お、おくって、億のこと??
何かもう言ってることのレベルが違い過ぎて、よくわからないんですが……!
「すみません。私、全然知らなかったです。みもと屋さんが、こんなすごいお店だったなんて」
噂も聞いたことないし、永志さんもきっと知らないよね?
「いいのいいの。知らなくて当然なんだから。親がうるさくて、店じゃそういうのは宣伝してないんだ」
「どうしてですか?」
「こんな小さい店でも伝統を守れだの何だの言われて、店の拡大に最初は反対されたんだ。結果を出したからネットの方は何も言われなくなったけどね。だから尚更僕は有澤さんの気持ちがわからない。彼のお父さんは業界で有名な人だよ。一代であれだけのものを築くなんて素晴らしいと思う」
古田さんは両手を後ろに着き、足を投げ出した。
「さっき有澤さんに言ったように、彼にその気がないなら本気で僕が会社を継ぎたいくらいだよ。よくもまあ、あんな小さい店だけで満足してるもんだよね」
その言葉に頭がかっと熱くなり、気付けば膝立ちになっていた。
「店長は……誰よりも椅子カフェ堂を、有澤食堂を大切にしているんです! そんなこと言わないで下さい!!」
椅子カフェ堂を守る為にどれだけ大変だったか何も知らないのに、どうしてそんなこと言われなくちゃいけないの?
「あのお店を維持するために皆で頑張って来たんです。よく知らないのに、そんな、そんなこと……!」
ぽかんと口を開けて私の顔を見上げた古田さんは、暫くしてから大きな声で笑った。
「あははっ! そうかそうか」
「な、何がおかしいんですか……!」
「いや、ごめんごめん。そうだよね、有澤さん頑張ってるもんね」
タブレットを片付けながら、古田さんが何度も頷いた。
「くるみちゃんて、本当に有澤さんのことが好きなんだなあ」
「え!!」
「付き合ってるんでしょ? 有澤さんとくるみちゃん」
「な、なななん、何で」
「見てればわかるって。ここに迎えに来ようとしたり、上着貸したり、普通ただの従業員にそこまでしないよね〜」
このタイミングでそんなこと言われて、何だかすごく恥ずかしいんですけど。
「ちなみに、くるみちゃんて何歳?」
「二十五です。……古田さんは?」
「僕は三十一です」
「え!!」
永志さんより年上!? ちょっと、全然全くそうは見えないんですけど! 私の一個上くらいかと思ってたよ。
「もっとずっと若いのかと思ってました」
「よく言われる。女の子は若く見えるのを喜ぶだろうけど、男は仕事上不利なんだよね〜。どうにもならないけど」
腰を上げた古田さんは文机の方から雑誌を手にした。椅子カフェ堂が表紙の「カフェどころ」だ……!
「ごめんね、気を悪くさせちゃって。雑誌にこれだけの特集をされる椅子カフェ堂さんに、嫉妬しました」
ぱらりと雑誌を捲りながら、古田さんはゆっくりとした口調で言った。
「嫉妬?」
「そうだよ。のんびりやっていこう、なんて人はそうでもないだろうけどさ、自分の店を大きくしてやろうって野心持ってる店からすれば嫉妬の対象だよ。で、僕はその嫉妬の対象を商品として利用したくなった」
「!」
「でも今のくるみちゃんの言葉を聞いて、そういう気持ちは失せました。あの雑誌の記事を読めば、どんなに有澤さんが頑張ったのかはわかってたんだけどね。わかるからこそ、勿体ないって僕は思ったんだ。あれだけの力があるのにさ。……って、それが正直な気持ちです」
古田さんは正座をして、私に向けて深々と頭を下げた。
「意地悪言ってごめんなさい。もう失礼なことは言いません。有澤さんにも」
「……私の方こそ、大きな声出してすみません」
頭を上げた古田さんが再び私の顔を見た。
「じゃあ改めて。お互いの店にとっていい出会いになるように、僕も出来る限りのことをして頑張りますので、よろしくお願いします」
「私も頑張ります!」
「壮介〜! 有澤さんが来たよ!」
私が返事をしたと同時に、お店の方からおばさんの声が届いた。有澤さんって……え、永志さん!? 迎えに来てくれたの?
「愛されてるよね〜。僕が送るって言ったのに。ちょっと時間早くない?」
にやっと笑った古田さんから目を逸らす。夏はとっくに終わったのに、顔が熱くてしょうがないよ、もう。
「無駄話で終わっちゃったな。申し訳ないけど、明日もお願いしていいですか? 具体的なメニューをしっかり決めよう。これは一応僕からの提案なんで目を通して下さい」
「わかりました」
古田さんが差し出したペーパーを受け取る。
ついさっきまで嫌な人だって思ったのに、彼の正直な言葉に、私の心はここに来る前よりもずっと軽やかなものになっていた。これなら私も意見をはっきり言えそう。言い合いになって良かったのかも。
みもと屋を出て、迎えに来てくれた永志さんと商店街を歩き、駅を通り過ぎ、石畳の通りに入ったところで彼に問いかけた。
「永志さんの食べたい和スイーツ、決まりましたか?」
「うん」
頷いたきり、彼は私の横を黙って歩き続けている。
「永志さん?」
通りのお店は半分以上閉まっていて、人通りも減っていた。
「……俺って駄目だな〜。くるみちゃんのこと信用してるつもりなのに、心配でわざわざ迎えに行ったりしてさ」
「心配したの?」
「そりゃ、まあ。呆れた?」
「ううん。嬉しかったです」
古田さんと話してる時も、本当は永志さんの顔を早く見たかったから。他の男の人と接してみて、余計に永志さんの良さがわかった気がする。
「俺が食べたいのはね、エスプレッソを使った和スイーツ」
「エスプレッソですか!?」
「うん。そしたら俺も協力できるじゃん?」
エスプレッソか〜。意外と抹茶やきな粉に合うのかもしれない。斬新だよね。
「わかりました! 早速試してみます、ね……!」
大きな樹の下の通りに面していない側に引っ張られた私は、彼に強く抱き締められた。
「く、くるし……」
「ごめん。少しだけこうさせて」
彼の胸に顔を押し付けて、黙ったまま暫くそうしていた。
そういえば夜を鳴く虫の声が前よりも減った気がする。秋の深まりが外気をひんやりとさせていた。私たちが抱き合うそこは、外灯の無い場所だから暗めで、周りから気付かれにくい。
「俺のパーカー、大きさ全然合わないな。当たり前か」
腕の力を緩めた永志さんがクスッと笑った。
「大きいけどあったかくて、永志さんに包まれてるみたいで、みもと屋さんにいる間も安心できました」
「そっか」
彼の腕の中で顔を上げる。私を見下ろして微笑む彼と目が合った。
「今度の月曜なんだけど、行くよね?」
「蚤の市ですか?」
「うん。前の日から俺の部屋に泊まれる?」
椅子カフェ堂の定休日に合わせて、器を探しに蚤の市へ行く予定になっていた。
「泊まれるけど、その日は多分……できないの。今もちょっとお腹痛いから」
「え、大丈夫?」
「大丈夫です。それでもいいですか?」
「もちろんいいに決まってるよ。くるみちゃんが傍にいてくれるだけで、俺は嬉しいんだからさ」
私を包む彼の手の体温が伝わる。そんなふうに優しく言われたら、何でもしてあげたくなっちゃうよ。
「じゃあ、できない代わりに……口で、します」
「え! ど、どうしたの急に!」
「冗談です」
慌てた永志さんが可愛くて笑うと、すぐ傍まで顔を近づけられた。
「冗談なの?」
ちょ、ちょっとキスされちゃいそうなくらい近いんですけど……!
「え、永志さんがして欲しかったら……します、けど」
「ふ〜ん、そうなんだ。どうしようかな〜」
目の前で意地悪く笑う彼に肩を縮ませる。永志さんのこういう表情、困っちゃうけどすごく好き。
「嘘だよ、ありがとう。そういう時は、俺がずっとお腹あっためてあげるからさ。くるみちゃんは気を遣わなくていいんだよ」
「永志さん」
「でも……そのうちお願いするかも。いい?」
囁く声に、目を伏せて彼の胸にもう一度顔を押し付け、小さく頷いた。
永志さんの腕の中は暖かくて居心地が良くて、早く椅子カフェ堂へ戻らなくちゃいけないのに、この場でもう少しだけこうしていたい、なんて思ってしまった。