先生やって何がわるい!

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(34)好きになる資格




 3階のトイレにいた浅子先生に声を掛け、梨子先生に言われたものを二人で用意し、屋上へ出る。

 駆け足で戻った俺から濡れタオルを受け取った梨子先生は、血が付いた二人の頬や口の周りを拭いた。
「職員室行こうね?」
 お願いします、と浅子先生に言った彼女はけんちゃんを抱き上げ、周りの子どもたちへ笑顔で言った。
「梨子先生はすぐ戻るからね。裕介先生は職員室。皆浅子先生と一緒にお利口さんにできるかな?」
「はーい」
「いい子!」
 そして俺を振り向いた梨子先生の表情は、打って変わって厳しいものになっていた。
「裕介先生行くよ。ともくん抱っこして」
「はい!」
 震えるな、俺の手!! 鼻血を出しているともくんを抱っこして、急ぎ足の梨子先生のあとをついて園舎に入る。

 階段を慎重に降りながら、早口で梨子先生は話し始めた。
「いい? できるだけ、その時の状況を園長先生と主任にお話して。わからないことは正直に言うんだよ? できれば、けんちゃんとともくんからお話が聞ければいいけど、けんちゃんは親御さんに連絡が付き次第、許可が下りれば裕介先生がこのまま病院に連れていくことになると思うから」
「俺がですか?」
「もし連絡がつかなくても緊急だから連れて行くことになると思う。かかりつけの医院だからすぐに処置してくれるよ。裕介先生だけじゃなくて、園長か主任が一緒に行くし、保護者の方への対応をどうするのかも全部教えてくれるから」
 情けないことに俺は泣きそうだった。二人をこんな目に遭わせてしまったことの不甲斐なさと、あんなに血が出てしまった怖さとで、頭も体も混乱していた。
「裕介先生。全部終わったら教室で話そう? 帰り、ずっと待ってるから」
「……はい」
「けんちゃん、ともくん、絶対大丈夫だからね? 裕介先生が一緒だから大丈夫だよね?」
「うん!」
「オレ、強いからへーき」
 まだ涙と鼻水をぐすぐす垂らしながら、けんちゃんとともくんが言った。俺は……何も言えなかった。


 病院へ行き、処置をしてもらい、子どもたちを迎えに来た母親たちへ状況を話し、主任と園に戻った。気付けばもう日は落ち、終礼も終わった職員室はがらんとしている。
 園長に俺と主任でいきさつを話して、ひとまず一旦終了となった。このあと園長が子どもたちそれぞれの家に電話をし、もう一度謝罪すると言う。梨子先生には、まだやり残していることがあるからと言って、先に帰ってもらった。正直、合わせる顔が無い。バタバタしている内に、他の先生たちもほとんど帰宅していた。
 暗くなった園内の廊下を歩き、ひとつひとつの教室を順番に見回っていく。一階の奥、うさぎ1組の教室だけ明かりがついていた。今は誰とも話をしたくない。大きく息を吐いてから、引き戸を静かに開けて声を掛ける。
「失礼します」
「おお、お帰り。お疲れさん」
 教卓で作業をしていた一也先生が顔を上げた。
「あの、窓締めてもいいすか?」
「ああ、もうそんな時間か。裕介先生週番だっけ」
「はい」
 部屋へ入った途端、一也先生が言った。
「血、噴いたんだってー? 噛み付き?」
「……はい」
 その明るい声に、思わず俺は一也先生から顔を逸らしてしまった。そのまま教室奥にある窓辺へ行き、開いている窓を閉め、ついでにカーテンを引いた。
「大丈夫だったんだろ?」
「一応は」
「男同士だし、そんなもん日常茶飯事だって」
「……」
「親は?」
「お互い元々、家族ぐるみで仲が良かったみたいで。幼稚園では初めてでしたけど、普段も仲がいい分、喧嘩もしょっちゅうだって言ってました」
 病院でも、ともくんとけんちゃんのお母さんたちは、俺の心配をよそに、いつものことって笑ってくれた。
「二人の内どっちかが、まだしゃべるの上手くないんじゃないか?」
 一也先生は手元のサインペンとハサミを片づけ始めている。
「あ、そうです。何を言ってるのか前よりは、わかるようになってきたんですけど。初めの頃は僕もよく理解できなくて」
「言いたいことが上手く伝わらないと、相手に噛み付くんだよ三歳児って。年中になると不思議となくなっていくんだけどな」
 そういえば、何となく習った気がする。ともくんが初めて声を掛けてきた時、俺が聞き取れなくて怒ってたよな。本人にしてみれば当然だ。
「もどかしいんだろうな。やられた方はたまったもんじゃないだろうけど、でもそれで気付くんだよ、お互い。相手が何を言いたいのか耳を傾けるようになる。気づき方がヤバいんだけどさ」
 色画用紙をトントンと揃えながら、一也先生は苦笑した。
「でも、やっぱり俺がちゃんと見てなかったからだと思うんです」
 いつもより集中力が欠けていたのは確かだ。
「まあ、子どもってのは、よくわかってるからな。大人の見てないところで、そういうことやらかすもんだし。俺の一年目もいろいろあったんだから、あんま落ち込むなって」
「一也先生も?」
 教卓の後ろにある戸棚へ色画用紙とサインペンのセットをしまった一也先生は、俺を振り向いて壁に寄りかかった。
「年中児の一人担任で補助もいないし、どうしたらいいのか、まるでわかってなかったんだよ。子どもたちに対しても、今と違って全然注意しなかったし。まず子どもを叱るっていう発想自体が無かった」
 子どもたちはもとより、母親たちからも絶大な信頼のある一也先生の話とは思えなかった。
「いつの間にか子どもたちもやりたい放題になってた。気づいたら机の上に子どもが上履きのまま乗ってて、そこから飛び降りて隣の机の角にドーン!」
「え!」
「おでこの上、切っちゃってさ。頭周りって血が出やすいんだよな。縫わなくて済んだけど、大騒ぎだったよ。俺、あの時先生辞めるって覚悟決めたんだから」
「ほ、ほんとですか?」
「あの美利香先生だって、一年目の時は子どもたちが言うこと聞かなくてふざけて骨折したり、引っ張りっこして腕抜けちゃったとか、俺よりひどかったらしい。今じゃ考えられないだろ?」
 俺は馬鹿みたいに口を開けたまま突っ立って一也先生を見つめていた。想像できない。本当の話なのか? それ。
「一年目だからって許されるわけじゃないけど、教師も子どもも学んで行くんだよな。これ以上やったらそういう目に遭うんだってことを。命に関わる事故は滅多に起きないけど、でもお互い気を付けなきゃいけないって自覚するようになる。あんなに小さくてもさ」
 机の上のノートと筆記用具を持って、こちらへ向かって来た一也先生が、俺の肩を叩いて言った。
「梨子先生がフォロー入れてくれたんだろ? もう気にすんなって」
 その名前に胸がずきんと痛んだ。今は、一番聞きたくない名前だった。お先に、と言って一也先生はその場を去って行った。

 うろたえて何も出来なかった俺と、冷静に対処してた彼女。たった一年だけど、大きな差がある。……ありすぎるんだよ。
 俺、梨子先生を好きになる資格すら、まだない。





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