片恋〜栞編〜

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10 夏の終わりに




 朝から、蝉の鳴き声が元気に鳴り響いている。
「暑い……」
 夏休みもそろそろ終わりに近付いていた。目を開けて時計を見ると7時半。もうちょっと寝ようかな……。
「あ、餌!」
 私は飛び起きて、パジャマのままリビングに向かった。

「栞? おはよう」
 母が声をかけてくる。
「おはよ! あ、健太ダメ!」
 リビングの窓辺で、弟が勝手に金魚に餌をあげていた。

「いーじゃん、ちょっとくらい。それにしてもこいつよく食べるよなー」
「もう、あたしがあげようと思ってたのに。いいからあんたは早く部活行きなさいよ」
「んだよ、ドケチ」
 弟は口を尖らせて、私を睨み付けた。でも次の瞬間にやっと笑って言った。
「な、これ彼氏にもらったの?」
「え?!」
「だってねーちゃん、金魚なんか一回も取れたことないじゃん」
「そんなことないよ。一回くらいは取れたよ」
「ないね。絶対ないね」
「あるね。絶対あるね」
「ないっつーの!」
「あるってば!」

「もう健太は早く学校行きなさい! お父さんと一緒に出るんでしょ? 栞もすぐムキにならないの!」
「やべ、遅れる!」
 健太は大きな鞄を持って、ドタドタとリビングから出て行った。その後をついて、玄関にいた父に声を掛ける。
「お父さん、行ってらっしゃい」
「行ってくるよ」
「俺はー?」
「……早く行って」

 溜息を吐いて、リビングに戻り金魚に目をやると、元気に金魚鉢の中を泳いでいた。
「かわいい」
 思わず口に出してしまう。ちっちゃくて、赤っていうか朱色だね、この色もすごくかわいい。

「ね、健太の言った事当たってるの?」
 母がアイスティーを入れてテーブルに置いてくれた。
「なにが?」
「彼氏」
「ち、違うよ。彼氏じゃないよ」
「彼氏じゃない……けど男の子にもらったんだ」
 鋭いなあ。そうだけど。でももちろん彼氏じゃないし。黙っていると、母は続けた。
「かっこいい子?」
「……うん。めちゃくちゃかっこいいよ」
「へえ! あとは? どんな人なの?」
「どんなって……頭もいいし、運動神経もいいし、友達も多くて、すっごく女の子にモテるよ」
「それで?!」
 ……ちょっと、目が怖いんですけど。本物見たら叫ぶかもね、お母さん。
「それで、って……」
 あとは、すごく優しい、よね。
「彼女いるの?」
「え……」
 この前、中庭で見てしまった時、吉田くん、今はそういう気がないって言ってた。告白してた子も吉田くんがいつもと違うって言ってたし。

「今は、いないみたい。いっぱい告白されてるらしいけど全部断ってるんだって。皆不思議がってるよ。今までは常に彼女がいる状態だったのに」
 私が金魚に目をやると、母がぼそっと言った。
「その子、好きな女の子でもいるんじゃない?」
「え?」
「きっとそうよ。もしかしたら片思いしてるのかも」
「あ、有り得ないよ!」
 思わず大きな声で否定してしまった。
「だって、あんなにモテるんだよ? そんな人が片思いなんて絶対に有り得ない!」
「そんなことないわよ。いくらモテたって、どんな人だって、必ず好きな人に好きになってもらえる保障なんてないんだから」
「……」
 母の言葉が少し痛かった。そんなのわかってる。そんな保障ないのは知ってる。だけど……吉田くんが、片思い? 学校の中でそんなの誰よりも似合わないよ。でも、もしお母さんの言ってることが当たってたとしたら、その相手って誰なんだろう。
「……」

 そこでふと気づく。何だか妙に寂しい気持ちになっていた。
 あの花火の日から、相沢くんのことはもうきっぱり諦めたし、やめようっていう踏ん切りがついた。家にいて何となく相沢くんを思い出しそうな時は、リビングに来てこの金魚を眺めてあの時の気持ちを思い出した。
 金魚を見て同時に思い出すのは……吉田くんのことだった。

「お母さん、私、今日髪切ってくるから」
「そうなの? 予約入れた?」
「うん。行ってくる。行ってさっぱりしてくる」
「?」

 髪、いつもよりも短くしてみよう。それから吉田くんにメールするんだ。金魚は元気だって。写メも送ってみたら何て返事が来るかな。
 学校で逢ったら話しかけたい。花火大会のこと、夏休みのこと、何でもいい。

 ただ顔を見て話がしたいって、今本当に……そう思ったから。




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