あと二分で開店、という時に、その電話がかかってきた。レジ横にある子機を取る。
「おはようございます。椅子カフェ堂です」
『すみません。今夜予約をしたいのですけど空いてますか?』
 どこかで聴いたことのある、落ち着いた女性の声。
「ありがとうございます。何時くらいがよろしいでしょうか?」
『ラストオーダーは七時半でしたよね?』
「はい。閉店時間が八時になります」
『じゃあ七時に二名お願いしたいのですが』
「かしこまりました。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
『たまにそちらにお邪魔している、田原と言います』
「もしかして、チーズケーキを気に入って下さった……」
『そう、あなたのファンよ。よろしくお願いしますね』
 あの人だ。前に言っていた通り、本当に予約を入れてくれたんだ。
「はい! お待ちしております」
 以前ここへ来た時に一瞬彼女を疑ってしまったけど、そんなことは有り得ない。彼女の声を聴いてそれを確信した。

 七時を回る少し前に、電話で予約を入れてくれた彼女が一人の男性を連れて店にやってきた。
「こんばんは。予約を入れた田原です」
「いらっしゃいませ。ご予約ありがとうございます」
「急にごめんなさいね」
「いいえ、とても嬉しかったです。どうぞこちらへ」
 二人を壁際の席へ案内し、お水とメニューを用意した。ホールは料理を出し終わったお客さんが二組いるだけで、比較的落ち着いていた。
 手を上げた田原さんのところへオーダーを受けに行く。
「お決まりですか?」
「私はバターチキンカレーを」
「僕は肉じゃがコロッケのワンプレート。玄米ご飯でお願いします」
「食後にカプチーノとチーズケーキ二人分ね」
「かしこまりました」
 厨房で店長にオーダーを告げてレジに行き、お客さんの会計をする。しばらくしてもう一組のお客さんが帰り、ホールには田原さんと男性だけが残った。
 田原さんが鞄からタブレットを取り出して、男性に見せて熱心に何かを説明している。彼女は一人の時でも忙しそうだけど、食事をしている時やスイーツを口にした時だけは、まるで時間の流れが変わったかのようにゆったりと味わっている。彼女が印象的に見えたのは、そのギャップのせいかもしれない。

 田原さんと談笑していた男性が席を立ち、レジにいる私の方へ向かって歩いて来た。男性は私に笑いかけたあと、家具と雑貨の方に目をやった。
「この雑貨はヴィンテージですよね? どこから仕入れをされているんですか?」
「ヨーロッパです。最近はイギリスが多いようですが」
「状態がとてもいいですね」
「ありがとうございます」
 詳しい人なのだろうか。彼は雑貨を手に取り、ひとつずつじっくりと眺めていた。雑貨を棚に置いた男性は、次に家具の前でしゃがみ、私を見上げた。
「こちらの家具は日本製ですか?」
「そうです。専属の職人が作っています」
 スツールの足を触りながら、頭をかがめて裏側を覗いている。
「なるほど。もしかしてホールのテーブルや椅子も?」
「はい。同じ職人の手作りです」
 話をしている間に厨房から店長が現れて、食事をテーブルに運んでくれた。

 私も厨房に戻り、入口の陰から店長と二人でこっそりホールの様子を覗き見た。
「いつも一人なのに珍しいね。旦那さんかな?」
 私のすぐ後ろで彼が言った。
「多分お仕事関係の方だと思います。前にそう言ってたから」
 気付かれないように小声で囁き合って、彼らに視線を送り続けた。壁際に男性、田原さんは正面に座り私たちに背中を向けている。
「わざわざここを予約してくれて、仕事の話をするなんて嬉しいね」
「そうですね」
「くるみちゃん」
「はい」
 振り向くと、かがんだ彼が私の唇に、ちゅと軽くキスした。
「な、ななな何するんですか、いきなり……!」
 びっくりして大声出しそうになったけど、何とか声を抑えて抗議する。今ので顔が真っ赤になってるよ! 恥ずかしい。
「いや、小さくて可愛いなって。こっそりしてると縮んだみたいに見えるよね、くるみちゃん」
「縮むわけないじゃないですか……! これ以上小さくなったら困ります」
「だよね」
 彼は口元を押さえて笑いを堪えている。
「それよりも、こんなところ見られたらおしまいですよ、もう!」
「見られないようにするから平気」
 クスクス笑ってる場合じゃないのに。ほんとにもう、もう……好きだから許しちゃうけど。

 そのあと一人のお客さんが来店し、エスプレッソを飲んですぐに帰った。
 田原さんたちはゆっくりと食事を愉しみ、カプチーノとチーズケーキも残さず綺麗に平らげていた。もうすぐ閉店時間。何度も来てくれるこの人と、いつかゆっくりお話をしてみたいな、なんて思ってしまう。
「お済みのお皿、お下げしますね」
「ごちそう様でした。相変わらず美味しかったです。新作のケーキも全部食べちゃいたいくらいよ」
「ありがとうございます。ぜひまた食べにいらして下さい」
 私が笑うと、一緒に微笑んだ田原さんが席を立って頭を下げた。
「あの……?」
「自己紹介が遅れてごめんなさい。私、こういう者です」
 彼女が名刺を差し出した。それを受け取りよく見ると、記載されていた内容に目を疑った。
「え」

 na-noha別冊
 カフェどころ 編集部 副編集長 田原頼子(たわらよりこ)

 えーえーえええええ!! 編集部? na-noha別冊!? 彼女が副編集長!?
 口をあんぐりと開けたままで混乱している私に、彼女は壁際の席から立ち上がった男性を紹介した。
「彼は編集長の新川昭三(しんかわしょうぞう)です」
 へ、へへへ編集長!?
「新川です。よろしくお願いいたします」
 名刺を差し出され、私も頭を下げながらそれを受け取る。新川さんも田原さんと同じように、にっこりと私に笑いかけながら言った。
「お食事もカプチーノもチーズケーキも最高に美味しかったです。雑貨や家具が良質ですし、なかなかこういうお店は見つからないので、今日はとても幸せでした」
「ありがとうございます! 店長もきっと喜びます」
 もう一度、今度は深々と頭を下げた。こんなに嬉しいことを言われるなんて、頑張ってきて良かった。彼にも早く伝えたい。
 顔を上げると同時に新川さんが私に言った。
「ぜひうちの雑誌に椅子カフェ堂さんを掲載させていただきたいと思うのですが」
「え!」
「できれば特集を組ませていただきたいんです。このあと少しお時間を頂戴できますでしょうか? 店長さんもご一緒に」
「あ、はい! すぐに呼んできます!」

 na-nohaの別冊誌。
 ということは阿部さん繋がり? ということは田原さんと阿部さんは知り合い? そんなことって有り得るの? 特集を組む? それってもしかして……。

 厨房で片づけをしている彼に駆け寄り、背中にぎゅっとしがみついた。