ななおさん
番外編 次の冬まで
桜海老とそら豆の天ぷらは粗塩でいただこう。カツオのたたきは青ネギをたくさん散らして、生姜をすりおろして……。
もうすぐ帰るとメールをくれた壮介さんを待ちながら夕食の準備をする。初夏の陽気は夜が訪れても寂しさを感じさせなくて好きだった。時計を見上げると、もうすぐ八時。その時玄関のドア鍵を回す音が聴こえた。手を休めて、急いで彼の元へ向かう。
「お帰りなさい」
「ただいま」
靴を脱いだ彼は玄関から上がると、かがんで私にそっと唇を重ねた。最近の習慣になっているとはいえ、まだ何となく照れてしまう。
リビングへ歩き出した壮介さんのあとについていくと、突然歩みを止めた彼の背中にぶつかってしまった。
「……とうとう、やっちゃったね。七緒さん」
壮介さんは大きく溜息を吐きながら、その場にへなへなとしゃがみ込んだ。
「ど、どうしたの!? 具合悪いの?」
鞄を床に置いた壮介さんはスーツ姿でうな垂れたまま、和室を指差した。あ、早速気付いたのね。
「ごめんね。片付けちゃった、コタツ」
「いや、いいんだ。もうゴールデンウィーク過ぎたし、今日いい天気だったし、こうなることは予想してたから」
ふらりと立ち上がった彼は、あーあ、と言いながら二階へ上がって行った。可哀相だけど、いい加減すっきりさせたかったし、いいよね。
ダイニングテーブルに夕食を並べた。ここで二人でご飯を食べるのは久しぶりかも。席に着いた彼に問いかける。
「テレビつける?」
「いや、つけなくていいけど……僕もそっちがいい」
「え?」
立ち上がって私の隣へ座った壮介さんが、テーブルに載っていた彼用のグラスやおかずを私の隣へ並べ替えた。
「じゃあ、私がそっち行く?」
「いーの。七緒さんはそこにいてよ」
何だか聞き覚えのある台詞。
この家に住むことになった初日の夜もこんなふうに、私の寝ていた二階の和室へ壮介さんが自分の布団を持って押し掛けて来たっけ。何だかおかしくて、思いだし笑いをしてしまった。
「何?」
「ううん、何でも」
「変な七緒さん」
彼はビールを飲みながら熱々の天ぷらを口にした。美味しい? って訊くと、すごく美味しいよ、と私のすぐ横で笑ってくれた。……幸せ。
食事の後片付けをし、ソファに座ってテレビの電源を入れた。二階から下りてきた彼が私の前に来る。
「片付けお疲れ様」
「うん」
隣へ勢いよく座った壮介さんは仰向けになり、両足をソファの端に載せた。タブレットを膝に置いてタッチしながら、私の右半身を背もたれにして寄り掛かっている。
彼の髪が私の右肩にふわふわと触れ、ヘアワックスの香りが鼻先に届いた。こんなふうに体を預けてくれるのは嬉しいし、彼の体温を感じるのは幸せなんだけれど。
「壮介さん」
「なに?」
「お、重いよ……」
「そう? 僕は気持ちいいけど。七緒さん柔らかいな〜」
そりゃそうでしょ、と言い返したかったけど、お仕事みたいだったから、黙ってそのままの姿勢で耐えながらテレビに目を向けた。
五分ほどして起き上がった壮介さんが、リビングの端にある収納扉を開けて何かを探り始めた。やれやれと腕を伸ばして伸びをする。和室に移動した壮介さんが私を呼んだ。
「七緒さん、ちょっとこっち来て」
「はい」
畳の上に正座をしている。
「ここ座って」
「?」
言われた通り私も正座をすると、その場でごろんと転がった彼が私の膝に頭を載せて来た。
「な、なに?」
「耳かきして」
動揺する私に耳かきとティッシュを一枚差し出した。収納から出して来たのはこれだったのね。
「え、いいけど……。どうしたの? 急に」
「いいでしょ。早く」
今までそんなこと一度も言ったことがなかったのに。膝枕も初めてだし。緊張しながら耳かきを手にして彼の耳にそっとあてた。
「痛かったら言ってね?」
「うん」
されるがままに大人しくしている彼が子どもみたいで、何だか私の方がくすぐったい。壮介さん、何だか今日はいつにも増して甘えん坊じゃない?
耳掻きを終えた頃、お風呂にお湯が溜まったサインのお知らせ音が鳴り響いた。私の膝から起き上がった彼が、満足そうな顔で言った。
「ありがとね。七緒さん、風呂先入っていいよ。僕はまだ仕事のメールチェックしたいから」
「うん。じゃあ、お先にいただきます」
着替えを持って脱衣所へ入る。今日の入浴剤は桜の香りにしようかな。季節は過ぎたけれど、とてもリラックスできるから。
それに。
シャワーを浴び、入浴剤を湯船に入れる。桜の香りが湯気と共に立ち昇った。そっと足を入れてお湯に浸かりながら、旅先での桜を思い出していた。
河津桜……本当に綺麗だった。あの時感じた彼への思いを大切にしたい。いつまでも失くさないように、ずっと。
「七緒さん、気持ちいい?」
脱衣所の方から彼の声がして驚く。今まで声を掛けてくることなんてなかったのに。耳かきのことといい、今日は本当にどうしちゃったんだろう。
「はい。いいお湯です」
「じゃあ僕も入ろーっと」
「え!」
振り向いた時には入口のドアが開いていた。既に服を脱いでいた彼から慌てて顔を逸らす。
「な、な、ちょっとどうしたの?」
「いいじゃない別に。夫婦なんだから」
シャワーを浴びている彼に背を向けた。河津の旅館では一緒に入ったけど、家では初めてだから妙に恥ずかしい。湯船に入って来た彼に、後ろから抱きすくめられた。
「たまにはいいね。こういうのも」
「うん……」
しばらくそうして浸かった後、浴槽から出た私の背中を壮介さんが洗ってくれた。お返しに彼の背中を洗ってあげると、とても喜んでくれ、今度はシャワーで私の体に付いた泡をさっと流してくれた。次に自分の体を流した壮介さんは、今度は私を立ち上がらせ、再び私の体にシャワーをあて、空いている方の手で泡が残っていないか確認した。あまり見られたくはない、隅々まで。結構な明るさの中で丸見えになっている自分の姿に恥ずかしくなって身を縮めていると、彼の指が、いつの間にか太腿の付け根から奥……私の中へと入って来た。
「あっ……!」
驚いて腰を引くと、シャワーを止めた壮介さんに顎を持ち上げられ、激しく唇を塞がれた。舌を強く吸い取られたあと、口内を何度も舐め回される。
「ん、んーー……!!」
両手の空いた壮介さんは、深いキスを続けながら私の体中に指を這わせた。柔らかな感触に身をよじらせながら、やっとの思いで顔を離して、上がる息と共に言葉を吐きだした。
「ま、待って。お風呂でなんて、駄目」
充満する桜の香りに酔ってしまいそう。
「何で駄目なの?」
「だって恥ずかし……壮介さ、あ……ん!」
再び私の中へ指を入れた彼は優しく何度も出し入れし、ぬめりの付いた指で普段隠れている敏感な部分を摘まんだ。痺れるような感覚に貫かれて、下半身がこの上なく甘く疼く。
「!!」
声にならない声を上げ、体を仰け反らせた私の反応を見て彼の瞳の色が変わった。かがんで私の胸に吸い付き、穏やかな口調で訊ねてくる。
「僕、もう我慢できないから、いいよね?」
上手く立っていられず、おいでと言われて仕方なく一緒に湯船に浸かった。誘導されるままに、座る壮介さんの上に跨り、硬くなった熱い彼自身をあてがって、ゆっくりと腰を沈めていった。滑りはあるはずなのに、なかなか奥へ進まない。
「なんか、お湯の中って……」
きしきしした感じがいつもと違う。
「……キツイね。僕はいいけど、七緒さん平気?」
顔を歪めて苦しそうな声で囁く彼に、何とも言えないたまらない気持ちになり、首に手を回してしがみついた。
「私も、いい、です。……すごく」
好き、と壮介さんの耳元に唇をあてて囁くと、彼も嬉しそうに同じ言葉を言い返してくれた。
「素直な七緒さん、可愛いよ」
水音と共に下から激しく突き上げられて、彼を内いっぱいに感じながら、声が外に漏れ聴こえないようキスで唇を塞いでもらったり、彼の指を咥えて……悦びに堪えた。
ずいぶんと時間が経っていた。
お風呂から出て着替えた私たちは、手を繋いで二階の和室へ上がった。あのあと髪を洗いっこして、その後も結局また……してしまった。
「すごかったね七緒さん。意外と、ああいう場所でするのが好きなんだ?」
意地悪く笑う壮介さんの言葉に顔が熱くなった。悔しいけれど彼の言う通り、感じまくってしまったのは本当なわけで……返す言葉が見つからない。
ぐったりしていた私の代わりに、壮介さんがお布団を敷いてくれた。並んだ二組のお布団のひとつに、そろそろと横になる。洗いたてのリネン生地のカバーが気持ちいい。
「僕もそっちがいい」
電気を消した壮介さんが言った。
「え」
返事をする間もなく、彼がごそごそと布団に入って来て、私を腕の中へと閉じ込めた。
「壮介さん」
「なに?」
「今日変じゃない? どうしてそんなにくっつきたがるの?」
「別に変じゃないでしょ」
「何だか、いつもと違うなって感じたんだけど」
テーブルに並んで着いたり、ソファでベッタリ寄り掛かってきたり、耳かきも、お風呂も。いつも以上に密着してたよね。
目が慣れて来たのか、障子から差し込む月明かりで壮介さんの顔が良く見えた。私の問い掛けに彼が小さく溜息を吐く。
「だって、コタツしまっちゃったから」
「コタツしまうと、どうして私にくっついてくるの?」
「あったかいから」
「そんなに寒いの?」
「別に寒くないけど、七緒さんにくっついてるとコタツみたいで安心するんだよ」
コタツみたいって……。何だか変な答えに笑ってしまう。
「……私も、壮介さんとくっつくと安心する」
「でしょ?」
嬉しそうに私の髪を撫でる彼に、ふと頭に浮かんだものを質問してみた。
「あの」
「ん?」
「もしかして、これってコタツ出すまで続くの?」
「そうだよ。次の冬まで覚悟してね」
ぎゅーっと私を抱き締めた壮介さんは、疲れたのか、すぐに寝息を立て始めた。
彼の腕に包まれて、この上ない幸せを噛み締める。
真夏はどうするんだろう、なんていう、もう一つの疑問は一旦横へ置いておいて、桜の香りの残る壮介さんの胸に顔を押し付け、ゆっくりと瞼を閉じた。