先生やって何がわるい!

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(46) 作品展




「そこ、踏まないように気を付けてねー!」
「はーい!」
 教室の端に一畳ほどの大きな紙を置き、登園して来た子から少人数ずつを呼んで絵を描いている。まだ順番が来ない子や描き終わった子どもたちは、清香先生と浅子先生が園庭で遊ばせてくれていた。作品展の為の共同制作だ。
「せんせー! おてて、よごれた」
「あー、あとで洗おう。今はこれ塗っちゃおうね」
「やだ。あらう。べたべたやだもん」
 君はこのくそ忙しい時に……。一人が洗いに行くと、皆が釣られて行くから嫌なんだよ。
「いやだめ。あとでな。もうちょっと我慢しよう。ね? 頑張れ」
 何とかなだめて、作業を続ける。
「ゆーすけせんせー、こっちへんだよ。お水が」
「うおー! ちょっと、そこ! 待って待って!」
 水が大量にこぼれてるじゃんかあああ! もう少しリアクションデカくしてくれよ! 急いで雑巾をあてがい、何とか吸い取ることに成功した。
 子どもたちがそれぞれ好きなもの。食べ物でも車でも電車でも猫でもお花でも友達でも、お母さんでもいい。それをクレヨンを使って主要線を描いていき、上から水彩絵の具で色を塗っていく。するとクレヨンの部分が水彩を弾き、絵が浮かび上がって、年少でも結構いい感じのものに仕上がるというわけだ。
 まあ、何も言わずにぼーっとしてた頃に比べると、だいぶ進歩はしてくれたかな。泣かなくなったしな。相変わらず真冬だというのに、俺だけ汗だくだけど。

 全員が描けたあとは、床に広げたまま乾かしておく。保育も終わり、子どもたちが帰る直前に、1組で同じように描いたものを持った梨子先生と、1組の子どもたちがやってきた。
「はーい! それじゃあ1組と2組のお絵描き、合体させまーす!」
 梨子先生が1組の大きな絵を、2組の絵の隣へそっと置いた。
「やったー! がったいだー!」
「すごいねー」
「おっきいー!」
 子どもたちから、わー! という歓声が起こった。
 繋げるとすごく大きくなって、それなりに迫力も出た。作品展当日は、1組と2組の前の廊下へ貼り出す予定だ。いいじゃん、共同制作。立派じゃないか。


 作品展の前日、午前中で子どもは帰らせ、午後は目いっぱいの時間を使って、役員やお手伝いのお母さん達と一緒に準備をした。全ての準備が終わり、一人になった教室で、壁にずらりと掲示された子どもたちの絵を眺める。
 夏休み前は輪郭の中に目や鼻や口を描くこともできなかったんだっけ。鼻がはみ出したりしてさ。手足も顔から直接生えてたしな。今じゃ人物も動物も建物も花や木も、何を描いたのかしっかりわかるもんな。画面いっぱいに描くことも知らなくて、端っこに小さいのを描くだけの子もいた。クレヨンを全色使うまで終わらせないと言って、お弁当の時間まで掛かる子もいた。気に入らないと言って、なぜか水道に持って行って画用紙を水で洗ってしまう子もいた。
 何だろうなー。鼻がつんとして痛い。ぼやけて見える子どもたちの絵の色が、とても綺麗だった。子どもたちの頑張りとか、この一年の成長とか、そんなものが一気にこみ上げて涙が溢れそうになった。
「よく、頑張ったよなあ。俺の言うこと必死に聞いてくれてさ」
 主任の言葉の意味を再び思い出し、声にして一人噛みしめた。

「裕介先生」
 ガラリと教室の引き戸が開き、梨子先生が現れた。
「あ、お疲れ様です」
 やべえ、涙ぐんでるのを見られてしまう。何でもない顔をしてさり気なく目をこすった。隣に来た梨子先生も、俺と同じように子どもたちの絵を見上げた。
「よく頑張ったね」
「はい。皆よくやってくれたと思います」
「子どもたちもだけど、裕介先生もだよ。お疲れ様」
 梨子先生が俺に優しく微笑んだ。俺、ずっとこの笑顔に支えられてきたんだ。これからもずっと見ていたい。見て、いられるんだよな?
「何もかも初めてってすごく大変だよね。でも一年目ってその分、感動もひとしおだと思う」
「梨子先生、あの」
「ん?」
「辞めないですよね? ここ」
 俺の言葉に驚いた梨子先生は、ひと呼吸おいてはっきりと言った。
「辞めないよ。どうしたの? 急に」
「いえ、なんか、心配になっちゃって……。一也先生のこともあるし」
「大丈夫。辞めないよ。それに、次また年少でもいいんだ、もう。裕介先生があの子たちと一緒に年中へ上がってくれればいいかなって、思えるようになったの。それで私も安心だから」
 さっきとは違い、無理に笑っているのがわかってしまった。胸が痛い。しばらく黙って梨子先生の顔を見つめた。教室の隅にある暖房の音だけが静かに響いている。
「俺は、一緒に上がりたいです。梨子先生と」
「……うん」
「梨子先生とじゃないと嫌です。この子たちを見るの」
「ありがとう」

 他の誰でもない、梨子先生がいいんだ。年中に上がるのも。ずっとずっと、一緒にいたいと思うのも。





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