先生やって何がわるい!

BACK NEXT TOP


(36) これがほんとのもんぺあ!?(2)




 実家の風呂で湯船に浸かりながら、職員室でのことを思い出していた。
 あれに比べたら、俺が経験した、まゆちゃんのお母さんの件なんて可愛いもんだよな。そもそもあれは俺が悪かったわけだし。
 でもさっきの二人は、何かむちゃくちゃ言ってなかったか? ああいうの、その内俺が園長になったら、全部処理しなきゃならないのか……。
 鼻の上までお湯に入り、ため息を吐くとぶくぶくと泡が出た。よくやってるよな、親父も。俺だったらあの場でキレそうだ。

 風呂から上がると、その間に帰ってきたらしい親父が、食事を前にビールを飲んでいた。
「お先に。ていうか、お疲れ」
「ああ。お前も飲むか?」
「どーも」
 親父が差し出したビールをコップに注いでもらい、ひとくち飲んだ。ばーちゃんがいそいそと自慢の料理を出してくる。急に来たってのに、忙しくさせて悪かったかな。でもばーちゃんの顔は嬉しそうだ。今日も変な柄のエプロン着けてるけど。
「急にどうしたのよ。今夜は泊ってくんだろ?」
「どうしたっつーか、親父こそどうすんだよ、あれ」
「んー? どうするって?」
 漬物を箸でつまみ、口へ放り込んだ親父は、ビールを一気に飲み干した。
「だからほら、なんたっけ、さっきの。年長の親だよ。二人で乗り込んで来た」
「あーあれね。程度の差こそあれ、毎年のことだって。気にすんな」
「なんて言って帰したんだよ」
 しばらく口をもぐもぐさせた親父は、俺の視線を受けながらもったいぶるように、ゆっくりと言った。
「なんて言ったと、おーもーうー?」
「うっぜーな、はっきり言えよ。俺が園長になった時の参考に」
「んじゃ教えない」
「親父!」
 ばーちゃんが、また心配そうに俺を見てる。大丈夫だから。別に本気で怒ってるわけじゃないから。一応仕事の話だから。

 醤油を取ってくれと言った親父は、ワサビと混ぜて刺身へ付けた。よくそんなに、びっちょびちょに付けるよな。体にも悪いだろ。もう歳なんだから。
「じゃあ、お前だったらどうするんだ、裕介」
「それがわかんないから聞いてんだよ」
「いいから言ってみろ。俺の立場に立ったとして」
 職員室の前で大声上げてた保護者の言葉を思い出す。俺だったら……。
「子どもがいいって言ったんだから、カスタネットでやってもらう」
「ふーん。それで?」
「それでって、それで納得してもらうしかないじゃん」
 幼稚園では子どもが主体だ。親が口を出すべきじゃない。と俺は思ってるけど。
「それで納得するか? お前が親だったら」
「俺が、親?」
「乗り込んで来るくらいなんだぞ。あれこれ家で考えて、相当悩んでたんだろ」
「そうか? 勢いで来たんじゃねーの。子ども可愛さに」
「そりゃ可愛いいさ。自分の子だもの」
 孫はもっと可愛いよぉ、とばーちゃんが俺の顔を見て言った。わかったから。この歳でそういうのは、必要以上に照れるからやめなさい。
「自分の子どもに目立つ楽器を持たせたい、主役をさせたい、一生に一度の記念なんだから、なんて考えるもんだ、親なんてのは。俺たちにとっては毎年あることでも、親御さんにとっては子どもの一年一年が初めてで、何でもかんでも一大事なわけだ。その時にしか経験できないんだからな」
「だからって、親の言うこと全部きくのかよ」
「そうとは言ってない。そうとは言ってないが、思いを受け止めることは大事だ」
 親父は三本目のビールをあけてグラスに注いだ。
 開けっ放しのカーテンの向こう側に満月が見えた。庭は結構広くて、家庭菜園なんてのをやってるから、形は悪いけど味のいい野菜が食べられる。

「お前はさ、カスタネットって楽器を、どう思う?」
「打楽器」
「真面目に答えろ」
 急に真剣な声を出した親父に、思わず背筋を伸ばしてしまう。テレビから流れるバラエティ番組の音量を、ばーちゃんが下げた。
「どうって……、どんな子でも気軽にできる楽器? 難しくはないし」
「なるほどな。大きさは?」
「小さい」
「カスタネットをやる子は何人だ? 多いか? 少ないか?」
「多い」
「ってことは、主役じゃないってことか?」
「それは違うだろ。大事な楽器だと思うし。あれがなくちゃ合奏とは言えない」
「そうだな。それでいいんだ」
 うんうんと頷いた親父は、佃煮が美味く出来てると、ばーちゃんを褒めた。
「例えば、バレエなんか……まあ、お前は観たことないだろうけどさ。俺は協会の関係とか、卒園生に呼ばれてとかで、発表会なんかよく観に行ったりするわけよ」
「ふうん」
「プロになった子もいるからな」
「へえ、すごいじゃん」
「でさ、とにかく人数がすごいんだよ、百人単位で出るから。観に行ったって、主役以外はどの子が踊ってるのかなんて、さっぱりわかりゃしない」
 何となく想像はできる。白鳥の湖だっけ? たくさんのバレリーナが舞台いっぱいに並んでいるのをテレビで見たことはある。
「バレエスクールの先生とも話をする機会があるわけ。俺そこで聞いたんだよ」
「何を?」
「主役決めるの大変じゃないですかって。もちろん、うまい子にさせるんだろうけど、周りの親から反発されませんかって」
 園での発表会もそうだ。年少は主人公みたいのはないからまだいいけど、年中のオペレッタは配役を決めるのに苦労するって聞いた。年長の楽器も同じことだ。
「そしたら何て言ったと思う?」
「わかんね」
「主役だけでバレエは成り立ちません。白雪姫も人魚姫も、白鳥も、主役一人では何も物語は進まないんです、って親に話すんだってさ」
「そんなの当たり前じゃん」
「そう思うだろ? 客観的に見て普通はそう思うんだ。だがな、その当たり前が親には通じない。というか理解できない。自分の子が大事だから周りが見えなくなるんだ。逆に主役を食っちゃう役なんかもあるのにな」
「あの二人に、そういうのガツーンと言ってやったわけ?」
「言う訳ないだろ。諭すだけだよ、親だって馬鹿じゃないんだから。でも気持ちを汲んでやらないとな。理解し合おうとしなければ、こじれるだけだ」
 俺にそんなこと出来るだろうか。冷静に話を聞くことすら難しい気がする。
「正彦くんは、小太鼓がいやだったわけじゃない。ただ、それ以上にカスタネットという楽器に魅力を見出したんだろう。誰もが小太鼓の方に憧れる訳じゃないってことだな」
「そういうもんかね」
「大人の思い込みだよ、目立つ楽器が子どもに人気がある、なんてのは。子どもの価値観なんて大人とは全く合わないんだから、大人の杓子定規で測るなんて愚かだよ」

 俺は胡坐をかいていた足を畳の上に投げ出した。結構飲んでるのに、今夜はあまり酔いが回らない。
 担任を始めた頃、子どもたちの様子に驚き、何を思っているのか理解できずに戸惑い、投げ出したくなる時もあった自分を思い出す。でもそれってさ、勝手に俺が子どもたちに対して、理想みたいなものを持ってたからなんだよな。一緒にいて、お互いのことがわかってくる度に、そういうのはなくなっていったけど。
「親だって一人の人間なんだ。合う人も入れば、とことん合わない人もいる。でもそれは先生に限ったことじゃない。どんな仕事だって同じだよ」
「仕事、か。教師がそういうこと言ってもいいのかね」
「教師ったって、金貰ってそれを職業にしてるんだ。仕事なんだと割り切らなければ、やっていけないこともある。お前もこれから嫌っていうほど味わうことになるだろうよ」
「もう十分味わってるけど」
「あんなもん序の口だ。まだまだひよっこなんだよ、ひよこ2組の裕介先生は」
 笑った親父は畳の上にゴロリと横になって、テレビのボリュームを元へ戻した。……笑うとこどこか全くわかんねんだけど。

 でも今夜は素直に親父、もとい園長の話を心の中に留めておこうと思った。





BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2012 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-