先生やって何がわるい!

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(24) お当番




「それじゃあ今日は、昨日のお約束通り、お当番さんを始めたいと思います」

 二学期が開始して三日目。
 泣いて登園するんだろうと身構えていた俺は、子どもたちの笑顔に初日から拍子抜けした。おはようと元気よく挨拶する子、飛びついてくる子。べそをかいていた子も、友だちの顔を見つけると急に元気を出して飛び回ったし、旅行へ行ったからと小さなストラップのお土産をくれる子までいた。ゴールデンウィーク明けの時とは雲泥の差だ。
 とにかく、夏休み中に怪我もせず、入院することもなく、無事に全員登園してくれたことが一番だったな。うん、俺だってみんなに会いたかったんだぜ? すごく、すごくさ。

「せんせー、だれがおとうばんさん?」
「そこにかけてある、お当番票の順番だよ」
「ちかちゃん、さっき見たー!」
「ひかるも!」
 壁にかかっている手作りのお当番票へと近づく。丸く切り抜き、真ん中に一人一人の下の名前を、ひらがなで書いてある。もちろん俺が全部書いたんだけど。男児は水色、女児はピンクの色画用紙だ。上の方にパンチングで穴をあけ、それを二重リングでまとめる。壁にかけて、次の日はめくっていけばいい。
「何て書いてあるか読めるかな?」
 まだ無理だろうけど、一応な。
「みちかって書いてあるから、みーちゃんだ!」
「あと、せいいちくん!」
「すごいな、ひらがな読めるんだ」
 俺の言葉に、よめない、と言って悲しい顔をした子たちに笑顔で答える。
「まだ読めなくてもいいんだよ。年長さんで教えてくれるからね。大丈夫」
「せんせー、それ何?」
 お当番票の隣にあるのは、フェルトで作った安全ピンの付いているひよこが二つ。それぞれ土台は水色とピンクの丸型で、黄色いひよこをアップリケしてある。
「ああ、これはね、お当番さんが肩に付けるバッヂ」
 きゃー! という歓声が沸いた。嬉しそうだなあ。慣れない裁縫、頑張った甲斐があったな。
「よし。じゃあ、みんなでお当番さんを呼ぼう」
 みんなでお当番さんの歌をうたい、二人を前に呼ぶ。全員の前に立たせると、椅子に座っている興味津々の子どもたちの視線は、お当番へ釘付けになっていた。
「先生が質問するから答えてね?」
 二人は緊張しつつ、うん、と頷いた。
「お名前を教えて下さい」
 おもちゃのマイクを持って、みーちゃんへ向ける。一瞬怯んだ彼女は、真っ赤になって自分の名前を言った。
「いちはら、みちか」
 次はせいいちくんだ。みーちゃんを見て学習したようだけど、彼もまた耳まで真っ赤になっている。
「あい、ば、せいいち」
 小せーなー、声。緊張しちゃって、可愛すぎるんだけどさ。
「好きなくだものは何ですか?」
「……」
「……」
 やべえ、まさかの高度な質問だった? 二人ともマイクじゃなくて俺の顔を見上げて、泣きそうになっている。
「えーと、そうだ、清香先生に聞いてみよう。清香先生はどんなくだものが好きですか?」
 俺に名前を呼ばれた清香先生は、子どもたちの後ろで勢いよく立ち上がり、真っ直ぐに右手を上げて元気いっぱい答えた。
「はーい! 清香先生は、グレープフルーツが好きです!」
 さすがベテランだ。子どもたちからパチパチと拍手が起きた。
「ありがとうございます。裕介先生はバナナが好きです。お当番さんも教えてね。みーちゃんは、何のくだものが好きですか?」
 再びマイクを向ける。今度はしゃがんで、子どもの目線に合わせた。
「……いちご」
「いちごかあ! 先生も好きだなあ。ケーキの上にも乗ってるね。せいいちくんは、何のくだものが好きですか?」
「りんご」
「おー! 裕介先生もりんご大好きだよ。まん丸のまま、かじるのが好きなんだ!」
「えー! 皮むかないの?」
「剥かなくても食べられるよ。よーくよーく綺麗に洗えばね」
 面倒くさいだけだけどな。へえ、という顔をして子どもたちが俺を見ていた。
「じゃあいつものとおり、朝のお歌と挨拶をするんだけど、お当番さんはここにいて皆の前で踊ろうね」
「清香先生も一緒にやるから大丈夫だよ」
 前に出た清香先生は、お当番二人の横へ並んだ。全員椅子から立ち上がり、いつも通り朝の歌をうたう。振りが付いてるからお当番が緊張するのも無理はないんだよな。
「せんせー、おはようございます。みなさん、おはようございます」
 二人とも蚊の鳴くような小さな声だけど、今日はこれで十分だ。
「はい、お当番さんありがとう。皆もわかったかな? 自分のお当番さんが来たら、挨拶したり、先生のお手伝いしたり、お仕事してね?」
「はーい!」
 まだ暑い教室だけど、今日の秋晴れと同じくらい爽やかな子どもたちの返事が響き渡った。

 午前の活動を終え、弁当の支度を始める。子どもたちの机を出して、そこへお当番を呼んだ。
「ふきんは汚れたら先生が洗うから、二人は机を拭いてね。こうやって拭くんだよ」
 二人だけじゃない、他の子どもたちも集まって、俺が机を拭く様子をふんふんと一緒に聞いていた。みーちゃんにはピンクのふきん、せいいちくんには俺が持っていた水色のを渡し、その場を離れる。
 水道の前へ移動すると、ゆいこちゃんがそばに来ているのが鏡越しに見えた。振り向くと、いつものようににっこり笑って俺を見上げている。
「あれ? ゆいこちゃん、またポケットにお手々入れてるね」
「……うん」
「危ないから手は出した方がいいよ。転んだとき、お顔を怪我しちゃうからね」
「うん。あのね」
「ん?」
「……ゆーすけせんせいは、」
「うん」
 ゆいこちゃんは小さな手を合わせて、もじもじとしていた。そういえば夏休み前もこんな感じだったな。何か俺に言いたいことがあるんだろうか。
「みーちゃんがやるって、言ってるの!!」
「せいいちだよ! これせいいちのだもん!」
「こんどはみーちゃんが水色つかうの! どいて!」
「やだ!」
「やああああああ! はなしてえええ!」
「ぜったいやだ!」
 すぐ後ろでお当番二人が喧嘩を始めた。おいおいおい、君らついさっきまで仲良くいちゃいちゃしてたじゃないの! こんな時に限って清香先生はトイレの補助でいない。
「ゆいこちゃん、ごめんね。あとでいい?」
「うん」
「ちょっと、何やってんのー!」
 ゆいこちゃんは素直に頷いて俺から離れて行った。そう、何の文句も言わずに、だ。
「みーちゃんも水色がいい!」
「せいいちも!」
 みーちゃん、君昨日まで一番好きな色ピンク言ってませんでした? 何で今日に限って違うの?
「あーはいはい。もう一枚あるからね。これ使えばいいじゃん、ほら」
「や! これがいいの! これ、こ……う、わああああああん!」
 うわー入園式以来じゃんか、これ。みーちゃんは床に寝転んで、両手両足をバタバタとさせて訴えた。そばにしゃがんで、彼女へ話しかける。
「おーい、みーちゃーん。赤ちゃんみたいだぞー」
「やなの、やなのおおおお!!」
「何がー?」
 喚くのをやめたみーちゃんは俺の顔を見た。目からはまだ涙が零れている。鼻水も出始めた。天使の輪ができてる、つやっつやのロングヘアは、高い位置で二つに結わかれていた。
「ゆーすけせんせーが、ひっく、さっき、さっ、」
「ん?」
「さっき、ゆ、ゆーすけせんせーが、つかったのが、いっ、いいの!」
「え」
「ゆーすげ、じぇんじぇーのがいーのっ! おんなじがいいの! う、わあああああん!!」
「うおお」
 耳を塞ぎたくなる程のすごい音量だ。でも、でもさ。何というかその、照れるよな? 俺が使ったのがいいだって? 入園式じゃ幼稚園も俺のことも嫌いだって言ってたみーちゃんが。嬉しいじゃんか。

 周りに集まって来た子たちは、俺の顔とみーちゃんを交互に見ていた。隣に立つせいいちくんも、口を固く結んでみーちゃんを睨んでいる。とりあえず話が通じそうなのは君の方だな、うん。
「せいいちくん」
「なに?」
「男だからって、何でもかんでも我慢しろとは言わない。そんなの先生だっていやだ」
「うん」
「でもさ、ちょっとだけ女の子に譲ってもいいかな、って思えるんだったら、それはそれで先生はかっこいいと思うんだ。わかるか?」
「……」
 せいいちくんは、ふきんを持った手をぎゅっと握りしめて、一生懸命俺の話を聞いていた。
「貸してあげられたら、すっげーかっこいいと思う。でも別にせいいちくんが嫌なら、貸さなくてもいいんだ。任せるよ」
 じっと考え込んでいたせいいちくんが、しばらくして呟いた。
「……いいよ」
「おおー! かっこいいー!」
 俺が褒めた途端、周りにいた男児からも、かっけえという言葉が出た。せいいちくんは、少しだけ得意げな表情に変わり、水色の台拭きをみーちゃんへ差し出した。驚いたみーちゃんは泣き止んで、せいいちくんを見つめた。
「どうぞ」
「……ありがと」
 やだ、カワイイ! 何この二人!
「せいいちくん、おりこうさんだったね! みーちゃんも、ちゃんとありがとうが言えたね」
 せいいちくんはまた耳まで真っ赤だ。恥ずかしそうに照れている。みーちゃんは起き上がり、涙を拭いて言った。
「せーいちくん、ごめんね」
「いいよ。せいいち、これ使うから」
 ピンクのふきんを手にしたせいいちくん! 君はなんて男前なんだ! お前、きっと将来モテるぞ、先生が保証する。
 いつもこんなふうにはいかないんだってことを、みーちゃんにも伝え、何となく理解した二人はまた仲良くテーブルを拭き始めた。

 お弁当の後の片づけや、帰りの歌、挨拶と一通りお当番の仕事を終えた二人は、他の子どもたちと一緒に満足そうに帰って行った。たったこれだけのことが、こんなに疲れるとは……。まあ、その日にお当番をやる子の性格にもよるんだろうけど。
 バス待ちの子どもたちが帰り、部屋へ戻ってモップを取り出した。その時ふと、何かが頭を掠めた気がしたんだ。……何だったっけ? 何か大事なことを忘れてた気がする。
 俺は今日起きたことのひとつひとつを、ゆっくりと思い出していった。お当番のバッヂは返してもらっただろ。お当番票もめくって次の子の名前になってるし。出席簿もつけた。あ! 忌引きの子がいたな。それのチェックだ。そうだ、忘れてた。
 教卓に置いてある出席簿へ手を伸ばした時、隣の教室からピアノの音が聴こえた。梨子先生が夏休み中、俺と一緒に練習した曲だ。
「……」
 何赤くなってんだよ俺は。あれから別に何もなかったんだから、いちいち反応するなっての。

 それでも何だか嬉しくて、モップで部屋を掃除しながら、梨子先生の弾くピアノをいつまでも聴いていた。





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