「あのさ、お茶しない？」
「うん、いいよ」
吉田くんは駅の改札で待っていてくれた。この駅で降りたことがないと言っていたので、私の好きな落ち着いた雰囲気のカフェに行くことになった。
一番奥の席に座って、目の前に置かれた湯気の立ち上るカップを見つめる。彼はコーヒー、私は紅茶を頼んだ。
「……あの、さ」
「ん？」
「好き……」
「え？」
「好き、なの？ ……紅茶」
「あ、うん」
……ちょっとだけ、びっくりした。紅茶のことだよね。
「や、栞ちゃんよく飲んでるからさ」
「うん。コーヒーも好きだけど、どっちかと言えば紅茶派なんだ。毎日飲んでる」
「そ、そう」
吉田くんが困ったように目を逸らした。気まずいような気がして、彼のコーヒーに目を向ける。
「コーヒー美味しい？」
「え、ああ、うん。いい香りだよ。飲む？」
吉田くんが余りに自然に言うから、断るのもおかしい気がして思わず頷いた。
「……うん。いいの？」
「……はい」
彼が私にカップを差し出したから、私も紅茶のカップを吉田くんに向ける。
「あたしのも美味しいよ」
「あ、ありがと」
いいんだよね？ 彼のカップにそっと口を付けると、コーヒーのいい香りが口に広がった。彼も私のカップに口を付けて紅茶を飲んでいる。
「あ、美味しい」
「ね。コーヒーも美味しいね、ここ」
私の言葉に微笑んだ彼の口の痣に、目を向ける。
「まだ……痛い？」
「いや大丈夫、もう全然痛くないよ。それより……あの時、ごめん」
「……どうして謝るの」
「……」
あの時って、私を引き寄せた事？ 謝らなくてもいいのに。もしかして後悔してるのかな。
吉田くんはもうその話題には触れないで、違う事を話始めている。こんな機会ないんだから、蒸し返すことはないのかもしれない。
結局、おしゃべりして、美味しい紅茶を飲んでお店から出た。本当は聞きたい事たくさんあったけど、もういいや。こうして楽しく過ごせたんだもんね。
駅までの道のりで、私が話をしていると吉田くんが言った。
「あのさ、何で俺の事、涼って呼ばないの？」
「え？」
「だって栞ちゃんだけだよ、友達なのに苗字で君付けでさ」
どうしたんだろう、急に。
「いや？」
「やじゃないけど……なんかよそよそしい感じはする」
「……」
「俺は、皆みたいに涼って呼んで欲しい」
「……それは、できないよ。皆には出来るのかもしれないけど、あたしには出来ない。あたしの事を名前で呼んでくれるのは、全然構わないけど……」
「何で？」
確かに、吉田くんの言う通り仲良しの友達は皆涼って呼んでる。でも、私にはできない。吉田くんが好きだから。気持ちが叶わないのに、名前だけ近付くことはできない。冷たい風が吹いて、彼の足下に葉が纏わり付いた。
「吉田くんの、彼女じゃないから。……急に名前を呼び捨てには出来ないよ」
目を伏せて答える。
「じゃあさ、」
吉田くんの声が、変わった。
「俺の、彼女になれば？」
「え……」
「俺の彼女。どう、かな」
「……」
どうしたの、栞。何で黙ってるの。吉田くんが言ってるよ？ 隣で栞に向かって言ってるんだよ？
「そしたら、呼び捨てにできる、じゃん？」
「……」
吉田くん、ほんとに私の隣にいるんだよね。何故だか、すごく吉田くんが遠くに感じる。胸がずきんずきんして、頭も一緒にガンガン言っててすごく痛い。
……どうして、そんなこと言うの？ 何となく、言ってるの？ 他の子にもこんな風に言うの？
なりたい、吉田くんの彼女に。そんな事言われたら嬉しくてたまらない。でも私の事を好きで言ってくれているのかが、わからない。
喉の奥が、痛くて苦しい。
「そういう事、冗談でも言っちゃ駄目だよ」
「え……」
「そういうのは、本当に好きになった子に真剣に言ってあげなくちゃ」
「……」
「じゃないと、誤解する女の子いっぱいいると思うよ？」
「……誤解って？」
吉田くんの声が、小さかった。
「そうやって吉田くんに言われて、嬉しく思って本気になっちゃう子」
吉田くんは黙っていた。
もしかしたら、他の子だったら素直にいいよって言うのかもしれない。でも私は、あなたの心が知りたい。私は、吉田くんが、吉田くんが……好きだよ。
「……あたしみたいに」
「え？」
「あ、じゃあこっちだから。またね」
無理やり笑顔を作って、吉田くんに手を振って駆け出した。思わず、言ってしまった。もう振り向けない。早く、早く走るんだ。
カンカンと警報が鳴り響く踏み切りを、急いで渡る。
電車の音が聞こえた。振り返ると、吉田くんと私の間に電車が通り過ぎて、もう彼の姿は見えない。
……私、何であんな風に言っちゃったんだろ。
本当は嬉しかったのに、素直に喜べばいいのに、哀しくて仕方が無い。涙が急に溢れてくる。何で泣くの？ だったらいいよって、彼女になってもいいよって言えばよかったじゃない。
けど、言えなかった。吉田くんが遠くて、彼の心が全然わからなかった。
さっきの授業中にノートに書いてくれたことが、私のことならいいって、本当は心の中で、吉田くんが好きって言ってくれるのを期待してた。吉田くんに好きになってもらわなくてもいい、なんて思ってたのに。私の事、好きになってくれるわけないって言いながら、期待したりして……ずるい。
こんな子のこと、本気で彼女にしたいだなんて思ってくれるわけがない。
ゆっくり歩いていると、後ろからオレンジ色の夕日が当たって、私の影を伸ばしていた。それはいつもよりずっと長い影で、自分のものではないかのように、手が届かない場所まで伸びていた。
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