昨日降っていた雪は家に着く頃には雨に変わり、今日も朝から冷たくて細かい雨がしとしと降り続いていた。
「だから呼べっつうのー!」
「自分で呼び出してやってくりゃいいじゃん」
薄い湿布を頬に貼っている俺の顔を見て、高野が喚いた。
「どうしてお前は、いつも俺を呼んでくれないわけ? ……さぞかし楽しかったんだろうな、おい?」
椅子に座り、鞄から教科書を出している俺の机の前で高野が睨みつけてくる。俺の横で原も話を聞いていた。
「俺は一切手出してないから、別に楽しくもなんともねーよ」
「何、マジで?」
「そうだよ」
俺たちの会話を聞いていたのか、栞が振り向き、高野の横に立った。
「カッコよかったよ、すごく」
カ、カッコいいって……。栞の言葉に俺の顔が赤くなる。
「あれ? 鈴鹿さん……ってことは」
高野は栞と俺の顔を交互に見た。
「何だよ、仲直りしたのか! ま、そういうことなら、行っちゃいけなかったよな」
「へへ」
栞が高野に笑いかけた。おいおい、そんな可愛い顔見せちゃ駄目だっての。
「へへへー。良かったね」
出たよ、高野のデレ顔。
「何で手出さなかったんだよ? やられたんだろ?」
「栞の前で殴るつもりもなかったし、避けてたんだけどさ……避けるなって言われたんだよ、桜井に。栞から逃げないでちゃんと向き合えって。その通りだって思ったから避けんのもやめて、殴られた。それに栞にひどい事言ったんだから、こんくらい受けるべきかなってさ」
俺の言葉に高野は何故か栞の方を向いた。
「そうなのかー」
お前、俺に質問してたんじゃないのかよ。だからその顔やめろっての。栞にデレデレしすぎなんだよ、お前は!
「涼が睨んでるから、俺も気をつけないとな」
「お前は栞がいても、関係なくボコボコにしてやるから安心しとけ」
「涼、高野くんはね」
栞が俺に言った。
「あたしが落ち込んでるの見て、気にかけてくれてたんだよ」
「え?」
「原くんも」
原と栞が、ねーって顔を見合わせている。
「え……いつ?」
俺が聞くと高野が答えた。
「朝、下駄箱で桜井と涼が喧嘩になりそうになった時あったじゃん。お前が教室来る前、鈴鹿さんの様子がおかしかったからさ、ちょっと聞いたんだよ」
空いていた俺の隣の席に座って、原も話し始めた。
「涼と喧嘩して冬休みも逢ってない、どうしようって鈴鹿さんが言うからお前の様子見に行ったんだよ。そこに偶然桜井がいたんだけど」
何だよ、それであそこにいたのか。
「お前に上手くいってんのか聞いても答えようとしないから、鈴鹿さんから少し話し聞いてさ、その後だよ、お前が俺んち来たのは」
俺の知らない所でそんな風にしてくれてたのか。
「……なんか、ほんとありがとな」
そう言って顔を上げると、高野と原は栞と楽しそうに話していて、こっちなんか見ちゃいねー! 俺の話を聞け! 完全に独り言かよ。
「涼、何拗ねてんだよ」
黙り込んで頬杖をつく俺を見て高野が言った。
「別に……」
「あーアレか。ほら得意のヤキモチ、」
無言で高野の太腿に一発入れた。
「いっ!!」
高野は脚を抑えて片足で跳ねている。そのままあっち行ってろ、お前は。
「涼、今度何か奢れよ」
「ああ」
笑って言う原の言葉に頷く。まあ仕方ない、二人には迷惑かけたからな。
授業が始まり、相沢が前から回ってきたプリントを持って振り返った。
「痛そうだな」
さっきの話を聞いていたのか、俺の顔を見て相変わらず無愛想に言った。
「……いてーよ」
「……俺には無理」
ぼそっと言って俺にプリントを渡した後、相沢は何故かこっちを振り向いたまま、じっと見ている。
「な、何だよ」
「抵抗しなかったんだろ?」
「……しねえよ」
「声とかあげんの?」
「覚えてねーよ」
「あのさ……」
「?」
「そんなに好きなら、鈴鹿さんと結婚すれば?」
「なっ何言ってんの?! お前は!!」
俺は大声を出して立ち上がった。
……あ、やべ。授業中じゃん。みんながこっちを見て、どっと笑う。
「どしたー吉田」
ひいい! 現社の安藤だった。こいつに目つけられると面倒くさいんだよ。
「……すんません」
どかっと椅子に座って前を見ると、相沢が前を向いて肩を揺らしてる。また絶対笑ってんだろ、この野郎は。後ろから相沢の椅子を蹴ってやった。……まだ笑ってるよ。俺はノートを破り、書き殴って相沢に渡した。
『俺が桜井の所に行かないで、栞になんかあったらどうするつもりだったんだよ』
『俺と朋美で行こうとしてたけど、多分必要ないって思ってたから』
「なんで」
俺が声をかけると相沢が振り向いた。
「お前が行かないわけないし」
「……」
「俺、鈴鹿さんはその場で絶対桜井のこと断るのわかってたし」
「……」
何だよ、その自信満々な言い方は。……ちょっと嬉しいじゃん。
「ね?」
相沢が栞に笑いかけ、その言葉に栞が振り向いた。
「え……? 何?」
「何でも」
「?」
二人が俺の目の前で見つめあう。相沢、なんだよその優しい顔は! 杉村さんに言うぞ、コラ! 思わず椅子から低い姿勢で立ち上がり、自分の教科書で二人の間を遮った。相沢が俺の教科書を押さえる。
「だから、結婚しろって」
「! う、うるせーな、離せよ」
「いやだ」
俺が教科書を引っ張っても相沢が離さない。破れんだろーが!
「ちょ、離せっての……!」
「はい」
「!!」
相沢が急に離すから、俺は自分の椅子に大きな音を立てて、ひっくり返りそうになって戻った。
「吉田」
安藤にさらに睨まれて、周りからもまた笑われた。相沢なんて机に突っ伏したまま、なかなか起き上がれないでいる。お前最近イメージ全然違うな。寧ろイメチェンか。殻破りたいのか。いい加減笑うのやめとけ。
栞と二人だけなら、余計な事考えなくて済んで、何もかも上手くいくんじゃないかって思ってた。でもそうじゃない。周りがいてくれてさ、俺一人じゃ何もできなかった事とか、わかった事もたくさんあったんだ。
放課後、昇降口へ向かう廊下を歩きながら、栞の隣でそんなことを考えていると、外から雨の音と湿った匂いが届いた。
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