カルボナーラとフレンチトースト 続編

(7) 夢から覚めた時




 ずいぶん眠ったみたい。頭が痛いのも気持ちが悪いのも、すっかり消えてなくなってる。
 今、何時だろう。

 薄暗い部屋の中で枕元のケータイを見ると、時間は夜中の12時。
 でも……やっぱり私、まだ熱があるんだ。もしかしたら夢の続きを見ているのかもしれない。だってこんなの、有り得ない。
 ケータイに手を伸ばした時の感触。いつもの知ってる匂い。私の身体は、後ろからあたたかい腕に包まれてる。

 勝手に涙が溢れてきて、ぐすぐすと鼻をすすった。
「……優菜ちゃん、どうしたの?」
 起き抜けの、低くて掠れてる大好きな彼の声。
「……なんで彰一さん、ここにいるの?」
「こっち向いて」
「どうして……秋子?」
「うん。俺の会社用の携帯にかけてきた」
「ダメって言ったのに」
「なんでダメ?」
「ダメだよ。絶対ダメ。彰一さん帰って。まだ電車あるから」
 首を横にぶんぶん振って彼の腕から必死に逃げようとするけど、強い力で引っ張られて戻されてしまう。
「風邪移るよ。明日大事な会議でしょ? こんなとこにいちゃダメ」
「いやだ」
「お願い。邪魔したくないの。迷惑になりたくないから」

「優菜ちゃん」
「……」
「それ以上言ったら、本気で怒るよ」
 いつもと違う彼の声が背中に響いた。
「何で呼ばないんだよ。何の為に俺がいるのかわかってんの?」
「でも」
「三田さんに聞いた。熱出して眠りながら、俺の名前呼んでるって」
 なに、それ。じゃあ私が、彰一さんをここに来させちゃったってこと?  結局迷惑かけてる自分に情けなくなって、胸の奥がまたひとつ重たくなった。
「ごめん。俺が、そこまで我慢させちゃったんだろうけど」
「違うよ。なんで彰一さんが謝るの? いつも」
「……」
「全然悪くなんてないのに、いつも謝って、」
「優菜ちゃんに、甘えてるからだよ」
 彼は私の言葉を遮って、落ち着いた声で言った。
「謝ればきっとわかってくれるって、勝手に思い込んでるとこあったんだ、俺」
 私を身体ごと自分の方へと振り向かせて、話を続ける。
「考えなくてもわかるのに、優菜ちゃんの不安も気付かない振りしてた。二人で全然会えなくても、電話で話せなくても、メールに返事しなくても、会社で会えるから大丈夫だろって」
「……」
「甘えてたんだ」
 彰一さんは目を伏せて苦笑いしながら、布団を掛け直してくれた。

「だから今度は優菜ちゃんの番」
「?」
「今まで我慢した分、思いっきり甘えていいし、俺に言いたかった不満とか全部ぶちまけな。引っぱたいてもいいし」
「……彰一さん」
「電話くらいしろとか、メールで返事するのなんか数秒のくせにとか、できない約束するな、とか」
「……」
「彰一の馬鹿! 大っ嫌い! とか、あとは……仕事と私どっちが大事なの? とか」
 いつの間にか私、泣き笑いになってた。
「……何か無いの?」
「彰一さんが全部、先に言っちゃった」
「優菜ちゃんが呼ぶんだったら、忙しくてもここに来るよ、俺」
 私の髪を優しく撫でてくれる大きな手。
「絶対に無理なんてこと、年に一度あるかないかなんだからさ。時間はかかるかもしれないけど、優菜ちゃんのとこ行くから、必ず」
 彰一さんの胸元を掴んで彼の瞳を見つめる。
「我慢しないで呼ぶんだよ?」
「……いいの?」
「いいに決まってる。じゃなかったら優菜ちゃんの何なんだよ、俺」
「……」
「わかった?」
「うん」
 外から、道路を走っていくバイクの音が聞こえた。

「あんまりほっとくと、変な虫がついたらいやだし」
「虫?」
「岡崎。あいつになんかされてない?」
「え、全然だよ。そんなこと言ったら、彰一さんだって」
 言っちゃった。でももう大丈夫だよね?
「……富山さん?」
「うん」
「彼女、仕事の相談してきたんだよ。優菜ちゃんに迷惑かけてるからって」
「私に?」
「そう。だから断れなかった。あとは……岡崎の悪口かな。延々と」
 呆れたように彰一さんが笑った。
「それ私も聞いた事ある。岡崎くんも富山さんのこと言うの」
「ほんとはあの二人、仲がいいのかもしれないね」
 確かにそうかも。普段は二人ともそんなことないのに、お互いのことになるとムキになってるもんね。

「三田さんが『優菜はただの風邪だから! インフルじゃないから来てあげて!』って力説してたよ。おもしろいよね、彼女」
 あ、秋子ってば……! でも感謝してる。私が眠るまで傍にいてくれた秋子に、明日会社でちゃんとお礼を言おう。
「ねえ、彰一さん、いつからお布団の中にいたの?」
「いつって……部屋に入ってベッドの横に座ったら、優菜ちゃんが来てって言うから。何にも覚えてないの?」
「うん、知らない」
 寝ぼけてたんだ、私。
「いくら何でも勝手に布団に入ったりしないよ。目が覚めていきなり俺が隣にいたら怖くない?」
 微笑んだ彰一さんは私の頬を撫でた。
「全然、怖くなんてなかった。夢だと思ってたの。嬉しかった」
「泣いてたよ。ずっと目つぶってたけど」
「……ありがとう、彰一さん」

 彼は体制を変えながら私の頭を少し持ち上げて、腕枕をしてくれた。反対の手で私の手を握っている。彼の呼吸と心臓の音にすごく安心して、何だか急にすごく眠たい。
「今度の日曜、あの公園行こう」
「日曜?」
「今年は連休じゃなかったからさ、祝日にしようか迷ったんだけど、日曜なら優菜ちゃんも元気になってるんじゃない?」
「公園……」
「港が見える、丘の公園。覚えてる?」
 優しい声が私の身体へ馴染んでいく度に、ぼんやりと心地いい感覚に連れて行かれそうになる。
「……うん。行きたい」
「だったらもう、ゆっくり眠った方がいい。そしたらすぐに良くなるよ。朝までここにいるから」
「ほんとにいいの?」
「いいから来てるんだよ。明日の会議で忙しいのも終わるから、心配しなくていい」
 彰一さんは腕枕をしている方の手で、私の肩を強く抱き寄せた。
「寒くない?」
「うん。あったかい」

 久しぶりに彼の匂いと体温に包まれた私は、あっという間にまた、眠りへと落ちていった。



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