困らせることになる。
 もう林にも俺の気持ち、言う必要なくなったな。馬鹿みたいだ、俺。一人で勝手に悩んで、勝手に終わらせて。
 俺の友達が彼女を好きで、彼女と仲がいい友達が俺を好きだなんてこんなこと、本当にあるんだな。

 夕暮れの遊園地に明かりが灯り始める。ぽつぽつと外灯が点き、乗り物も輝き始めた。濃い色になっていく空の低い位置に、細い三日月が現れた。電車のドアから二人で見た頼りない三日月を思い出し、胸が痛くなる。


 いつの間にか、林と木下さんの姿も見えなくなっていた。




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