先生やって何がわるい!

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(5)涙の入園式(その2)




 保護者たちも動揺している。どうすればいい。清香先生まだかよ。誰か、誰か来てくれないか……。

「ちょっとすみませーん。失礼しまーす」
 大人と子どもの間を縫うように入って来たのは、淡いピンクのスーツを来た梨子先生だった。その姿が一瞬ほんとの天使に見えた。た、助けてくれ! 
 目の前に来た梨子先生がプリントを差し出す。
「これ、式が終わったら保護者の方へ配ってくださいって。主任からね」
「ありがとうございます」
「皆集まった?」
「はい」
 自分でもわかる、情けないほど不安げな声を出した俺を見上げて、梨子先生は周りへ聞こえないようにこそっと言った。
「うちのクラスも一緒だよ」
「え?」
「同じくらい泣いてるから大丈夫」
「あ……」
「清香先生来るまで手遊びとかピアノやっていいんだよ? 泣いてない子、前に集めちゃえ」
「は、はい」
 そうだった。気付けばあまりの緊張にいつのまにか手に汗握りながら、両肩も上がっていた。顔も、怖かったのかもしれない。

 梨子先生が教室を後にするのを見届けてから、ピアノの椅子を引っ張り出して皆の前に置き、その上に腰掛けた。息を深く吸い込んで大きな声を出す。
「みんな、お母さんとお父さんと一緒にいていいからね。お手々出してみよう」
 頑張れ裕介、超頑張れ。実習で何度も子どもたちの前でやったじゃないか。あれとおんなじだ。保護者の顔色よりも、子どもたちに集中するんだ。
「ひげじいさんだよー知ってるかな?」
「ともくん、知ってるー!」
 よっしゃ、食いついた! 子どもたちの言葉に笑顔で頷きながら、ゆっくり手遊びを進めて行く。
 一通り終わって、次はアニメのキャラバージョンも披露した。さすがに、泣いていた子も黙って真剣な眼差しをこちらへ向ける。
「じゃあ、先生のところに来れる人!」
「はーい!」
 おお、さっきのかいとくんか! 彼は親の元を離れて、元気に俺のそばへ駆け寄って来た。それにつられた子どもたちがパラパラと俺の前に集まった。泣くのもつられるけど、こんなとこもつられるのか。感動だ……!
「じゃ、じゃあここでもう一回一緒にやってみよう」
「……ななちゃん、それ、しゅき」
 たどたどしく呟いた女の子。
「けいたもすきー!」
 元気に両手を上げた男の子。小さな手で拍手をする子、ほんの少しだけ笑顔が出てくる子。皆の反応に体の奥から元気が沸いてくる。
 子どもたちは立ったままだけどさ。座れやほい、なんてもちろんまだ出来ないけどさ。今日はこれでいいよな?


 手遊びが終わった頃、清香先生に呼ばれ、子どもたちを式の会場になる講堂へと連れて行った。親のそばを離れられない子は無理強いせずに一緒に保護者の席へ座らせ、離れられる子どもたちは前に置いてある子供用の椅子へと座る。

 いよいよ先生紹介の時が来た。壇上へ上がり、年少、年中、年長の順に先生たちが横一列に並ぶ。一人ずつここで、一言挨拶をするのだ。
 梨子先生の挨拶が終わると、彼女からマイクを手渡され、俺の番になった。
「ひよこ2組担任、水上裕介です」
 想像を超える人数と、俺に集中する大人の視線に声が震えた。父母だけじゃない。可愛い孫の晴れ舞台を見届けに、おじいちゃんやおばあちゃんたちまでいるワケだ。
「どうぞよろしくお願いします」
「うわあああああん!」
 ここでもか! 反応はええな、おい! こんな遠くにいるのに何でだよ!
「怖くないからね〜……」
 俺の言葉にどっと保護者が笑った。年中の先生へとマイクを渡して、改めて目の前にいる子どもたちの様子へ目をやる。椅子へ座ったまま、皆ぽかんと口を開けてこっちを見ていた。聞いてるんだか、聞いてないんだかよくわからない。年少だけではなく、年中から入って来た子どもたちもいて、突然、ママトイレ! と訴える子や歩き出す子もいる。補助の先生たちと主任が大活躍だ。

 式が終わると園庭で記念撮影をし、再び教室へ戻ってから、改めて自己紹介をしてプリントを配った。さよならの歌をうたって挨拶すると、親たちに囲まれた俺は質問攻めにされる。冷や汗をかきながら答える俺を清香先生がサポートしてくれ、とりあえずその場は何とかなった。


 最後の家族が帰り、パートである清香先生も家に戻る時間だと言って、同時に教室を立ち去った。
 ようやく静まり返った部屋の隅にある水道へ行き、朝と同じように少しかがんで自分の顔を鏡で見た。なんか老けたんじゃないか? たったの一日でさ。こんなんで俺、明日からちゃんとやってけるんだろうか……。
「はあ……」
 溜息を吐きながら背広を脱いで、ネクタイを緩める。ふと誰かの気配に左を振り向くと、梨子先生が教室の入り口から俺を見ていた。
「あ、お疲れ様です」
「……あ、ああうん。お疲れ様でした」
 梨子先生は俺から目を逸らした。どうしたんだろう? 何か用か? でもまずは、先に俺がさっきのお礼を言わなくちゃな。背広を手にしたまま梨子先生へと近付いた。
「式の前、ありがとうございました。俺、じゃなくて僕、あの時パニくっちゃって、どうしたらいいか全然わからなくなってたんで。梨子先生に言ってもらえて目が覚めたっていうか」
「ううん。私も去年真っ白になっちゃったから、すごくわかるよ」
「可愛かったけど、やっぱり明後日も泣くんですかね?」
「まあ、泣くでしょうねー。今日よりもっと」
 同時に二人で、はははと乾いた笑い声を出した。窓から入る春風に吹かれて、大きなカーテンがバタバタとはためいた。
「あの、梨子先生」
「?」
「真剣に答えて欲しいんですけど。絶対、嘘言わないで下さいね? 遠慮とかもいいですから」
「どうしたの?」
「僕って、顔怖いですか?」
 俺の真面目な質問に、梨子先生が吹き出した。
「子どもたちはどうかわからないけど全然そんなことないよ。うちのクラスのお母さん達、早速裕介先生の噂してたから」
「……なんて言ってました?」
「若くてカッコイイ先生が来たわねえって」
「え」
「ほんとだよ」
「ま、またまた〜」
 照れ隠しに髪へ手をやると、梨子先生は笑顔でじゃあね、とだけ言って俺に背を向けた。

 廊下を歩いていく彼女の後ろ姿を見送る。足早に歩く、見慣れないスーツのスカートが揺れていた。相変わらず足下はいつものナースシューズだ。俺はスニーカーだけど。
「……」
 様子、見に来てくれたのか。
 良く考えたら、いや良く考えなくても梨子先生だってまだ二年目なんだ。本当はそんな余裕あるはずがないのに、自分が上だってことをきちんと自覚して、新人の面倒を見てくれようとしている。迷惑かけないようにしないといけないよな。

 机の上に置きっぱなしだった出席簿と日誌を持ち、ずいぶんと離れてしまった梨子先生の後を追って職員室へ向かった。





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