A birdcage 〜トリカゴノナカデ〜

BACK NEXT TOP


(3)彼の世界




 ベッドの上に寝転がり、昼間柊史と一緒に図書館で借りた本を並べ、順番にページをめくっていく。
 うつ伏せで足をぶらぶらさせながら横を見ると、彼はパソコンに向かって独り言を言い始めた。

 一見物静かで神経質そうな印象を他人へ与える柊史は、実は見た目とは全く違い、良い意味でいろいろなことにかなり無頓着だった。知っていたとはいえ、一緒に暮らしてみると改めて思い知らされる。
 食事はきちんと三度食べるわけでもなく、洗濯はしているけれど洋服もたいてい決まった定番のものを着回し、掃除もどんなに散らかっていようと、私がやろうと言うまで何も言わない。かと言って私に家事を求めるわけでもない。
 それは、彼の興味が自分の舞台以外にはほとんど無いのだということを証明していた。

 とても自由で気ままで気まぐれで、ひとつの部屋に二人でいるというのに窮屈さを感じない生活を、私も気に入っていた。

 柊史は仕事の後、週に何度かその足で稽古場へ向かい、部屋へ帰るとパソコンで戯曲の執筆や、演出のアイデアを書き留めていた。その最中、柊史は突然笑い転げたり、窓へ駆け出して外を眺めては溜息を吐いたり、ぶつぶつ言いながら天井を仰いでいたり、そうかと思えば何十分も画面の前で石の様に動かなくなった。
 赤の他人が見れば全く理解できないであろうその行動を、側で嬉しく感じながら、彼の邪魔をしないよう私は極力知らん顔をしていた。

「陶子!」
 パソコンの前からばたりと床に寝そべったかと思うと、突然起き上がった彼は興奮した声で私の名前を呼んだ。
「なあに?」
「君、まだ髪は洗ってないよね?」
「お風呂はこれからだけど……」
「じゃあコート着て。早く」
「どうしたの?」
「ここじゃ駄目なんだ。屋上へ行こう。いや、もっと広い場所がいいな」
 私はベッドから飛び起き、クローゼットの扉を開け、二人分のコートを取り出した。
「ちょっと待ってね。柊史も着ないと風邪引くわ」
「僕は大丈夫。陶子、早く!」
 振り向くと彼はもう玄関で靴を履いてドアのノブに手をかけていた。自分のコートを着ながら玄関へ走ると、彼に手首を掴まれた。
「ま、待って。靴」
「ああ、僕が履かせてあげるよ」
 待ちきれないと言った様子で彼が私の靴と足へ手をかける。
「帽子、帽子! あとマフラーも」
 玄関に置いてあるカゴの中から取り出した毛糸の帽子を私の頭に被せ、首元をマフラーでぐるぐると巻いてくれた。飛び出すようにドアを出て鍵を閉めた途端、彼は再び私の手首を掴んで階段を駆け下り始めた。

 外階段の扉を開けると、頬は夜の冷たい空気に晒された。相変わらず彼は私の手を引っ張り、ずんずんと歩いている。端の棟の側にある小さな公園まで来ると、柊史は辺りを見回した。
「いいことをたくさん思いついたんだ」
「そうなの。良かったね」
「君にどうしても傍にいて欲しくて。ごめん」
「ううん、嬉しい。そんな素敵な瞬間に、一緒に連れ出してくれるなんて」
「ありがとう、陶子。あのさ、ちょっとだけ協力してもらえる?」
「もちろんよ」
「じゃあそうだな、ここに座って?」
 電灯下のベンチへ私を促した彼は、二三歩後ろへ下がった。
「君は観客だよ。君の視線の動きを確認したいんだ」
 あちこち移動したり、じっとその場から私を見つめたり手を振ったりしていた柊史は、暗い中でポケットからメモ帳を取り出し、ボールペンで殴り書きを始めた。暗い中で必死に何かを書き留めている彼を、愛しい気持ちで見詰める。
 子どもの様に嬉しそうに顔を上げた彼の頭には、もう私のことはない。彼はいつも遠い所にある別の何かを見ている。
 両親の言う事さえ聞いていれば万事大丈夫なのだと信じて疑わなかった私は、柊史に出逢い、彼の瞳に憧れ、何も知らなかった自分の愚かさに気付かされた。

 なぜ、彼は私を選んだのだろう。柊史の情熱に触れる度にそう思う。私と出逢っていなければ、余計なものを抱えずに済んだのに。相手が私でなければ、心配事も随分と少なかっただろうに。

 いつの間にか柊史はベンチで座っている私の目の前に立っていた。横にある電灯のせいで逆光になった彼の顔がよく見えない。
「随分付き合わせちゃったね。帰ろう」
「大丈夫よ」
「また一緒に来てくれる?」
「こんなことくらいなら、いつでも」
「うん」
「いつでも、言って? こんなことくらいしか私……」
 柊史の為に私は一体何が出来るのだろうと思うと、言葉が続かなかった。足下の枯れた芝生へ目線を落とす。柊史に巻いてもらったマフラーに顔を埋めると、彼の匂いと温かさで鼻の奥が痛くなった。
「陶子、乗って」
「え?」
 私に背を向け、しゃがんだ柊史が笑って言った。
「いいから早く」
「これも、演出のひとつ?」
 背中に乗って質問すると柊史は首を振り、私をおぶって立ち上がった。
「まさか。今夜のお礼だよ。階段の下まで運んであげる」
 草を踏む音と歩く振動が、私の身体へ一定のリズムを刻んでいる。滑り台の横を通り過ぎ、二つしかないブランコの前へ差し掛かった。
「……重いでしょ?」
「全然。陶子ってさ、僕のこと非力だと思ってない? 前から何となく感じてたけど」
「そんなことない、けど」
「けど、なに?」
「……ちょっとだけ思ってた」
「言ったな?」
「きゃ」
 柊史は突然私を背中に乗せたまま、暗がりを勢いよく走り出した。
「待って柊史、怖い」
「取り消さないとやめないよ」
 大きく揺られながら、落ちないようにと彼の首へしがみつく。
「取り消す! 取り消すから、柊史」
 お願いする言葉に笑った彼は歩みを止め、深呼吸をいくつかした後、肩先にある私の顔をゆっくり振り向いた。

「陶子」
「うん?」
「……僕のこと、頭がおかしいと思う?」
「え」
「一緒に住んでみて、よくわかったんじゃない?」
 柊史は苦笑しながら再び前を向いて歩き始めた。
「そんなこと、全然思わないわ」
「陶子以外には見せていないよ、僕のこういう姿。だけどそれでもよく言われるんだ。変だって」
「何を?」
「演出方法も、金の掛け方もね。常識とは外れてるってさ」
「……」
「普通にやってて何が楽しいっていうんだ」
 珍しく彼は吐き捨てる様に言った。静かな夜のアパートメント付近に足音が響く。
「僕はね、できれば舞台に必要以上の金を掛けたくない。飾り立てればそれだけ役者にまで負担がかかりすぎる」
「そんなにかかるの?」
「そうだよ。特に小劇団はね。自分のノルマチケットを全部売ってきたって何の足しにもならない。赤字が当たり前なんだから」
「でも柊史の舞台は赤字を出さないんでしょう?」
「出さないって言ったって、黒字部分はまだまだほんの僅かだよ。トントンの時だってあるくらいだ」

 彼が悩んでいるものの一つに、舞台を創る為の資金繰りがあった。とはいえ、彼の舞台は小さな劇場で上演している時から、赤字を出さない事でも有名で、役者の人達が彼の舞台へ出演したがる理由のひとつにもなっていた。柊史の舞台を観に行くきっかけをくれた友人が、そう話してくれたのを覚えている。

「極論を言えばね、本当は何もいらないんだよ。豪華な照明も、舞台セットも、音響も、椅子も、固定した舞台も。役者と観客がいれば舞台は成立する。勿論、面白ければの話だけど」
 形の良い彼の耳へ私の頬をそっと押し付けると、冷たい感触が伝わった。ちらりと私へ目を向けた柊史の表情は一瞬だけ和らいだ。
「でもそうやって切り詰めていけば、皆の負担が少なくて済む。その分長い期間公演だってできる。……っていう考えは、甘くて青臭くて馬鹿げてて、それじゃ観客も集まるわけが無いんだってさ」
「誰がそんなこと言うの?」
「さあね。なるべく目に入れないようにはしてるけど、わざわざ直接言ってくる奴もたくさんいるから嫌でも耳に入ってくる」
「……」
「言われ慣れてるから気にしないよ」
 諦めを含んだ声色の中に、強い意志が見え隠れした気がした。
「それでも、好き?」
「まあ、7年も続けて来たんだから好きなんだろうね。正直やめたくなる時もあるけど」
「支持してくれる人もたくさんいるんでしょう?」
「うん、そうだね。そうだ」
 何度も柊史は頷いた。
「僕にはこれしかない、って言ったら大げさだけど、陶子にはずっと見てて欲しいって思うよ。いつか認めてもらえるようになるまで」
 柊史は私をおぶったまま夜空を見上げた。同じ様に私も星が輝く冬の空を見詰める。

「陶子がいるから僕は、今も安心してこんなことが出来る」
 真っ白な息が、柊史の言葉と一緒に冷たい空気を彷徨った。
「君がいてくれるだけでいい」
「ここへ初めて来た夜も、同じ事言ってくれた」
「何回でも言うよ。こうして僕の傍にいてくれるだけでいいんだ」
「……うん」
 そっと柊史の背中を降り、後ろから彼の身体へ手を回す。
 この思いが離れていかないよう、彼の背中に顔を押し付け、私の精一杯の力で強く……抱き締めた。
「陶子」
「……」
「まだ階段の下じゃないよ」
「いいの。少しだけ、このままでいさせて」

 『いつか』が、いつなんてどうでもいい。ただこのまま、同じ時が続いてくれればいい。
 すぐ側にある、もうほとんど葉も落ちてしまった銀杏の樹が、私達を静かに見下ろしていた。




BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2010 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-