先生やって何がわるい!

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(38)発表会




 練習の成果を発揮するこの日が、とうとうやってきた。
 発表会の舞台は、園の最寄から三駅離れた場所にあるホールだ。園にある講堂では狭すぎる。子どもたちだけが楽しむだけならその広さでもいい。でも、もちろんそんなわけにはいかない。
 入学式よりも多い人がやってくるのだ。両親、おじいちゃん、おばあちゃん、園の子のお兄ちゃん、お姉ちゃん、下の兄弟たち。いとこだの、習い事の先生だの。それぞれ欲しいチケットの数を申請してもらってるんだけど、一家族8枚くださいなんて人もいて、改めてそのすごさを感じていた。
 そりゃ、勝手にカスタネットへ変えたりしたら怒るかもしれんわな、この大舞台じゃ。

 俺はと言えば、会場に着いてから、なぜか運動会の時よりも緊張していた。だってさ、子どもたちのことは勿論、梨子先生のピアノのこともあるし、俺の責任ダブルで重大なんだよ。
 教えて欲しいと言われてから毎日、終礼後に彼女のピアノを聴くために一緒に過ごした。余計なことはなるべく考えないで、とにかく梨子先生のピアノの向上に努めた。
 俺だって彼女と一緒に、ひよこの子どもたちと年中へ上がりたいんだ。

 発表の一時間前に子どもたちは親と一緒に来場し、役員のお母さんたちに出席を取ってもらい、それぞれの席へと座る。園長や来賓の挨拶が終わる。PTA会長の話しが終われば本番だ。
 ひよこ組に欠席者はいない。この時期風邪を引いたり、インフルエンザにかかる子どもも多いから、それは本当にありがたいことだった。
 楽屋の前の廊下には衣装を着けた年中児が集まり始め、それぞれ先生たちと係りのお母さん達と共に整列を始めていた。
 俺は梨子先生と下手の舞台袖へ周り、役員のお母さん達が連れて来た、ひよこ組の子どもたちを座らせる。全員黄色の衣装を着て、頭には青や赤のとんがり帽子を被っていた。泣いてる子は……いないな?
「ゆーすけせんせー」
「よーし、みんながんばろうな。いつもと一緒だからね。先生がピアノを弾きながら、皆のこと見てるから」
「あのおっきいピアノ?」
「そうだよ、すごいだろー」
「うん、すごい!」
 ピアノ自体は舞台上では見えないように、ぎりぎりのところまで袖に引っ込ませてある。
 子どもたちの顔は輝いていた。緊張してる子も確かにいる。だけど、俺が言った通りに体育座りをし、前を見つめる子どもたちは、なんかすごく頼もしく見えた。胸に熱いものがこみ上げてくる。いかんいかん、まだ始まってないだろ。
 緞帳が降りたところで、子どもたちを舞台上へ連れて行き、一度場当たりをした。普段も教室の床へビニールテープでバビリしているから、子どもたちはすぐに何のことだか理解してくれたようだ。1組の子も場当たりをし、また急いで舞台袖へ戻った。
 いよいよだ。

「さあ、準備もできたようです。それでは大きな拍手でお迎えください。ひよこ2組、『もりのおともだち』です!」
 主任の言葉を合図にゆっくりと緞帳が上がり、会場から拍手と歓声が起こった。ピアノの前で息を吸い込み、軽やかなマーチを弾く。音に合わせて、2組の子どもたちは腰に手を当ててスキップをしながら舞台へと出て行った。がんばれ。俺も皆が踊りやすいように頑張って伴奏するからな。
 ピアノの向こうにいる子どもたちを、曲を弾きながら鍵盤と交互に見つめた。音に合わせて何度も何度も練習したポーズを繰り返し、一生懸命に踊る子どもたち。俺は子どもたちを信じてたし、子どもたちも俺を信じてくれている、そう感じた。たった三分かそこらだけど、ものすごく長い時間だった。多分、子どもたちは、それよりもずっとずっと長い時間を感じていたに違いない。

 曲が終わり、ステージが暗くなる。観客席から大きな拍手が起こった。ピアノの椅子から立つと、子どもたちがこちらへ戻って来た。何だよ、前が霞んでよく見えないぞ。頬が冷たい。子どもたちが俺に抱きついて来た。
「ゆうすけせんせー、だいじょうぶだよ。もう終わったよ」
「泣かないで。いい子いい子」
「よくがんばったね」
 おいおいおい、子どもに何言わせてんだよ。ああ、でも涙が止まらないんだ。
「あ、ありがとう……」
 情けない。いや、違うんだ。皆が頑張ったからさ。すごく頑張ってくれたからさ。先生は嬉しかったんだよ。
「皆、おりこうさんだったね。すごく上手で、先生感動した! 嬉しかったよ。本当によく頑張った!」
 うん! と返事をした子どもたちは、係りのお母さん達と共に楽屋へと戻っていった。もうちょっと余韻に浸りたかったけど仕方がない。休む間もなく次はひよこ1組だ。

「……あ、梨子先生」
 振り返った俺に、うん、と力強く頷いた梨子先生は、楽譜を広げてピアノの前に座った。俺はひよこ1組の子たちと舞台袖にしゃがみ、その時を待つ。
 ひよこ1組のダンスを紹介するアナウンスが流れた。チラと振り向くと、梨子先生は座ったまま子どもたちを見ている。緊張してるんだろうな。彼女の心臓の音が伝わってくるようで、俺まで苦しくなってきた。
 緞帳が上がり、梨子先生のピアノが響き渡る。大丈夫だ、大丈夫。子どもたちは無事に舞台へ出て行った。観客から見えない場所へ俺は移動し、梨子先生が俺のクラスの子どもたちへしてくれたように、俺もひよこ1組の子どもたちを近くで見守る。上手だよーとか、だいじょうぶ、とか声を掛けてあげるんだ。

 無事に踊れて舞台袖へと戻って来た子どもたちを、しゃがんで抱き締めた梨子先生は嬉しそうに笑った。
「皆とっても上手だったよ! ママたちにもたくさん褒めてもらおうね!」
「たのしかったー」
「りこせんせー」
 子どもたちも笑顔だった。年少が誰も泣かない発表会なんて、なかなかお目にかかれないらしい。そばにいたPTA会長に褒められた。
 ひよこ1組の子どもたちも係りのお母さん達に連れられ、自分の親が待つ場所へと戻って行った。
「裕介先生、ありがとう」
 俺の隣に来た梨子先生が小さな声で言った。大丈夫だ。特にひどい失敗もなかったし、何より子どもたちが楽しそうだったんだから。
「いや、俺じゃなくて、梨子先生が頑張ったからです」
「ううん、本当に本当にありがとう。もしこれで駄目でも、私悔いはないよ」
 その横顔に胸がずきっと痛んだ。前を見つめて唇を噛んでいる。悔いはない。どういうことだろう。いや、もし年中に上がれなくても、また年少でも頑張るってことだよな? まさか、一也先生みたいに……。いやいやいや、俺の考え過ぎだよ。


 午後の部も無事に終わり、職員は片づけに奔走し、園へ戻った時には夕方の6時を回っていた。その後、年長の先生たちは楽器の手入れと片付け。年少と年中は舞台で使った大道具や、衣装や小道具なんかを来年の為に倉庫へと戻した。大きな道具を片づけるのは男の先生、ってことで、倉庫には俺と一也先生の二人きり。

 俺は寒い倉庫の中で、噂の真相を一也先生へ確かめるタイミングを伺っていた。





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