先生やって何がわるい!

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(6)恥ずかしすぎる打ち合わせ




「何はなくともトイレ! いい? 年少の始まりは、とにかくトイレだからね」
 ひよこ1組の部屋に、梨子先生、清香先生、そして俺の三人が集まり、子どもの机と椅子に座って打ち合わせをしている。浅子先生はいつも通りの早い時間に帰った。
 年中、年長の始業式も終わり、いよいよ明日から保育が始まるのだ。

 年少学年主任の梨子先生の発言権を奪って、俺の補助、清香先生が話を進めて行く。
「まず男の子はね、トイレ前の廊下でズボンとパンツを全部脱がせておくこと。男子用の便器の前に立っても、上手くできない子がほとんどだからこうするのよ。ちょっと梨子先生立って」
「……え」
「恥ずかしがらない!」
「は、はい」
 こえーなー。これもう、パワハラじゃねーの?
 梨子先生はベージュの長袖のTシャツにピンクのジャージをはいている。立ち上がった彼女は、そのTシャツの裾を掴んで少しだけめくって見せた。すかさず清香先生が梨子先生の背後へ回る。
「体操着の裾をまくるようにして持たせたら、こうして後ろから膝をそうっとカックン。優しくね」
 なぬ……!?
「ひゃ!」
 後ろから清香先生に、ぐいっと膝を押された梨子先生は腰を前に突き出した。今度はセクハラか。

 ……いいのかよ、こんなポーズさせて。見上げると、期待を裏切ることなく梨子先生は顔を真っ赤にしていた。まずいなーこれは。まずいけど仕事だからなー、ちゃんと見てあげないとなー。
「こうすれば、嫌でもちんちんが前に出るでしょ? 下にそのままジャーってして足と床がびしょびしょになることもないわけ。わかった?」
「わかりました。あの、でも何で体操着のズボンなんですか? 制服のズボンでも同じなんじゃ」
 年少の子どもだけは、入園してしばらくの間だけ体操着登園が許可されている。特に男の子たちは、ほとんどの子が体操着で来ると言っていいそうだ。とは言え、体操着も制服のズボンもいわゆる短パンで、どっちも変わりなく見えた。
「制服だとズボンにファスナーが付いてるじゃない」
「自分でできないってことですか」
「出来る事は出来るけど、慣れてない子は時間がかかって洩らすこともあるし、第一慌てて挟んだら痛いんでしょ。そんなもん裕介先生が一番わかってんじゃないの」
「う、あ、はい、まあ……そうですね」
 何でそんなことを告白しなきゃならないんだ。俺までセクハラを受けるはめになるとは。そこで梨子先生と目が合ってしまい、お互い慌てて顔を逸らす。
「また! いちいち恥ずかしがってんじゃないの! ……ったく、だから年少に男の先生が入ってくるの反対したのに」
 何だよそれ。一瞬カチンと来たけど、逆らって空気悪くしても嫌だから我慢する。

「あと梨子先生からなんかある?」
「えーと、失敗しても絶対叱らないで下さい。幼稚園でトイレをするのが嫌になっちゃう子もいるし、お母さんも必要以上に心配するから」
「はい」
「もし濡れちゃったら、鞄に着替えを入れてる子もいるし、お部屋にもパンツとズボンの予備がたくさんあるから替えてあげてね」
「あの、女の子は」
 こういうこと男の俺が聞いていいのかって躊躇うけど、でも明日からはそんなこと言っていられない。俺があの子たちの担任なんだから。
 ここは梨子先生ではなく、清香先生が答えた。
「女の子は制服で来る子がほとんどだから、洋式の便座に座る時にスカートが中に入らないように気をつければ大丈夫。男の子よりずっとしっかりしてるから」
「どうやって拭くんですか?」
 くそおおお恥ずかしいぜ! 実習じゃそんなこと習ってないしな。いや、おむつは取り替えたか。
「ああそうね。んーと、おしっこだったらペーパーで前をちょんちょんって押さえれば大丈夫。うんちだったら、前から後ろへ拭くように。たいてい自分でできるけど一声かけてあげれば安心するし、難しいようだったら手伝ってあげて」
「わかりました」
「まあ、女の子の親は男の先生が補助するの嫌がる人もいるみたいだからね。基本は私が見るよ。手が足りない時とか緊急は仕方がないけど、その辺は懇談会で保護者と話して」
「……はい」
 なるほどな。ただ何も知らないっていうのも逆に怖い。その辺は清香先生に現場で教えてもらいながら覚えよう。
「じゃあ、もう私は帰る時間なので。あとわかんないことは梨子先生に聞いて」
「はい。明日からよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします」
 俺のお辞儀に頷いた清香先生は、にこりともせずその場を去った。取り残された二人で、カップに入っている冷めてしまったコーヒーへ口を付ける。

「やっぱ、ちょっと怖いですね、清香先生」
「そう? 今日は全然怖くないよ」
「え、ほんとですか!?」
「うん。保育始まったらすごいよ」
 内緒ね、と梨子先生が笑った。笑ってる場合か! すごいって何だよ。一体どんな目に遭わされるんだ。
「前にも言ったけど、裕介先生なら大丈夫だよ。ピアノも上手だし」
 うんうんと頷きながら、彼女はコーヒーのカップにもう一度口を付けた。まだ少ししか一緒にはいないけれど、梨子先生はあまり掴みどころがないように見える。
 去年一年間、清香先生に鍛えられたってことだろ? 今年も一緒だし、そう言えば美利香先生にもこの前いじめられてたよな。よくやってるよ。見た目と違って、結構根性あるんだろうか?
「あ」
 梨子先生が顔を上げたと同時に、教室中へ大きな声が響き渡った。

「そこの新人!」
 へ? 振り向くと今考えてたばかりの人、全学年主任の美利香先生が俺を見ていた。いや睨んでいた。え、新人てなに。俺のことかよ。
「ちょっと聞いてんの? 返事!」
「は、はいいっ!」
 思わず立ち上がり、気を付けの姿勢を美利香先生へ向けた。敬礼でもしなきゃ怒られそうな雰囲気だ。
 ずんずんと教室へ入って来た美利香先生は、俺の前に立ちはだかった。髪は長く、耳の下で二本に結わいている。典型的な幼稚園の先生スタイルだ。
 それにしても俺、何かしました? あなた様に、なんもしてないですよね? まさか、さっき梨子先生の恥ずかしい姿を堂々と眺めてたの見ちゃいました? それで怒ってんの?
「裕介先生。何かあったら一人で解決しないで、必ず梨子先生に言ってよ。自分だけでどうにかしようとか、わけわかんないこと考えないように。いい?」
 考えてたのとはまるで違う、意外な言葉だった。
「梨子先生に迷惑かけたら、あたしが許さないからね」
「はあ」
「はあじゃないでしょうが!」
「はい! すみません!」
 怖いよー怖いよー、いきなり何なんですかこの人。っていうか、梨子先生はこの人にいじめられてたんじゃなかったっけ?

 多分一番厳しくて怖いのが、この美利香先生。二番目が清香先生。二人ともキャリアがあって、他の先生たちも一目置いてる。その二人を前にして、いつも何でも無さそうにニコニコと笑っている梨子先生が、俺にはやっぱり一番わからなかった。





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