カルボナーラとフレンチトースト 続編
(8)光る石の決心
「よく晴れてるね」
約束をした日曜日。彰一さんと一緒に、外国人墓地の脇を通り、紅葉の始まった木々の坂道を上って、港の見える丘公園へ来た。
久しぶりに見る彰一さんの私服姿。相変わらず、私好みのシンプルな服装と黒縁メガネに胸がドキドキする。さっき車の中で、彰一さんも私の新しいワンピースを、可愛いねって言ってくれた。こんな少しのことなのに、すごく幸せ……!
今日はいい天気。海も遠くまで見渡せて、ベイブリッジもはっきり見える。少し風が強いせいか、人もまばらなベンチへ二人で座った。
「寒くない?」
「少しだけ」
風に吹かれて乱れた髪を、彰一さんが直してくれる。
「優菜ちゃんさ、」
「はい」
「二年前の三連休、俺が初めて優菜ちゃんちに行った時のこと覚えてる?」
「うん、覚えてる」
あの、大失敗連続の日。
思い出したくないこともあるけど、初めて彰一さんと一緒に一晩過ごした大事な日だから、絶対に忘れたりしない。
「実は俺……全部見えてたんだよ。優菜ちゃんがクローゼットに何か隠してたの」
「え!」
「後ろ向いててって言われた通りにしたら、目の前に鏡があってさ、そこに全部映ってた」
「ほ、ほんとに?」
う、ううう嘘でしょ!? でも確かに、模様替えする前はあの場所に鏡があったかも……。必死に記憶をたぐり寄せるけど、ちょっとしか思い出せない。
「それから、トイレに入っちゃ駄目だって俺のセーター掴んでさ。その後、トイレから出て来た優菜ちゃんの背中が膨らんでた」
彰一さんは思い出し笑いをしながら、私の髪を撫でた。
や、やめてー! 絶対バレてないって思ってたのに……! どうしよう。恥ずかしすぎて、本気で頭がクラクラしてきた。
「あの時、一生懸命な優菜ちゃんに感動したんだ、俺」
遠くを見つめた彼の視線の先を、呼吸を整えながら一緒に追いかけてみる。
冬の色を見せ始めた海には大きな客船が浮かんで、その上空をカモメが何羽も飛び交っていた。
「料理作ってる間もいろんな音がして、どんだけ頑張ってんだよって思ったら、ここがすごく痛くなった」
彰一さんは私の髪から手を離し、自分の胸元へ当てた。
「大事にしなきゃいけないって……心から思ったんだ」
私を振り向いた彰一さんが微笑む。
「カルボナーラ美味しかったよ、ほんとに。嘘じゃない」
「……彰一さん」
「これからも優菜ちゃんの作ったもの食べたいんだけど、いい?」
「うん。私、もっと上手になるように頑張る。変なもの、彰一さんに食べさせないように」
その言葉に彼が笑って、私の左手を取った。
「この前、会社の資料庫で言っちゃいそうだったんだけど、頑張って我慢したんだ」
「?」
左手の薬指に、ひんやりとしたものを感じた。
「……」
「痛くない? 合ってるかな」
どうしたんだろう。声が出ない。
「気に入ってくれると、嬉しいんだけど」
私の薬指に、キラキラ光ってるのは何だろう。綺麗なのはわかるのに、滲んでしまって、よく見えない。
「優菜ちゃん、俺と」
「……」
「……結婚してください」
彼の顔を見ようと視線を上げて振り向いた途端、溜まっていた涙が零れ落ちた。それを拭ってくれる、優しい指。
「……私」
「うん」
「麺とか固く茹でちゃうし、しょ、しょっぱいし」
「うん」
「フライパンも、思いっきり落とすし……」
「……」
「しっぱい、しっ……ぱいばっかり、して」
胸の奥から次々と何かが込み上げて、それが全部涙に変わっていって、全然上手く伝えられない。
「……知ってるよ」
「……いいの?」
「優菜ちゃんが俺のためにうんと頑張ってくれてるの、全部わかってるって前に言ったの、覚えてる?」
「う、ん」
「それはずっと変わらないよ。わかってるから。だから失敗したって
全然いいんだよ、俺」
「彰一さん」
「忙しい時も仕事の邪魔しないようにしてくれて、不満も言わない優菜
ちゃんの気持ち、きちんと受け止める覚悟、決めたから」
「……」
「言わせないんじゃなくて、優菜ちゃんが俺にちゃんと言える様に」
変だよ私。嬉しくてたまらないのに、ちっとも涙が止まらない。
「だから、もう一度言う」
「……」
「結婚してください」
彰一さんは俯いて私の左手を見つめた。
「……し、します」
「……」
「結婚、します。彰一さんと」
顔を上げた彰一さんが、私を真剣な瞳で見つめた。何度か見たことのあるこの表情。……大好き。
「私彰一さんと、ずっと一緒にいたい」
「……」
「彰一さんがつらい時、隣にいたいの。出来れば支えてあげたい」
「……ありがとう、優菜ちゃん」
彼は私の左手を取って、身体ごと抱き寄せた。
「俺もだよ。優菜ちゃんがつらい時、この前みたいに一緒にいたいんだ。すぐ傍にいられる場所に」
彰一さんは私を強く、うんと強く抱き締めてくれた。今までで一番強く。それに答える様に、私も彼の背中に手を回してしがみつく。
素敵な景色が広がっているはずなのに、きっと周りには誰かがいるはずなのに、もう彰一さんしか目に入らない。
不思議、こんなことがあるなんて。自分の気持ちと同じ気持ちが、彼の私を抱き締める手の力から流れ込んでくる。
私が好きだと思うように、彼も私を好き。
こんな奇跡、本当にあるんだ。
薬指から広がって、身体も心の中も全部、魔法がかかってしまったみたいに、今まで感じたことがないくらい幸せな気持ちに包まれてる。
これからずっとずっと、一緒なんだよね?
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