午前中の開店前に、永志さんと職人さん、私の三人でホールに集まり、和フェア用のスイーツを試食してもらうことになった。こういうのって久しぶり。
まずは二人の前に、大き目のそばちょこのような器に盛ったパフェを置く。
「抹茶ゼリーパフェのエスプレッソ掛けです。一番下はショートケーキ用のスポンジを薄く切って敷き詰めて、その上に抹茶ゼリーとバニラアイスとみもと屋さんの餡子、生クリームの上に抹茶パウダーを振りかけました。上からエスプレッソを回しかけます」
「ゼリーはお前が作ったの?」
「作りましたよ〜! 自信作です。エスプレッソはさっき店長に用意してもらったものです」
目をきらきらさせている職人さんの質問に答える。ゼリーの、ゆるめなぷるぷるさを作るのに、すごく苦労したんだよね。
「エスプレッソはこういうふうに使ったのか! うん、いいよこれ。すごく美味い」
スプーンで掬って口に入れ、美味しそうに味わった永志さんが笑顔で言った。気に入ってくれて良かった。彼との約束を果たせたことにホッと胸を撫で下ろす。
「次は栗のチーズケーキです」
「栗を使ったのは初めて食べるな」
あたたかいほうじ茶を飲み終えたあと、永志さんがチーズケーキの載ったお皿を手にした。持ち上げて横から切り口を眺めている。
「美味いな! 栗の風味がしっかり効いてるし、栗の粒と小豆が所々に入ってて美味い」
職人さんは、あっという間にチーズケーキをパクパク平らげてしまった。永志さんも満足そうに頷きながらケーキを頬張っている。
和フェアが始まるまで、あと五日。
永志さんと蚤の市にお出かけした後、みもと屋さんとの打ち合わせが、ちょうどその日で終わった。あとはしっかり私がスイーツを仕上げて、みもと屋さんの店舗内とネット通販ショップで宣伝してもらうだけ。
打ち合わせが終わったこともあって、永志さんとはわだかまりもなく過ごしていた。……もう大丈夫だよね?
ミキサーにかけたドリンクを厨房から持ち出し、ホールで待つ二人の前に置いた。
「バナナヨーグルト黒すりごま入り、きな粉かけドリンクです」
「出たよ。お前こういう、どろどろドリンク好きな〜」
「健康に良さそうですよね? うん、いいと思います」
「正直に言っていいか? 見た目がもう嫌だ! ヨーグルトが灰色っておかしいだろ!」
びしっとグラスを指差した職人さんの前に、グラスをずいっと押してしつこく勧めた。
「いいから食べてみてくださいって。美味しいから」
「うおーでるでるしてる、でるでるしてるぞおお……!」
グラスを持ち上げた職人さんがスプーンで中身を掬いながら解説し始めた。
「良晴うるさいなあ。文句があるなら俺が食うぞ。結構美味いよ、これ」
「わかった。食う」
二人がそれを口にしている間に、もう一種類のフローズンドリンクを厨房から運んだ。
「これはあずきフローズンです。飲んでみてください」
ヨーグルト味は横に置いて、二人はすぐさま、あずきフローズンに手を出した。やっぱりヨーグルトの方は不評なのね。
「お、こっちのが美味いじゃん」
職人さんの目の輝きが違う……! 隣の永志さんも、少しずつ口に入れて味わいながら言った。
「俺もこっちの方が好きだなぁ。みもと屋さんの小豆の甘さが控え目で上品だね。トッピングの生クリームの上に掛かってるのは黒蜜ときな粉?」
「そうです」
「きな粉もいいけど、見た目的にはパフェの時みたいに抹茶の粉末を振りかける方がいいかもね。味も引き締まると思う」
「じゃあそうしてみますね」
抹茶ゼリーのパフェ、栗のチーズケーキ、そしてあずきフローズンドリンク。和フェア中に加えるスイーツは、この三品に決定した。
三品の見本用の画像を一枚ずつ慎重に撮る。メニューに載せたいし、ホームページ用でもあるから頑張って綺麗に撮らないと。画像を保存し、それをメールで送った。
「メール?」
「はい。みもと屋さんに画像を送っておきました。まだ完成品を見せてはいなかったので」
永志さんの質問に答えると、職人さんが続けて言った。
「みもと屋って、おばさんたちじゃなくて息子?」
「あ、はい」
「ふーん」
な、何その、意味深なふーんって。私は真面目に仕事してるのに。
「返信来たよ」
永志さんの言葉に慌ててスマホを手にする。何か、永志さんの声がこの前みたいに素っ気ない気がした。気のせいだといいんだけど。
古田さんから送られたメッセージをその場で読み上げる。
「この画像を、みもと屋さんで宣伝に使ってもいいか店長に確認を取って下さいって。いいですか?」
「もちろんいいよ。よろしくお願いしますって伝えておいて」
「わかりました」
永志さんに言われたままを伝えると、時間を置かずに返信が来た。
「和フェアが始まったら、お店に直接食べに来てくれるそうです」
き、緊張するなぁ。ネットのショッピングサイトでランキング一位を何度も取ってるってことは、味にも厳しいんだろうし……。
「仲いいんだね」
「え?」
「みもと屋の息子さんと」
頬杖を着いてこちらを見ている永志さんの言葉に、慌てて首を横に振る。
「そ、そんなことないです全然! 初日から言い合いしちゃいましたし」
「そうなの?」
あ、また余計な事言ってしまったかも。でも仲がいいだなんて、変なふうに受け取られたくなかった。
開店時間が迫って、その話はうやむやになった。言い合いの内容は永志さんが嫌な思いをするだろうから伝えたくないし、もうこのままでいいよね?
夕方のお客さんがようやく捌けてきた頃、ホールのお客さんに指摘されたことを厨房へ伝えに行った。
「店長、三番テーブルのカプチーノってまだ出でいませんよね?」
私はテイクアウトの接客をしていたから、店長がホールを見てくれてたんだよね。
「うわ、忘れてた。急いで作るからって、お客さんに伝えてくれる?」
「わかりました。サービスにプチカップケーキをお付けしていいですか?」
「頼むよ、ごめん!」
急いでお皿にプチカップケーキを用意し、彼が作ったカプチーノを運ぶ。元々お客さんは怒っていたわけではないけれど、そのサービスに恐縮しながらも喜んでくれた。
厨房から出てきた彼もお客さんにひとこと謝り、その後私に近付いて小さな声で言った。
「くるみちゃん、ありがとね」
「いえ、全然」
永志さんが目配せをしてから、優しく笑いかけてくれた。何でもないことなのに、不安な気持ちがあったせいか、いつもより何倍も幸せを感じてしまう。私も笑顔で返し、厨房に戻って行った彼の背中を見送った。
再びホールを見渡すと、ちょうど席を立ってレジに向かったお客さんが目に入った。急いでそちらへ歩き出し、ショーケースの前に来た時だった。すぐ傍のテーブルから女性客の声が届いた。私と同じくらいの歳の女子グループ三人。
「彼女だったりして?」
「まさかぁ〜。従業員だから優しいだけでしょ。ありがとくらい言うよ、普通」
「ちょっ、聞こえるよ」
「聞こえないって」
全部聞こえてますけども。それって私と店長のこと? 平静を装ってレジで待つお客さんの前に立った。
「あんなちんちくりん、彼女のワケないじゃん」
「ちんちくりんて何?」
「うちのおばーちゃんが昔よく使ってたんだ」
「ちびっちゃ〜いとか、そういうんだっけ?」
「そんな可愛いニュアンスじゃないけどね。とにかく不釣り合いもいいとこ。あんなイケメンと付き合ってるなんて有り得ないでしょ」
女の子たちが私の方へちらちらと視線を向けているのがわかった。その周りのお客さんも、レジにいる私を振り向いてこちらを見た。顔が熱くなって惨めな気持ちに包まれる。皆に聞えるように、わざと大きな声で言ってるの?
「ありがとうございます。850円になります」
お客さんが差し出した千円札を受け取り、お釣りの小銭を渡す。まだ皆に見られている気がしてどうしても動きがぎこちなくなってしまう。
「ありがとうございました」
からりんと椅子カフェ堂のドアが鳴って、会計を済ませたお客さんが去って行った。
落としてしまった会計表をしゃがんで拾った。レジカウンターの後ろで隠れるように丸まり、言っても仕方のないことを呟いた。
「どうせ、ちんちくりんですよー……だ」
言い返せなくて、こんなところで縮こまってる自分が嫌だ。
誰が見たってお似合いじゃないってこと、わざわざ大きな声で言われなくたってわかってるよ。そんなの初めから……わかってる。
「おいくるみ」
すぐ後ろから声がしてしゃがんだまま振り向くと、職人さんが同じようにしゃがんでこちらを見ていた。そういえば家具の在庫確認してたんだっけ。
「あいつら早く帰そうぜ。さっきから永志がホールに出る度にうるさいし、ああいうの店の為にも良くないだろ」
「帰す?」
「お前はここにいろ」
腰を上げた職人さんはホールに歩いて行った。私も立ち上がり、彼の行動をレジから見守る。帰す、って一体どうするんだろう。
「こちら、お下げしてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
職人さんが、彼女たちのテーブルの横に立った。女の子たちが一斉に職人さんを見上げる。
「こちらもこちらもこちらも、全部お下げしてよろしいでしょうか?」
えええ!? 確か十分前くらいにテーブルに運んだから、まだ食べてる途中だよね? 案の定、一人の女の子が低い声で答えた。
「ちょっと、まだ食べてるんだけど」
「ああ、無駄口叩いてるから、もういらないのかと思ってました」
「……はぁ!?」
「お客様のお話の内容が店内中に響き渡っておりましたので勘違いしました。大変失礼いたしました、申し訳ありません!!」
ちょ、ちょっと職人さんの声こそ響き渡ってるよ……!
深々とお辞儀をした職人さんを、女の子たちは顔を真っ赤にして睨んだ。一人が上着とバッグを持って勢いよく立ち上がると、同じようにして残りの二人も立ち上がった。同時に職人さんがつかつかと私の方へ早足でやってくる。
「俺がレジやる。裏行ってろ、面倒くせーから。早く」
「は、はい」
言われた通り、そこを任せて事務所へ飛び込む。電気を点けてドアを閉めて深呼吸をひとつした。
ちんちくりん、かぁ。背が低いだけじゃなくて、胸もそれほどないし、美人でもないし、頭もいいわけじゃないもんね……いろいろ考えてると落ち込んじゃうよ。目に涙がじんわりと浮かんだ。
「くるみ、もういいぞ〜」
しばらくしてから事務所のドアを叩かれ、急いで開けた。私の顔をチラリと見た職人さんは、くるりと背を向けて再びホールの方へ向かった。私もあとを追いかける。
「俺、レジで他のお客さんたちに褒められちゃった。ついでにショーケースのテイクアウトもたくさん売れたぞ。お前のことも、さっきのブスどもより可愛いってさ」
「ブスどもって……聞こえますよ」
「まあ俺も、お前のが百倍マシだと思うけどね」
レジに着く前に振り向いた職人さんが言った。その言葉に胸がじんとする。
「……ありがとうございます。職人さん」
「ふん。お前のためだけじゃねーよ。椅子カフェ堂のイメージを損なわないようにだな、」
「わかってます。でも、ありがと」
「ほれ、特別に貸してやる。まだ客がいるんだから、さっさと拭け」
パンツのポケットから取り出したミニタオルを職人さんが私に差し出した。白地にピンクのピンストライプなんて、職人さんには可愛すぎだよ。顔に当てて浮かんでいた涙を拭きとる。
「……くさい」
「くさくねーよ! 俺様の貴重な汗が浸みこんでるんだから有難く思え」
うん、木の良い匂いしかしないです。泣き笑いの顔で彼を見上げた。
ありがとう、職人さん。
わかってるけど、やっぱりコンプレックスは感じるよ。私が彼の傍にいてもいいのかなって。いつまで経っても自分に自信が持てない。
だって永志さんの怒った横顔を見たり、不機嫌な声を感じたら、彼の気持ちが私から離れていってしまうんじゃないかって、不安で仕方が無くなってしまうから。
……嫌われたくないの。