ちょっと早かったかな。
もしかして一番に到着かも。愛美からもメールはないし。絵梨は彼と一緒だから今日は別行動。
ちょっと張り切って新しい浴衣を着た。久しぶりにすごく気分が上がって、花火も楽しみで仕方がないんだ。
普段から人の多いこの駅の改札は、花火大会へ行く人でさらにごった返していた。私は改札を出て、周りを見渡す。
その時、背の高い見慣れた顔の男の子が目に入った。吉田くんだ。浴衣着てる! め、目立つなあ。よく見ると、女の子……女の人? 見たことの無い二人が吉田くんと話している。けど、何だか様子が変。吉田くんはその人たちと全然目も合わせない。声掛けてみようかな。
後ろからゆっくり近付き、名前を呼んだ。
「吉田くん!」
振り向いた吉田くんは、口を開けて驚いた顔をした。
女の人達は彼が何か一言言うと、どこかへ行ってしまった。
……もしかして、もしかしなくても、声掛けられてたんだ! うわ、男の人が声掛けられてるのって、初めて見た。
「吉田くん、かっこいいね! 浴衣姿」
思わず言ってしまったけど、いいよね? ほんとに似合ってるし。
吉田くんは急に手の甲を自分の鼻に当てて、口を引き結んだ。顔、真っ赤だ。この前もそうだったけど、もしかして照れ屋なのかな。今までそんな風にも見えなかったけど。
「あ、そうかな。ありがと。あの……」
彼は何か言いたそうに、私をじっと見つめた。
「?」
「に、似合ってるね、鈴鹿さんも」
「ほんとに? ありがと」
あ、すっごく嬉しい。
「か……」
「ん?」
「可愛い、」
「え」
「涼! あー浴衣着てる! かっこいい!」
「ほんとだー!」
「あ、鈴鹿さんだー」
その声に振り向き、みんなと挨拶する。同じクラスの吉田くんと仲の良い女の子達。
それにしても、今何て言ったんだろう吉田くん。可愛い、って言ったような気がしたけど……違う違う、それはずうずうしいよ。そんな事を考えてると、愛美と他の仲良しの子達、クラスの男の子達も来た。
仲良し皆で輪になり、いつの間にか吉田くんの話をしていた。
「ね、吉田くん見た?」
「うん、やっぱり一番かっこいいよね」
「浴衣似合いすぎだよー」
みんな目がハートになってる。
「さっきも知らない女の人に声かけられてたよ」
「栞見たの?」
「うん。吉田くん一番に来てたよ。あたしが二番で声かけたんだ。その時」
その中にいた一人の友達が、ふうんと頷いて急にこんな事を言い始めた。
「ね、栞ってさ、吉田くんと仲いいよね」
「え? そんなことないよ」
「この前も一緒に授業さぼってたしねー」
「あれは成り行きでそうなって……」
「今日だって誘われたんでしょ? 吉田くんに」
「うそー!!」
一斉に皆の目が私に向けられた。そしてまた、別の一人が興奮気味に言ってくる。
「あたしたちは高野くんに誘われたんだよ。 皆そうなんじゃない? 吉田くんに誘われたなんて、吉田くんと仲いい子達からも聞かないし」
「……そうなの?」
「そうだよ! ね、何て言われたの? 知りたい!」
「あたしも!」
皆、目がこわいよー!
「吉田くんてさ、栞のこと気に入ってるよね」
「それはないよ、絶対! 吉田くんに失礼だよ」
思わず力が入る。
「まあまあもういいじゃん、ほらみんな歩いてるよ、行こ!」
愛美が助け舟を出してくれた。その声に、皆も歩き出す。
私と愛美も二人で歩き始めた。下駄の音が、リズムよく響いてはたくさんの人の流れに消えていく。
「ほんとはまだ好きなんでしょ? 相沢くんのこと」
「……」
「無理しないでいいんだよ?」
「……ううん。もういいんだ。今日できっぱりやめるって決めて、ここに来たから」
「そうなの?」
「うん、そう」
前を歩く相沢くんも浴衣を着ていた。相沢くんと一緒に歩いている人の中には、杉村さんもいる。……相沢くんが誘ったのかな。
みんなで移動して、出店の傍に陣取る。相沢くん達は花火を見に少し離れた所へ移動した。
「栞」
愛美が声をひそめて私に近付いた。
「相沢くん達の方に行って、一緒に花火見よう?」
「……」
「今日でやめるんなら、最後くらい一緒にいてもいいんじゃない?」
「……うん」
花火の見えやすい場所へ行こうと、愛美は何人か友達を誘った。
群青色の空に花火が上がる。大きな音と共に、綺麗な花は一瞬で大きく咲いて、すぐに消えた。
ほんの少しだけ離れた場所に、相沢くんがいた。
大好きだった横顔。たまに見せてくれる優しい表情。忘れる必要はないけど、もうやめにするんだ。相沢くんには好きな人がいる。きっとそれは杉村さんだ。ほんとは初めからわかってた私。振られるってわかってたのに、言いたかった。だから思いを伝えることが出来て、これで良かったんだよね?
さ、栞、これでおしまい。こうして相沢くんを見つめるのも、やめにしよう。そう決めたのに、私の視線は中々動かない。駄目だよこのままじゃ。
よし……じゃあ、せーのでもう見ないことにしよう。私は掌を握って、気合を入れた。
いくよ? せーの!
……まだ視線はそのままで、動いてくれない。栞、気合が足りないの、気合が。
いい? もう一回。せーの!
突然、私の頬にひやりと冷たいものが当たった。
「きゃっ!」
な、何?! 驚いて振り向くと、目の前にビニール袋に入った赤い金魚が現れた。
「びっくりした?」
金魚を持っていたのは私の顔を覗き込む、吉田くんだった。
「あ、金魚?!」
「あげる」
「え、ほんと? ありがとう」
吉田くんはちょっとだけ笑って、私に金魚をくれた。
ビニール袋をのぞくと、赤い金魚が元気に狭い水の中を行ったり来たり泳いでいる。ちっちゃくて可愛い。思わず笑顔になる。
「あと、これも。食べる?」
目の前にもう一つ差し出されたのは、あんず飴。きらきら輝いて美味しそう。
「いいの? 吉田くんの分は?」
「俺は、また買うし。いいよ」
いいのかな? 吉田くんのあんず飴を持つ手に向かってそっと手を伸ばす。
また……吉田くんに助けてもらっちゃったね。
「ありがとう……いつも」
「……え?」
いつも、なんて言って変に思ったかな。
「金魚鉢、買おうかなあ」
「いいね。夏らしくて」
「餌も買わなきゃ。楽しみ」
「栞ちゃん」
「……え?」
「って呼んでも……いい?」
吉田くんの声が……いつもと違った。優しいその表情に、どうしたんだろう私、一瞬だけドキっとしてしまった。
「もちろん、いいよ」
笑って答える。だって全然構わないから。私が返事をすると、彼は驚いたような、それでいて哀しいような目をした。
花火が上がって吉田くんの顔に影が出来る。その表情をもっとよく見たかったのに、彼は後ろを振り返り花火に顔を向けた。
吉田くん、ありがとう。
もう私、相沢くんに目を向けない。さっき、私の心の中の掛け声聞こえてたの? っていうくらい、タイミングよく吉田くんが来てくれた。金魚の袋を頬にあてて、目を覚まさせてくれた。
目の前の吉田くんの肩越しに、綺麗な花火がたくさん上がる。彼がくれたあんず飴を口に入れると、甘い香りが広がった。
パンをくれた時と同じ、彼の優しい気持ちが胸の中にもゆっくり沁みていった。
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