廊下を歩きながらあいつらに何を奢ってやろうかと考えていると、隣にいた栞が口を開いた。
「涼、どうしたの? 楽しそう」
「ん? 何でもないよ」
「何? ずるいよ、教えて?」
俺の左腕を叩いて笑いながら顔を覗きこんで来る栞に向かって、突然言いたくなった。
「……好きだよ」
「え」
俺の言葉に、栞が目を丸くして驚く。
「栞のこと。本当に大好きだから」
昨日栞の気持ちを聞いて、俺と同じ様に感じてくれてるのがわかってから、彼女にこうして堂々と伝えられるのも、隣で並んで歩いていられるのも、嬉しくてたまらないんだ。
「あ、うん」
栞は俺から目を逸らして言った。
「涼、あの……恥ずかしいから、こんなとこで」
周りを気にする栞の視線の先を見ると、雨のせいで外に出られない部活の生徒が廊下や昇降口に何人か座っていたり、もちろん俺達みたいに下校する生徒もたくさんいた。今俺が言った言葉が聞こえたのか、やだとか何とかすぐ傍でこっちを向いてきゃーきゃー言っている女の子達もいる。一年生か?
「……駄目?」
俺が顔を覗きこむと、今度は逃げるように顔を逸らす。
「だ、駄目だし、ちょっと……近いんだけど」
「だって何でも言ってって、栞言ったじゃん」
やばい、こんな言い方して嫌われたらどうしよう。いや、もう大丈夫だ、多分。ちょっとだけ自信がついた俺は、今かなり調子に乗っている。ほんとは心臓バクバクだけど。
「言ったけど、それは違うし。……皆見てるよ?」
「別に、関係ないよ」
周りばかり見て、ちっともこっちを向かない栞にちょっとだけ意地悪したくなって、栞を昇降口の壁際に追い詰めて、彼女の耳元にかがんで近付き何度も言った。
「栞、好き」
彼女の胸元で揺れている俺のネクタイを指先で弄ぶ。
「すっごい好き。すっごいす……いでーっ!」
栞が俺の殴られた頬に、湿布の上から指をぐいっと突き立てて来た。こ、これはメチャクチャ痛い! まさかそんな反撃してくるとは思わなかった俺は、ネクタイから離した手で頬を押さえて涙目になりそうなのを堪えた。
「恥ずかしから……やめて」
今度は栞が俺がつけてる彼女のネクタイを引っ張って言った。デートの時とか、昨日だって、二人きりなら栞も結構大胆なんだけどな。
「……やだ。やめない」
「本当に怒るからね」
上目遣いで口を尖らせて怒る栞の顔が、全然怖くなくて可愛かった。
「じゃあ、栞も言ってくれたらやめる」
「え……」
「言って?」
栞が真っ赤になって口を引き結び、肩にかけた鞄をぎゅっと握り締めた。ちょっと我侭言い過ぎたかな。今日の俺はいつもより強気だ。結構イケるんじゃないか? これ。
「……言ってくれないなら、俺もっと言うよ? 栞、すっごいす、」
顔を上げてさっきより大きな声を出すと、栞が珍しく慌てふためいた。
「わかったから!」
栞が背伸びをして、かがんだ俺の耳元に来て小さな声で囁いた。
「……好き」
消えそうな声と、栞の吐息がくすぐったくて、嬉しくて、幸せで堪らない。自分で言っておきながら、栞の声が届いた途端顔が赤くなっていくのがわかる。高野に負けないくらいのデレ顔になりそうなのを、掌を握り締めて必死に堪えながら、さらに栞を困らせることを言った。
「き、聞こえない」
「え?」
栞が戸惑っているのがわかった。でも、もっと聞きたいんだ。こんな漫画にもよくありそうな台詞、まさか自分が使うことになるなんて思ってもみなかったよ、ほんとに。
「全然聞こえなかったから……」
「……」
「もう一回言って?」
栞は目を伏せ、息を吸ってもう一度小さな声を出した。
「……す、」
「え、なに?」
俺のベタな振りに、栞はよっぽど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして涙目で言った。
「先、帰る……!」
彼女が俺の腕をすり抜けて、その場を駆け出した。これはまずい……! 真剣に怒らせた?
「ごめん、栞。待って! ごめん!」
慌てて栞を追いかけるけど、この顔見られたら許してくれなさそうだ。だって嬉しくて、どうしても顔がにやけてしまう。
またいろんな奴にいろいろ言われそうだな。自分の彼女に学校で自分からベタベタしたり、困らせて楽しんだり、好きだって言ってみたり、言ってほしくて我侭言ったり、そんなことしてる自分が俺自身も信じられない。
下駄箱に駆け込んだ栞に追いつき、肩に手を当てて顔を覗きこむ。
「ごめん」
「……」
「ごめんね。もうしない」
「いいよ」
いいよって言ってくれたけど、まだこっちを向いてくれない。
「……調子に乗りすぎて、ゴメン。まだ怒ってる?」
「涼、しつこく怒るの嫌いでしょ? だからもう言わない」
栞が俺を見上げて、諦めたように笑った。
あ……そうか、昨日俺が言ったんだよな、今までの彼女のこと。すぐ謝ってそれでも駄目なら面倒になって別れるって。栞にこんな哀しい顔、させちゃ駄目だ。
「俺、絶対面倒になんてなんないから。栞が何回怒ってもずっと謝るし、許してくれるまで離さない。絶対に別れたりしない」
違うから、栞だけは違うんだ。思わず真剣な顔をして栞に伝える。彼女の肩に置いた手にも、いつの間にか力が入っていた。
「あ、ありがと。わかったから、その……人がいるから、ね? 肩痛いし」
振り向くと、下駄箱にいた周りの奴らがこっちを見て冷やかしている。気付かなかったけど、別クラスの男友達も何人かいて声を掛けてきた。
「涼、必死じゃん」
「え」
「あんまりしつこいと、嫌われるんじゃないの。お前がそういうことしてんの初めて見たけど」
ニヤニヤ笑って俺を見ている。
「う、うるせーな、見んなよ!」
「見たくなくても視界に入ってくるし、丸聞こえだし」
「そうそう。さっきから鈴鹿さん困ってんじゃん。皆見てんの気付かないわけ? お前」
もう一人も会話に入ってきて、下駄箱前の廊下を指差した。さっきとは別の女の子達がこっちを見て何か言ってる。
「鈴鹿さんも大変だね」
「お疲れさま」
二人は笑って栞に手を振り、その場を去った。
「……」
「……」
栞と顔を見合わせて、どちらからともなく目を逸らす。さすがにここまで言われたら、急に俺も恥ずかしくなってきた。
「か、帰ろっか」
「うん」
靴を履き替え、ガラス戸越しに外を見ると、朝と同じ様にしとしとと白くて細い雨が振り続いている。
雨の日になると、傘が無くて立ちすくんでいた栞を思い出しては胸の奥がチクッと痛む。
俺は傘立てに差してあった自分の傘を掴んで、ゆっくり息を吸い込んだ。あの時言えなかった言葉を、彼女に上手く伝えることができるだろうか。
雨の日を待ちわびていた理由を心の中で何度も反芻し、栞に伝える準備を終えた。
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