お風呂上りに館内を三人でうろうろし、一旦離れに戻って食事の時間を待った。
「職人さん」
「何だよ」
「卓球は無かったけど、エアホッケー置いてありましたね」
「自ら俺に挑むとは……いい度胸だな、くるみ」
 ごろりと畳に寝転んだ職人さんが、私の顔を見てにやりと笑った。
「べ、別に挑んでませんけども」
「飯食ったあとやろうぜ。永志も」
「いいよ。でもお前ムキになるからな〜。負けても文句言うなよ?」
「お前こそ文句言うなよな」
 職人さんも永志さんも、何だか楽しそう。やっぱり三人で来て良かった。

 食事の開始十分前に離れを出て、さっきの大浴場があった本館へ入った。
 夕飯をいただく和食のお店は天井に太い梁が巡らせてあり、日本酒がたくさん並ぶカウンターと、広々としたホールにテーブル席が並んでいる。
 案内された席に着いてビールを頼むと、すぐに前菜が運ばれた。イクラの載ったじゅんさい、山栗とぎんなんと生麩の串焼き、桜エビの山葵漬け和え、カマンベールチーズのスモークサーモン巻などがテーブルへ並ぶ。小さくて綺麗で美味しそう…!
「では、今年一年お疲れ様でした〜!!」
「お疲れっしたー」
「お疲れ様でした!」
 瓶ビールをグラスに注ぎ、三人で乾杯をした。冷たいビールが、お風呂上りの喉を潤してくれる。
「いや〜、今年は本当にお世話になりました。来年も椅子カフェ堂共々、よろしくお願いします」
 ビールを飲み干した永志さんが頭を下げた。
「いえいえ、俺の方こそいろいろ迷惑掛けちゃって、お世話になりました」
「こちらこそ、来年もよろしくお願いします」
 職人さんと私で同時に頭を下げた時、テーブルに岩魚の塩焼きが運ばれた。しっかり焼き目のついた皮にまぶされた粗塩がぴかぴか光り、香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。
「おお、うまそー!」
 職人さんの目も輝いてるよ。
「焼き立てだよ。最高だな」
 永志さんが美味しそうにかぶりついている。職人さんは食べながら、頼んでいた日本酒を注いでいた。
「どうしたの? くるみちゃん」
「え……」
「あんまり好きじゃない? こういうの」
「ううん、すごく好きです。でもなんだか胸が一杯で、なかなか進まなくて……」
 大浴場の露天風呂で一人感じていたことが甦っていた。
「こんなふうに出来るのって幸せだなって、嬉しくなったんです。この一年、本当にいろんなことがあったから」
「そうだな。くるみちゃん、頑張ってくれたもんな」
「いえ、自分のことだけじゃなくて、店長も職人さんも、それから関わってくれたいろんな人も……皆の努力があったからこそ、今こうして笑っていられるんだって、なんかしみじみ感じちゃって」
 二人とも黙って私の顔を見ている。
「すみません、楽しい席なのに変な事言って」
「そんなことないよ。たまにはこうして話すのも、いいことだって」
 永志さんの言葉に、職人さんが珍しく、うんうんと頷いた。……いつの間にか日本酒追加してない?
「まぁ、しんみりしてないで食えよ。食わないなら俺がもらうけど」
 職人さんの手が伸びてきた。
「だ、駄目です! もう、油断も隙もあったもんじゃないんだから」
「俺が見張ってるから、ゆっくり食べな」
 笑った永志さんが、私のグラスにビールを注いでくれた。
 その後は三人分のお造り、山菜と鯛のお吸い物、土地の牛肉と地野菜のしゃぶしゃぶ、炊き込みご飯とお味噌汁……もうお腹いっぱい! というくらいまで、美味しいお料理が次々に出てきて大満足だった。デザートの抹茶ムースだけは、つい仕事モードで味わってしまったけれど。
 たくさん食べて、話して、笑って……いつもとは違う場所で三人で過ごすことが、とても新鮮だった。

 部屋に戻ると三人分のお布団が敷いてあった。
「駒田くるみ、行きますっ!」
 酔った勢いで綺麗に並んだお布団の上へダイブする。ふっかふか、ふっかふかだよ〜!!
「元気いいな〜」
「気持ちいいですよ!」
 もう何も考えずにこのまま眠ってしまいたいけど、あとで私の分だけお隣の部屋に移動させなければ。座卓がある方の部屋の冷蔵庫から、冷やして置いたお酒を職人さんが取り出した。永志さんはテレビをつけてニュースを見ている。
「さ、飲むか。お前らどれにする?」
 職人さんは座卓にお酒を並べて、グラスまで用意してくれてる。あんなに飲んだくせに、まだまだ飲む気満々だよ。
「んー、じゃあ少しだけな。俺もう腹いっぱいだし」
「私もー」
 職人さんて永志さんよりは体格いいけど、どちらかと言えば痩せてる方なのに、良く食べるしたくさん飲むんだよね。食べても太らないなんて羨ましすぎる。
 テレビを観ながら、だらだら話して飲んでいる内に、職人さんは畳へ横になって、うとうとし始めた。暖房が効いてはいるけど羽織は脱いじゃってるし、浴衣一枚じゃ寒そう。
「風邪引いちゃいますよ、職人さん」
 押入れから引っ張り出した毛布を彼に掛けた。うーん、と寝返りを打った職人さんは、上半身だけ起こして、突然私に圧し掛かって来た。
「くるみぃ〜」
「ひゃ!」
 その勢いで私まで畳の上に転がってしまった。顔を起こすと、職人さんが私の腰に両手を回して抱きついている。
「ちょ、ちょっと職人さん、重っ!」
 目の前に迫る職人さんの頭を手でどけようとすると、彼が呟いた。
「くるみ、お前……」
「?」
「ほんとに小せぇな〜」
 どこに顔押し付けて言ってんの!! 小さいって、そっち!?
「な、何ですか、その憐れみの声は!! ていうかどいてくださいってば、もう!! 永志さん助けて〜」
 永志さんも少し酔っているのか、笑いながら職人さんの両腕を持って引っ張った。
「おい良晴、いい加減にしろよな。ほら起きろって」
「……ん?」
 顔を上げた職人さんは、くるりと体制を変えて、今度は永志さんを押し倒した。
「永志〜!!」
「のわーーっ!!」
「きゃ……!」
 だーん、とすごい音が響いて二人が畳に転がった。ここ、離れで良かった〜。下の階に部屋があったらクレーム来そう。
「いってて……」
「永志〜!」
 仰向けになっている永志さんに、職人さんが尚もしがみつく。日本酒かなり飲んでたもんね〜。その後部屋でも飲んだわけだし……。それにしてもこういうのって何て言うんだろ? 抱きつき上戸? たくさん呑むといつもこうなのかな。
「わーかったから、どけって良晴」
「……俺」
「なんだよ」
「お前らが結婚しても、椅子カフェ堂にいるからな」
 急に真面目な声を出した職人さんに、永志さんの動きが止まる。
「ずっとあそこでやってくって決めたんだ、俺は。お前らが何と言おうと、椅子カフェ堂でお前らと一緒に」
「……良晴」
「永志〜!!」
 わーまたしがみついてる。泣いては……ないよね? 永志さんは職人さんを宥めるように彼の背中をさすりながら応えた。
「わかったわかった。三人で椅子カフェ堂をやってくのは当たり前だろ? 俺もくるみちゃんも、お前がいなくなった時、ずっと帰って来てほしいって願ってたんだからさ。今はお前がいてくれることが本当に喜ばしいんだよ。だから」
「……」
「良晴? 聞いてる?」
 上半身を起こした永志さんが職人さんを揺さぶる。
「職人さん、寝ちゃってます」
「何だよ、仕方ないなーもう」
 文句を言いつつ、永志さんは職人さんをお布団まで連れて行った。お布団を丁寧にかけてあげたりして……優しいんだよね。

 襖を静かに閉めた永志さんが、私の傍に来て小さな声で言った。
「せっかくだから部屋の露天風呂、一緒に入ろっか?」
「え! で、でも……」
「良晴がいるから変なことはしないよ。いこ」
 へ、変な事って……。今までのことを思い出して顔が赤くなる。もちろんそんなことはしないけど、いいのかな。考えている間もなく、タオルを持った彼に手を取られて露天風呂へ向かった。板の間の隅にある脱衣所で素早く浴衣を脱ぎ、二人で音を立てないよう静かにお湯に浸かった。足元に明かりがあるだけで、外は真っ暗闇。
 温泉の温かさに体が慣れた頃、顔を上げると数えきれないくらいの星が瞬いていた。
「……綺麗」
「空気が澄んでるからよく見えるな」
 後ろから私を抱きかかえるようにしている彼の足の間で、膝を折り曲げ彼の手を握った。
「職人さん、彼女作らないんでしょうか。そうしたら一緒に来れるのに」
「う〜ん。まぁ、こればっかりはね。周りが言っても仕方がないし」
「貴恵さんは、どうしてるのかな」
「ああ、良晴に連絡いってるみたいだよ」
「そうなんですか?」
 職人さんはそういうこと何も言わないから、全然知らなかった。
「面倒だなんだって言いながら返事はしてるらしいけど、かといって貴恵とどうこうなりたいって訳でもないみたいなんだよなー」
 永志さんが私の手を握り返しながら、溜息を吐いた。
「私、職人さんがお客さんから誘われてたのを、何回か見たことがあります。でも全然その気は無いみたい。すごく綺麗な人ばっかりだったのに」
「あいつ、女の好みだけはうるさいからな」
 貴恵さんの美しさを見ればそれはわかる気がする。もちろん外見だけじゃなくて中身もしっかり見てるんだろうな。
「あいつさ、束縛されるのを極端に嫌がるんだよ。あとは仕事に口出されるのが嫌ってのもあるかな。貴恵とはそれで別れてるし」
 安定した仕事を何の未練もなく捨てようとした職人さんに、貴恵さんは随分と反対したらしいって永志さんから聞いた。彼女として、貴恵さんが心配したという気持ちもよくわかるのだけれど。
「自由でいたいのと、今は仕事が忙しいから、それどころじゃないのかもしれないな。人見知りもあるんだろうけど」
「永志さん前にもそれ言ってましたけど、職人さんて本当に人見知りなんですか?」
 あんまりそうは見えないから驚いてしまう。
「うん。特に女の人にはね。くるみちゃんとは割と初めから打ち解けてたみたいだけど」
 それは私が女に見られていないのでは……とも思ったけど、前に一応女としては見れる、って言ってくれたんだっけ。
「くるみちゃんは仕事仲間で、椅子カフェ堂にとってなくてはならない人だから、そこは本当に認めてるんだと思うよ。だから遠慮しないで言いたいことも言えるんだろうし、安心して旅行にも来るんだろうし」
 私の肩に顔を載せた彼が、頬をくっつけてきた。私も彼に体を預けて寄り掛かる。柔らかい肌が触れて、くすぐったいけれど安心した。
「そう言いつつも、やっぱり俺らと一緒にいることを気にしてたんだな、あいつ」
 何でもないって顔してるけど、本当はいつだって皆のことをよく見て、いろいろ考えてるんだよね、職人さんて。
「三人揃って椅子カフェ堂なんですよね? いつまでも」
「そりゃそうだよ。いつか良晴が誰かと結婚することになったって、俺はずっとそういうつもりでいる。……なーんて、本人を前にして言えることじゃないけどさ」
「どうして?」
「今さら照れくさいじゃん。女の人って友達にそういうこと言うの?」
「時と場合と……相手によるかも」
「だよな。俺らは付き合い長いから、逆にそういうの言いにくいんだよ。さっきは酔ってたから、良晴も勢いで言ったんだろうけどさ。明日になれば忘れてるよ、きっと」
「可愛いところありますよね、職人さん」
「それ言ったら怒られそうだけどな」
 二人でクスッと笑って、軽くキスをしたのを合図に、お風呂から上がった。


 鳥の元気な鳴き声が聴こえる。眩しいけれど、まだ目を開けたくない。朝の寒い気配がする。お布団出たくないよ〜。
「おい」
 すぐ傍で聴こえた声にいっぺんで目が覚めた。
「ぎゃ!」
 しょ、職人さん!? 
「ぎゃってなんだよ、ぎゃって。朝っぱらから失礼な奴だな」
「だだだって、何してるんですか?」
 目の前でしゃがんでいる彼は首にフェイスタオルを巻いて、私の顔を覗き込んでいた。
「お前こそ、何でここで寝てんの?」
「あ、えーっと職人さん寝ちゃったし、永志さんも露天風呂入ったあとすぐ寝るって言うし 、一人であっちは寂しいかな〜って……移動しませんでした」
「どうせ一人は怖かったんだろーが。いい歳して意気地がねーなー」
 枕元に置いたスマホで確認すると、朝の六時半。
「起きるの早いですね」
「昨夜早く寝ちゃったんだろうな。結局エアホッケーできなかったし……頭いて」
「覚えてないんですか?」
「何を?」
「酔っ払って全裸になって大暴れしたじゃないですか」
「……お前、それが嘘だったら、この後どうなるかわかってんだろな?」
「嘘です、ごめんなさい! すみません! もう言わない!」
 その時、隣のお布団がごそごそと動いた。
「んー……、くるみちゃんどうした?」
 腕を伸ばしてきた永志さんは、私が返事をするのを待たずに再び寝息を立て始めた。職人さんと顔を見合わせて、ひそひそ声で話す。
「俺、そこの風呂入って来るわ。せっかくだから」
「はい。行ってらっしゃ〜い」
「永志は寝かせといてやれよ? 疲れてんだから」
「もちろんです。私も寝よーっと」
 再びお布団にもぐりこもうとした私を見下ろした職人さんが、ひそひそ声ではない普通の声で言った。
「一緒に入る?」
 ええええ!? まだ酔っ払ってるの!? 職人さんらしくもない言葉に狼狽えてしまう。
「は、はは入りません!」
 つられて私も普通の声を出してしまった。
「俺もいやです。本気にするなよ、バーカ」
 いつもの調子で言い放った職人さんが、くるりと私に背を向けた。その後ろ姿を見て、昨夜の彼が酔っ払って言った言葉が頭に浮かんだ。
「職人さん」
「なに」
「ずーっと三人で一緒にやっていきましょうね」
「……はぁ? 何だそりゃ」
 彼は呆れたような声を出して振り向いた。
 こういうことは言いにくい、と呟いた永志さんの代わりなんておこがましいかもしれないけど、私も同じことを思っていたから、伝えてもいいよね?
「椅子カフェ堂です。ううん、椅子カフェ堂でだけじゃなくて、こうしてどこかに出かけたりして、皆で一緒にいましょう。いつか職人さんが結婚しても、ずっと」
「俺がいないと寂しいって言うなら、そうしてやってもいいけどな」
「うん。職人さんがいないと寂しいです、とっても」
「ふん、珍しく素直じゃん」
 眉をしかめて口をへの字に結んだ職人さんの表情は初めて会った時から変わらなくて、でもそれが私には嬉しかった。
 相変わらず照れ隠しが下手な彼に手を振って見送る。フェイスタオルを振り回しながら、職人さんはお部屋の露天風呂へ向かった。

 お布団からはみだしている永志さんの手を取り、ぎゅっと握って目を瞑った。
 職人さんの鼻歌がここまで聴こえる。お布団はふかふか。障子の隙間から入る朝日が温かい。永志さんの息遣いに私の呼吸も合わせてみる。ああ、何だかこういうのって、いいな。

 うつらうつらしながら、来年の椅子カフェ堂と三人の姿を想像して、二度寝の幸せに浸った。






番外編「社員旅行へ行ってきます」完結です。
次話は、このお話の半月後になります。