先週の日曜日からずっと俺の頭の中で、同じ台詞が栞の声でリピートされている。
家に男の子呼ぶの初めてなの 初めてなの 初めてなの
お、落ち着け! 今日は栞だけじゃなくて、家族皆がいるんだ。何も二人きりな訳じゃないんだし。つーか、お父さんもいるらしいしな。かなり緊張する。
いつもデートの後ここまで送っては来るけど、家の中に入るのは初めてだ。一戸建ての玄関の前で、栞が俺の顔を見て笑った。
「緊張してる?」
「……うん」
「先週のあたしと同じだね。大丈夫だよ」
鍵を差込みドアノブに手を掛け開けると、待ち構えていたのか栞のお母さんがすぐに現れた。
「こんにちは。いらっしゃい」
「こんにちは。お邪魔します」
あ……栞の家の匂いだ。ちょっと感動するな、これ。
「お茶入れるから、こっちへどうぞ」
優しそうなお母さんだ。うん、取り敢えずは大丈夫な感じ。
「えー、リビング行かなきゃ駄目?」
初めて見る栞のこんな口調と表情が何だか新鮮だ。
「お父さんもいるし、ちょっとだけ。ね?」
お、お父さん! 途端に緊張が全身を駆け巡る俺に、お母さんがにっこり笑った。
「ちゃんと挨拶すれば大丈夫よー」
「あ、はい」
お母さんと栞の後に続きリビングに入る。そこはすっきりとしていて、窓が大きくて明るかった。
「ただいま、お父さん」
「ああ。お帰り」
お父さん……大きい観葉植物の隣にあるソファに座って、背中向けたまんまだよ。オ、オーラが半端ねえ!
「こんにちは」
思い切って声を掛けると、お父さんはこちらを振り向いた。
「ああ、どうぞごゆっくり」
う……名前くらい言うべきか。
「吉田です。お邪魔します」
「……栞の父です」
「……」
「……」
え、終わり? やべえ、どうしよう。怖い、怖すぎる。
「涼、あたしちょっと部屋行ってくるから、座っててこっち」
ちょっと、え、マジで? 栞ちゃん! この状況で置いてかないでくれ! 必死に目で訴え念を送るけど、いつも通り鈍い栞にそんなことは伝わるはずもなく……やっぱりさっさと行ってしまった。
「俺、弟」
元気な声が後ろから聞こえた。振り向くとダイニングテーブルに男が座っている。
「弟?」
「そう、健太。中2。よろしく」
ああ、前に栞が言ってた弟か。うっわ、栞にそっくりじゃん。
「あ、よろしく」
「さ、座って。コーヒーでいい?」
「はい。すみません」
お母さんはテーブルにカップを置くと、カウンターの向こうのキッチンへ行ってしまった。椅子に座りコーヒーをひとくち飲む。少しだけホッとして顔を上げると、栞の弟が俺の顔をじっと見つめていた。
「な、何?」
「もしかして夏にねーちゃんに金魚あげた?」
「……ああ。あげたよ」
「やっぱし」
健太はニヤッと笑った。何だ?
「ねーちゃん、全然俺に餌やらしてくんねーの」
健太は口を尖らせた。栞とおんなじ顔して可愛いなおい。
「でさ、金魚見てずっとニヤニヤしてんだぜ?」
「……」
「そりゃそうだよな。こんなカッコイイ奴がくれたら、ニヤニヤしっぱなしだよなー」
カ、カッコイイって。ちょっと嬉しいけどさ。そうか、金魚喜んでたんだ。俺の知らない栞の話を聞けて、顔が綻ぶ。
健太は置いてあったボールペンを握って、メモ用紙に何か書き出した。それにしても顔はそっくりだけど、栞とはまた全然違う雰囲気だな。よくしゃべるし、人見知りしないし。
「はい」
突然健太は、俺の顔の前にメモ用紙を突き出した。
『もうねーちゃんとやった?』
「えっ!」
お前は高野か! おいおい、後ろ向いてるけどお父さんすぐそこにいるぞ。勘弁してくれよ。
「ふーんまだか。じゃあさ」
まだか、ってその一言で、お父さん絶対反応してるって。耳でかくなってるって。健太はもう一枚メモ用紙に書き出した。
『キスした?』
だから健太、空気いい!! お前の父ちゃんそこにいるんだから、読めよ!
「ま、そりゃしたよな」
俺何にも言ってませんから! お父さん、想像しないで下さい! そこへ栞が戻ってきた。
「あ、ごめんね。大丈夫、け、健太!」
栞は目の前のメモを見て、顔を真っ赤にした。
「やべーやべー」
「何これ! もう……ご、ごめんね?」
「大丈夫」
「んだよ、俺まだ聞きたい事あったのにー」
健太、お前それ以上何書こうとしてたんだ。
「それにしても、本当にいい男ね〜。栞の言うとおり」
お母さんは健太の隣に座って、俺に言った。
「え……」
「ちょっとお母さん!」
「だって金魚のこと教えてくれた時言ってたじゃない。めちゃくちゃカッコよくて、すごくモテるって」
それ、俺が片思いしてた頃のことだよな。う、嬉しい。
「で、栞のどこがいいの? 好きって言われて好きになった感じ?」
お母さんあの、そこにお父さんいるし……って、何か健太と似てるな。
「もう、困ってるでしょ。おしまい」
「ねーちゃんがしつこかったんじゃないのー?」
いやそれは絶対ない。それだけは、違うんだ。
「俺が……彼女にずっと片思いしてたんです」
一斉に皆が振り向いた。お父さんまで振り返ったよ。
「俺が彼女のこと好きで、ずっと片思いしてて言えなかったんです」
恥ずかしいけど事実だからな。栞がしつこかったなんて、それは絶対に違うから。
「う、嘘だろ」
「嘘じゃないよ」
うろたえる健太とは逆に、お母さんは目を輝かせている。
「じゃあ……お母さん言ったこと当たってたじゃない! きっと片思いしてるって、誰かに」
「え?」
「今までずっと彼女もいて告白もされてたのに、一人でいたんでしょ? そりゃこんなにいい男なんだから、ほっておかれないもんねえ。それで私、栞に言ったのよ。その人きっと片思いしてるんじゃないかって。それ栞のことだったの?」
「……う、はい」
俺、また顔真っ赤だよ。それにしてもうちもそうだけどさ、母親って何でこんなに鋭いんだ。
俯いていた俺に、何と今度はお父さんが声を掛けてきた。
「栞のどこがそんなに気に入ったんだ?」
「お父さん、」
「いいから。どこがそんなにいいんだ?」
お母さんの言葉を制して、強い口調を俺に向ける。
「……」
もしやこれは、試されている? そうだ、俺が栞に見合う男かどうか試されているんだ。ここはちゃんといかないとダメだよな。
「他の……女の子達と、全然違うんです。きちんと話をしてくれて、落ち着いてて、何の見返りも求めないでいてくれて、傍にいると自分が自分じゃないみたいで、」
「で?」
膝の上で握り締めている両手に力をこめる。
「……優しくて、正直で、可愛くて、とにかく……ぜ、全部好きです」
正直に言ったけど、よく考えたら何で栞の家族全員の前で、こんなこと告白しなきゃならないんだ……! 栞も横で俯いてた。そりゃ恥ずかしいよな。俺も死ぬほど恥ずかしい。けど、わかってもらう為には仕方のないことだ。
「そんなにいいかね〜」
お父さんの感心したような、少し呆れた様な声に顔を上げる。
「買いかぶりすぎだと思うけど。栞良かったな、こんなに褒めてもらって。お前、生まれてから今までで一番褒められたんじゃないのか」
お父さんは少しだけ口の端をあげて静かに笑った。
な、何なんですかそれ! 俺馬鹿みたいじゃないですか、真面目に答えちゃって! それにしても栞の落ち着いた性格はお父さん譲りっぽいな。
「……ほんと失礼なんですけど」
不満げに呟く栞に健太が笑った。
「お父さんの言う通りだよ。まだねーちゃんのこと知らなすぎるって。ねーちゃん実はさ、」
「健太!」
「な? すげえ怖いし、人のプリンとか全部食っちゃうんだぜ?」
健太は椅子から身を乗り出して、俺にこそっと言った。
「も、もう皆して……! あたしの部屋行こ」
栞が俺の背中を優しく叩く。
「夕飯食べていきなさい」
ソファから立ち上がったお父さんが、俺の顔を見て言った。
「あ、ありがとうございます」
「いやった! 俺、鉄板焼きがいい! 皆で食お!」
「じゃあ買い物行かなくちゃ。お父さん車出して」
「健太も行くか。手伝え」
「肉いっぱいいい?」
「少し遠慮しろお前は」
皆は俺と栞を置いて、さっさと買い物へ出かけてしまった。
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