先生やって何がわるい!

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35 これがほんとのもんぺあ!?(1)



「みぎのー! おててをー! きーらきらぁああー! そうそういいぞ、上手!!」
 子どもたちと向き合い背筋を伸ばし、右手は腰に、左手を大げさなくらい上空へ伸ばし星を表現しながら、膝はリズムに合わせて屈伸する。恥ずかしいなどと言ってる場合ではない。発表会に向けて、教師も子どもたちも真剣すぎるくらい真剣である。十一月だというのに、教室は皆の熱気で暑いくらいだ。

「ひかるくん、今のお膝いいよ! ちかちゃんの右手、すごくきれいにできた!」
 子どもというのは、音楽が鳴ればリズムに合わせて嫌がることなく踊り出す。……そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
 まさか踊るの嫌いな子がいるなんて全然知らなかったんだよ、担任やるまでは。だってさ、テレビだと体操のお兄さんと皆楽しそうに踊ってるじゃんか! って最初の練習日、落ち込みながら録画したその親子番組をよく見てみると、いやいやいや結構いたわ、いたいた。はじの方で指をくわえて見てるだけの子、そっぽを向いている子、着ぐるみにしか興味を示さない子、泣いてそのまま体操のお兄さんに抱っこされてた子までいる。
 何だか安心した俺は、その日から気持ちを切り替えることにした。
 まずはその気にさせること。自分が楽しんでいなければ、それこそ子どもたちだってついては来ない。次に褒めまくること。特に男子は飽きやすいので注意だ。そして肝心なのが、いつまでもダラダラと長引かせないこと。三歳児は集中できる時間がとても少ない。メリハリをつけて楽しみながら指導していくことが大切だ。簡単そうに思えて、これが実に難しい。

 ともくんとけんちゃんの怪我の一件から、俺は自分の勉強不足を反省し、指導計画も以前より細かく書き出すことにした。子どもと過ごすということは、予測できないことがたくさん起きるということだ。経験不足を補うには、前もって様々なパターンで対処していく方法を考えておかなくてはならない。初歩的なことだけど、日々の忙しさに追われてきちんと出来ていなかったのは確かだ。
 それに、こうしてやることを増やせば、余計なことを考えずに済む。……梨子先生のことも。


「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様でした」
 子どもたちが全員帰り、職員室へ戻ると梨子先生と一緒になった。いや、隣の席だから当たり前なんだけど。
「2組どう? だいぶ練習進んだ?」
 椅子を引きながら、梨子先生は湯気の出ているカップを机に置いた。
「はい。ただ、やっぱり男の子たちは飽きやすいみたいで。難しいです」
「だよねー。私もそこはすごく苦労してる。ノリがいい時は一気に進むんだけど」
 梨子先生は出席簿のチェックをし、日誌を広げて、カップに入った紅茶へ口を付けた。
 相変わらず、いつも通りだ。一緒に花火をしようが、俺のうちに泊まろうが、俺の情けない姿を見ようが、彼女は今まで通り、いつだってひとつも変わらない。俺だけがバカみたいに、一人でこのどうにもならない気持ちを持て余してる。

 コーヒーでも入れてこようかと立ち上がった時、職員室の入口、引き戸の向こう側から突然大声が聞こえた。
「どうしてうちの子が、カスタネットなんかやるんですか!?」
「とにかく話にならないんですよ。いいから園長先生をお願いします」
 なんだ、なんだ、なんだ!? この場にいる先生たちと目を合わせる。そういえば、年長の先生たちがまだ誰も戻っていない。ここにいるのは俺と梨子先生、年中の先生たちと園長、主任と事務の先生だけだ。

 親父、もとい園長が自分のデスクから立ち上がり、急いで入口へ駆け寄った。園長が手を掛けたのと同時にガラリと引き戸がひらき、向こう側から誰か……子どものお母さんらしき人が現れた。
「園長先生! お話があります!」
「こんにちは。どうされましたか?」
 興奮気味な母親相手に随分と落ち着いてんな、さすが園長。
「発表会でうちの子が演奏する楽器なんですけど」
 職員室に飛び込んできそうな勢いなのを、園長が何とか遮っている感じだ。訴えてるお母さんの後ろには、お父さんらしき人もいる。おいおい夫婦で来たのかよ。そのまた後ろに、年長の先生たちが二人を囲んでいるのが見えた。
「ここじゃなんですから、園長室へどうぞ」
「いいえ、ここではっきり言わせていただきます! 他の先生方にも聞いてもらわないと!」
 園長の声掛けを全く聞き入れない、そのお母さんに驚いた。俺は立ちあがったまま、呆然とその様子を遠くから見ていた。とにかくすごい勢いだ。職員室にいる先生たちも、椅子に座ったまま体はそちらに向けて、じっと動向を見守っている。
「美利香先生、このお方は?」
 反対に、園長の対応は冷静だった。
「くま3組の大橋さんで、」
「うちの子、最初は小太鼓だったんですよ。それを急にカスタネットだなんて納得できますか!?」
 うっわー、美利香先生の言葉も遮ったよ。完全にシカトか。見てる俺の方が怖いわ。職員室中が今ので凍りついた気がする。
「発表会の楽器ですね」
「そうなんです、園長先生。正彦は自分で変えた、なんて言ってますけど絶対に違うんです! きっと年長の先生たちが無理やり言わせたんです」
「ちょっと、そんな……!」
 年長の先生たちの声が一斉にここまで聴こえてきた。
「とにかく、このままでは妻も私も正彦を発表会に参加させるわけにはいきませんから」
 この低い声。お父さんも発言か。両親で出てくるって、ほんとマジどうなの?
「大橋さん。もう少し詳しいことを園長室でお聞かせ願いますか? 私と年長の先生たち、あと主任も同席します。他の学年の先生たちはまだ業務が残ってますので」
 園長の低い声に、ようやく両親は喚き散らすのを止め、しぶしぶ頷いた。
「……わかりました」
「一也先生、梨子先生、悪いけど終わるまで、ここお願いね」
 いつもの笑顔でこっちを一瞬振り向いた園長は、主任と一緒に職員室を出て行った。

「久しぶりに来たねえ。今年の発表会は大丈夫かと思ってたのに」
「私は初めて見ました。大変ですよね……」
 一也先生と梨子先生の会話を背中で聞きながら、奥にある小さなキッチンへコーヒーを淹れに向かう。
 親父、どうするんだろう。あの調子じゃ時間かかりそうだよな。今日は金曜で明日は休みだ。どうなったのかも気になるし、今夜は実家へ泊まるか。

 インスタントコーヒーの粉をカップへ入れ、お湯で溶いて口へ運ぶと、熱さと苦みで余計に気分が重たくなった気がした。





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