上手く行かない。どーーーーーにも上手くいかない。
冬休みが明けてすぐから、二月上旬を予定している作品展の制作に早速追われていた。
体を動かして取り組む保育とか、ピアノも絵本読みなんかも得意なんだけど、お絵描きと制作は自分がそれほど得意ではないせいか、子どもたちに上手く教えることができずに悩んでいた。
悩んでる暇はないんだけどさ。お絵描き3種類、粘土細工、ひよこ1、2組で共同制作と、やることは山ほどある。この作品展は発表会と同じで、親だけじゃなく祖父母に親戚、卒園生なんかもが来るから気が抜けないんだよ。親父から他の園長も来るとか言われたしな……。
子どもたちが帰ったあとの教室で、棚の上に並べて干してある、水彩画の描かれた画用紙を一枚一枚眺めていた。可愛いんだよな、すごく。可愛いんだけど、これでいいんだろうか。ひよこ1組の子どもたちの絵をチラ見したら、何か違ったんだよ。こっちよりもずっと上手に見えるし。何が違うんだろう。俺の指導が悪いんだろうか?
この絵が作品展で飾られて、やっぱり新人の先生のクラスはね〜、なんてまた言われたら心底嫌だ。
「せんせーせんせー、ちょっと来て」
ガラリと引き戸があき、廊下からたいちくんが教室へ入って来た。彼は園バス通園なので、この時間は自分のコースのバスを待ち、当番の先生と園庭で他の子と一緒に遊んでいたはずだ。
「どうしたの?」
「あのね、こっち来て」
俺の腕をぐいぐい引っ張るたいちくんに連れられて、廊下の奥、階段の踊り場の手前に来た。
「ほら、おしゃべりがきこえるよ」
「ん?」
周りを見ても誰もいないんだけど。えええ、もしやこれは……子どもにしか見えない、聴こえないアレとかじゃないよな。
「ね? きこえるね、せんせー」
「えっと、どこから?」
「もう! ゆーすけせんせーもおんなじにして! ほら……あっち」
たいちくんは広い踊り場の角に置いてある、年長児くらいの背丈の観葉植物を指差した。そして小さな手を耳に当て、そっちを向いて真剣な表情を見せた。俺も言われた通り、同じポーズを取る。
「ね、ほら! ほら!」
「あ……」
その葉が、風に揺れた。
「ああ、わかった! 聞こえた! 先生にも聞こえたよ」
「なんていってた?」
「え」
「きょうはとてもさむいですね、っておはなししてたでしょ?」
満面の笑みで彼は言った。その時、園庭からピーと言う大きな笛の音が響いた。
「あ、バス来た! じゃーねー、ゆーすけせんせー」
「ああ、さようなら。気を付けてね」
「さよならー」
一段ずつ慎重に階段を下りていく背中を見送っていると、後ろから声を掛けられた。
「裕介先生」
「あ、主任。お疲れ様です」
穏やかな表情で近付いて来た主任は、廊下の隅に風で飛ばされた葉を拾った。二人で話す機会って全然ないから緊張するな。何かしたか? 俺。
「あなた、すごい顔してたわよ。今日のお絵描きの時間」
「え? すごい顔、ですか?」
主任はたまに園内を歩き、廊下から教室内を覗いていることがある。
「そう。こーんな目をして、にこりともしないの。声だって荒げてばっかり」
主任は俺の前に立ち、人差し指で自分の両目の端を引っ張り、つり上げた。
「え、え」
「せっかく子どもたちは楽しくお絵描きしようとしてるんだから、先生がそんな顔してたらつまらなくなっちゃう」
主任は俺の親父よりも年上で、当然園長よりも経験は上だ。俺と園長の関係を知る、幼稚園内で唯一の人でもある。
「もう少し力を抜いて。父母が見るからって気を遣うのはわかるけど、親のためじゃなくて子どものための作品展でしょ? その子の精一杯がそこに展示されていれば、それでいいのよ」
外から、バスを待っていた子どもたちの帰りの挨拶が聞こえた。微笑んだ主任が話を続ける。
「運動が得意な子、踊りが得意な子、楽器が得意な子、いろんな子がいる中で、今回は絵や工作が得意な子がお披露目できる場所なんだから。出来る子と出来ない子の差があっても当たり前のことなのよ。ましてや三歳児は月齢で成長が全く違うものでしょう? 男女差もあるのだし。ね? ほら、楽しく楽しく」
「はあ」
「三歳児の担任になった最初の頃を思い出して。なーんにも出来なかった子たちが、今は裕介先生の話を一生懸命聞いて信頼して、理解しようとしてやってるんだから感謝しないと。健気でしょ? 子どもたち。大人の考えなんかよりもずっと素晴らしいところに子どもの感性はあるものよ。大事なものを見落としては駄目」
入園式ではクラスの半分以上の子に大泣きされ、その後も何か出来るどころか話も通じなかったんだっけ。言われてみればそうだ。
「すみません……僕、子どもたちが慣れて来たからって、上手く書かせることだけに必死になってました」
「ほらまた。そんな怖い顔してると、園長先生に似てきちゃうわよ?」
ほほほと笑って主任は去って行った。
「わー主任に怒られたー」
「!?」
その声に焦って振り向くと、柱の陰から佐々木がにやにやと笑いながら出て来た。何なの、この人? 少年漫画の嫌われ者のモブかなんか?
「やっぱり余裕が大事なんじゃないの〜? あと少しで子どもたちも上の学年行くんだし。まあ、年長なんかもうすぐ卒園だから毎日楽しく過ごせるように俺は工夫してるけどね」
うるせえな、この背景キャラが。後ろで手組んでヘドバンしてドン引きさせてやろか、あん? 意味わかんないだろ。俺もわからんわ。
「一生懸命やってんだよ、こっちは。余裕なんかあるかよ」
俺の返事に答えもせず、佐々木は腕を組んで窓の外を見ていた。
「おい、聞いてんの?」
「……なあ、園長先生に似てくるってどういうこと? 名字が同じだから? ってのも、変か」
ひい……! お前そんなこと考え込んでたのかよ。
「し、知るかよそんなこと」
「昔、水上に似たような失敗でもやったのかね。そう考えると面白いよな、くふふ」
笑い方がとても気持ち悪いです。余計な事考えなくていいから、とっとと去って下さい。
「俺掃除の途中だから。年長の先生たちは花壇の清掃だろ、早く行けよ」
「うわ、そうだった! やべえ美利香先生に怒られる!!」
慌てて走り出した佐々木の足音が遠くなると、廊下は静まり返った。
窓から入って来た冬の風に吹かれた観葉植物の薄い葉が重なり合い、また微かな音を立てる。
「今日はとても寒いですね、か」
主任の言う通りだ。大事なものを見落とすところだったな、俺。
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