「気持ちいいですね!」
「ああ。いい天気になって良かった」
永志さんの車に乗せてもらい、三十分ほどで到着した都内の歴史ある大きなお寺。
まずは山門を抜け、本堂の前でお参りをする。
えーと……神社じゃなくてもお願いしていいんだっけ? いいんだよね? お賽銭をして手を合わせる。
椅子カフェ堂が安泰でいられますように。ずっとずっと永志さんの傍にいられたら嬉しいです。それから永志さんと職人さんと私の三人で仲良くお店を続けていけますように。和フェアがうまくいきますように。あと永志さんが前に言ってた、来年辺りに二人でずっと一緒にいる、って一緒に住むってことですか? それ私の勘違いじゃないですよね? またポジティブ過ぎかもしれないのかな。ううん、毎日一緒にいたいって言ってくれたんだから、そこは勘違いじゃないと思う。でも改めて聞くのもしつこい女だと思われたら嫌だし……。さりげなく今度訊いてみようかな。昨夜は私、
「……ぷ」
横から噴き出す音が聴こえた。そっと目を開けて永志さんを振り向くと、私を見下ろしている彼が口を押えて笑いを堪えていた。
「くるみちゃん、願い事長いね〜。三十個くらいお願いしたの?」
「ち、違います! そんなにたくさんは願ってない、です」
恥ずかしい……! 観音様ごめんなさい。余計な事考えすぎました。
本堂を離れると彼が私の手を取り、蚤の市の方へ歩みを変えた。
参道から離れたところで雀が数羽戯れている。良い天気だけど明らかに夏の陽射しとは違う。少し陰のある弱く傾いた日の光と朝の清々しく肌寒い空気は、秋独特の雰囲気を運んで来たように思えた。
「叶うといいね。くるみちゃんの願い事」
「はい」
「俺が叶えてあげられることだったら、いくらでも協力するよ」
優しい声。永志さんの手、温かいな。
「じゃあ、お願いします」
「おう、まかしとけ! で、何願ったの?」
「永志さんとずっと一緒にいたいなって」
一瞬立ち止まった彼が私を見下ろして言った。
「そういうことは俺に直接言いなさい。当たり前に叶えるから」
「わかりました」
笑って永志さんの腕に顔を押し付けると、手を離した彼が肩を抱いてくれた。
広い広い境内にたくさんの出店が連なっている。
ポールに掛けられた着物が延々と並ぶ場所。その横に色とりどりの帯締めがずらりと並んだ机。そこを通り過ぎると、傷のついたやかんや、どっしりとした大小の鉄瓶、切子細工のガラスや焼き物の器が置かれたお店が延々と続いていた。合間に丁寧に綴じられた和紙のノートや古い万年筆を置く文具の店や、持ち手付のあけび籠がどっさり置かれている店、古いべっこうの簪が置いてあるお店なんかもあって、正直どこを見ていいのかわからないくらい、たくさんの素敵な出店に出逢ったことに驚いていた。
そして古道具を主に出している出店に来た時、思わず大きな声を上げてしまった。
「すごい〜!」
焦げ茶色になった大きさの異なる和箪笥、様々な形の電傘や丸いちゃぶ台、椅子カフェ堂に置いてあるレジスターにそっくりなものが数台あった。
「くるみちゃん大丈夫? 興奮しすぎて倒れないでよ?」
彼が隣でクスクス笑っている。
「だ、大丈夫です。なんかもう感激しちゃって……! あれもこれも全部欲しいです」
「やっぱり古いものが好きなんだな〜」
「はい。でも後悔してます。何だか勿体ない事してたなって」
「え、何で?」
「今まではヨーロッパの古いものにしか目がいってなかったんです。だから今日は日本の良さがわかる蚤の市に連れてきてもらって本当に良かったです。永志さん、ありがとう」
「大げさだな、くるみちゃんは。気に入ったのあったら何でも買っていいよ。店に置くものは経費で出すから」
「ありがとうございます。でも、買ってもらうばかりじゃ悪いから、何かお礼をさせてください」
次の出店に向かいながらゆっくり歩いていると、傍にある大きな樹の上で鳥が高い鳴き声を上げながら飛び立った。立ち止まって顎に手を当てて首を傾げた永志さんが私に言った。
「ん〜……お礼なら、昨夜たくさんしてもらったから別にいいよ」
「昨夜?」
昨夜したことと言えば……。
彼の家にお泊りして、この前宣言したように私が出来なかったから、その代わり口でします、って冗談で言ったのを結局……実行してしまった、わけ、で。思い出して一気に顔が熱くなった。
こんな健全な神聖な場所で思い出させるなんて、駄目だよもう……!
「今度はもっといろいろ教えてあげるね」
彼がにっこり笑って言った。
「い、いろいろって?」
既にもう結構たくさん教わった気がするんだけど、まだ私の全然知らない世界がたくさんあるってこと? 皆そんなにいろんなことしてるものなの? 両頬に両手をあてて、赤くなってるのを隠してみる。
「ははっ、くるみちゃんは可愛いなぁ。全部顔に出てるよ」
隠した意味、全くありませんでした。
「そういう顔、俺以外の前でしちゃ駄目だよ?」
「……はい」
「よしよし」
私の肩をぎゅっと抱いた彼が、自分へ引き寄せた。顔を見合わせてから照れ隠しに笑って、また一緒に歩き始めた。
元々の目的だった焼き物の器と、ガラスの器を数個ずつ手に入れ、珍しい口の急須や、古い布から出来た裂き織コースターを数枚、どれも椅子カフェ堂に置いても違和感のないシンプルなものを選んで購入した。途中、近くのお蕎麦屋さんで昼食を取って、その後も蚤の市を回ったけれど、出店の数が多すぎて全部を見ることが出来なかったのが、本当に残念。
戦利品を彼の車の後部座席に置いてから、助手席に座った。膝の上に置いた、袋の中に入っている海苔に巻かれたお団子の香ばしい匂いが漂ってくる。これだけあれば職人さんも満足だよね?
「その団子、あいつ一人で全部食っちゃいそうだな」
「絶対そうなると思います」
二人同時に噴き出したのを合図に、彼がエンジンをかけて車を発進させた。窓の外に、今までいたお寺が見えた。また絶対に来たいな。
赤信号で止まると同時に彼が言った。
「くるみちゃん、このあと椅子カフェ堂来るよね? 三人で一緒に夕飯食おうよ」
「はい。私その後、八時にみもと屋さんへ行くことになってるんです」
「え、そうなの?」
「夕飯食べてから行ってきますね」
信号が青に変わり、車が走り出した。でも、彼の返事がない。聞こえなかったのかと確認の為に名前を呼んだ。
「永志さん?」
「そういうことは先に言ってくれないと困るよ。俺がこの後、どこか行こうって言ったらどうするつもりだったの?」
不機嫌な声と、彼の言葉に動揺した。
「……職人さんにお団子買って行くって言ってたから、夕方には戻るのかなって」
本当だ。私、自分で勝手にそう思い込んでただけで、永志さんにみもと屋へ行くことを伝えるなんて考えつきもしなかった。
少しの沈黙のあと、彼が言った。
「大体、そんなに毎日行く必要あるの?」
「え?」
「いや、もう終わったんだと思ってたからさ。ここんとこ毎晩だし、そもそも打ち合わせの期間が長すぎる気がするんだけど」
「提案したものを、みもと屋さんの通販ショップで宣伝しようっていうお話になって、まだその辺の話がまとまらないんです」
「ああ、なるほどね」
今まで聞いたことのない彼のそっけない返事に、心臓がずきずきと嫌な音を立て始めた。秋の夕暮れのオレンジが車の中まで入り込んでいる。眩しさに俯いて膝の上にあるお団子の入った白いビニール袋を見つめた。
「心配なんだよ、俺は」
「心配?」
「雑誌に載ってからずっと忙しいんだし、無理しすぎて体壊さないようにして欲しいんだ。椅子カフェ堂がどうのって言うんじゃなくて、くるみちゃん自身が心配だから」
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃないって。元々俺が持って来た話なんだし、それを一生懸命頑張ってくれてるのはわかるからさ」
「……」
「打ち合わせ終わる頃、またみもと屋へ迎えに行くよ。そのまま家まで送るから」
「すみません」
「だから謝らないでよ。俺の我儘なんだから」
彼の強い口調に体中が強張って緊張が走った。永志さんが……怒ってる。
そっと隣の彼を見上げると、あからさまに不機嫌な横顔をしていて、私は具合が悪くなりそうなほど胸が苦しくなってしまった。古田さんの前でにこにこしながら機嫌が悪くなった時と、全然違う。
彼と気持ちが通じ合ってから喧嘩はおろか、こんなふうに怒らせたことなんて一度もない。
どうしよう。今夜はみもと屋さんに行かない方がいいの?
……ううん、そうじゃない。私が今日のことを彼に言わなかったのが原因なんだから、勝手に休んでみもと屋さんに迷惑を掛けるわけにはいかない。とにかく古田さんとの打ち合わせを早く終わらせて、椅子カフェ堂に集中しよう。
永志さんとすれ違うのは、もう絶対に嫌だから。