先生やって何がわるい!

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(39) 倉庫の中で




 最後の段ボールを積み上げ、倉庫の中を一也先生と最終確認した。

「年中さん、オペレッタ上手でしたね」
「おう。まあ、あれだけ練習すればな。年少も頑張ってたじゃん。可愛かったし」
「ありがとうございます」
「こうして順に舞台を踏んでいけば、年長で堂々と楽器演奏もできるようになる。大きなことが終わると、心底ホッとするよな」
 棚を見上げる一也先生の横顔が、何だか寂しそうに見えた。
「一也先生。……辞めるって、マジすか」
 俺の質問に驚いて振り向いた一也先生は、首の後ろへ手を置き、さすりながら困ったように言った。
「あー、うん。まあな」
「何でですか? あんなに子どもたちからもお母さんたちからも人気あるのに。仕事だってすごく出来るし、俺からしたら、羨ましくて仕方がないのに。なんか、意味わかんないです」
「俺さー、って言うなよ? 保護者には、まだ絶対に秘密なんだからな」
「はい」
「俺、結婚したいんだよ」
「え!」
「今すぐってわけじゃないんだけど、でもいずれ近いうちには。けどさ、ぶっちゃけると、ここの給料、つか幼稚園の給料って低いだろ? お前なんか一年目だから、よくわかってるだろうけど。幼稚園と保育園が統合する、なんて話も一時期あって迷ったけど、まだどうなるかわかんないしな」
 こんないい先生、逃がしちゃ絶対ダメだ。逃がすってのも変だけど、とにかくこの園には必要な人だ。
「俺が」
「ん?」
「俺が園長先生に言います。給料上げるように、説得してみますから」
 一也先生はポカンと口をあけてから、俺をまじまじと見つめた。
「何でお前が園長先生に言うんだよ。第一、新人がそんなこと言ったって聞いてもらえるわけないだろ」
「あ、そう、ですよね……。すみません」
 やべえ、つい。俺が園長の息子だなんて知らない一也先生にしてみたら、変な後輩が訳わかんないこと言ってるだけだよな。
「いや、ありがとな。引き留めてくれるのは嬉しいよ。でも、もう次も決まってるんだ。保育園に」
「え……」
「働く母親が増えて保育園は子どもが入れないくらい人気だし、将来も安定はしてる。働く時間もきっちりしてるしな。結婚しても彼女も働いてくれるとは言ってるんだけどさ」
 親父の奴、何で引き留めなかったんだよ。そんな大事なこと、何で言ってくれなかったんだ。

 今さらだけど、俺、一緒に仕事をしてきた仲間をこのまま騙し続けていても、いいんだろうか? 俺が園長の息子で、いずれはここを継ぐんだってこと。ずっと黙っていることが、本当にいいことなんだろうか? 一也先生の、さっきの寂しそうな横顔を思い出して、急に罪悪感に襲われた俺は、やりきれない気持ちで一杯になってしまった。


「待ってくださーい」
「あれ? 梨子先生だ」
 外へ出て倉庫の鍵を閉めようとした時、梨子先生が園庭を走ってこちらへ来た。
「すみません。まだしまい忘れてたのがありました。箱に入れてもいいですか?」
「あ、俺がやります。一也先生、先に行ってて下さい。俺が鍵閉めて行きますんで」
 倉庫の鍵を一也先生から受け取り、もう一度梨子先生と倉庫へ入る。
「どの箱か、わかります?」
「うん大丈夫、私が入れるから。あの、奥の電気もつけてもらっていい?」
「ああ、はい」
 たくさんある電気のスイッチの中から、奥の分を押す。その間に、梨子先生は脚立へ上って棚に積まれた段ボールへ手を伸ばし、持ってきた小物を入れた。
 彼女の方へ近づきながら考える。一也先生だけじゃない、俺は梨子先生も騙してるんだ。そんなの初めからわかてたことだけど、でも今さら、どうしてこんな気持ちになったんだろう。ふと見上げると、梨子先生が引っ張り出した段ボールが微妙にずれて、横に積んであった段ボールが変な位置に来ていた。何か落ちそうだな、あれ。
「ね、できたでしょ」
 脚立から満足げに飛び降りた彼女が棚に寄りかかると、案の定、今見た段ボールがぐらりと揺れた。それは元々荷物が少ない箱で、軽さから安定が悪いものだった。軽いからと一番上に積んだのが良くなかったのかもしれない。
「あ、あぶね……!」
 咄嗟に駆け寄り、梨子先生に覆いかぶさる。小さく悲鳴を上げた彼女は驚いた拍子に足元がよろめき、引っ張られた俺も一緒にどさりと倒れてしまった。同時に俺の背中へ段ボールが落ちてくる。
「いっ……て! り、梨子せんせ、大丈夫ですか?」
「裕介先生は? 大丈夫!?」
「軽い段ボールだったから痛くはない、です……」

 顔を上げると、梨子先生の顔が目の前にあった。二人が倒れたのは体操マットの上だ。これなら彼女も怪我はないはず。ああ、良かった。
 ……いや良くないか。何だよ、この少女マンガみたいなシチュエーションは。俺、完全に押し倒しちゃった人みたいに梨子先生の上に乗っかってるじゃんか。こんなに近づいたのは、俺の家に梨子先生が来た時以来だ。やべえ、どうしよう。
「裕介、先生」
 目が合って名前を呼ばれただけで、段ボールを背中に受けた痛みも、ここが職場の一部なんてことも全部吹っ飛んで、なんかもう、どうにかなってしまいそうだった。





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