先生やって何がわるい!

BACK NEXT TOP


(32) 担任交換(2)




 クレヨンを使って絵を描く子どもたちへ、順番に声掛けをしていく。
 いつまでも描き始めない子、さっと描いてすぐに終わらせようとする子、ちいさーく描いて結局描き直す子、丁寧に時間をかけてマイペースに描く子。個性がいろいろで興味深い。

「やりたくないっつってんのに」
 ヒロキくんはまだぶつぶつと文句を言っている。制服を汚さないように着ている水色のスモックには、例の海賊のワッペンが付いていた。お前もあの熱血たちの仲間になるのか。
「そんなこと言って、上手いじゃんヒロキくん」
「え」
 ヒロキくんは俺を見上げて目を見開き、口を大きく開けた。
「色使いもいいし、しっかり描けてる。もしかしてどこかで習ってるの?」
「べ、別に習ってないけど……。それにこれ、全然上手くないし」
 あ、照れた。
「裕介先生、ヒロキって絵はすごーく上手なんだよ。睦美先生にも褒められてた」
 真っ赤になって画用紙を隠そうとした彼は、周りの女の子を睨み付けて言い放った。
「あーあ、ほんっと楽しくないってーの……!」
「んじゃやめる? 一人で? 皆やってんのに? 先生は別に構わないけど」
「……やる」
「楽しくないのに描いてて偉いねー。先生感心しちゃうなー。やっぱ年長は違うよなー」
「あっちいってよ、裕介先生。あんま見るなって」
「はいはい」
「はいは、一回!」
「ははっ」
「うー、笑うな!」
 なーるほどねー。こうやって受け流せばいいのか。さっき悪口言ってた女の子も、本当はヒロキくんのことをよく知ってて、さりげなくフォロー入れてくるとこなんか、年長らしくていいよな。

 全員のお絵描きが終わり、園庭へ出て約束通りドッジボールをし、その後縄跳びを始めた。先に園庭に出ていた別のクラスの子どもたちは教室へ戻り、くま3組の貸切状態だ。空は秋晴れのいい天気。空気も澄んでいて、子どもたちが外で遊ぶには絶好の日よりだな。
「測るぞー。用意……スタート!」
 年長は一月の縄跳び大会へ向けて今から毎日練習をしている。本番では何秒飛ぶことが出来るか各クラスごとに競い、学年で順位を決める。上位に食い込むために自主練している子もたくさんいた。子どもたちは全員それぞれ自分の縄を持ち、場所を確保するために園庭いっぱいに広がり、俺はストップウォッチを片手に大声を張り上げた。
「十秒ー……二十秒! ……三十秒!」
 縄が引っかかった子はその場で座り、飛び続ける子を見守るルールだ。あーあ駄目だった、とか、次はもっとがんばる、なんて友達同志で声を掛けあっている。
「二分三十秒! がんばれ! 皆も応援してあげてー!」
「がーんばれ、がーんばれ!」
 くま3組の子どもたちの声が園庭中に響く。
 腕時計に目をやると、年少はもう弁当の時間だ。弁当箱、全員うまく開けられただろうか? お茶こぼしてないかな? お当番は喧嘩してないか?
 くま3組の子どもたちの縄跳び姿を見ながら、またしても俺はひよこ2組の子どもたちの心配をしていた。

 年長の弁当の時間も迫った為、首からぶら下げていた笛を吹いて子どもたちを集め、自分の縄の片づけをさせた。女の子たちは器用に自分の縄をひとまとめにし、さっさと教室へ戻った。それに続いて負けじと男の子たちも下駄箱へ走っていく。最終的に俺と、一人の男の子だけが園庭へ残ってしまった。
「はい。やってあげるよ」
「は?」
「いや、その縄跳びのひも。結べないんだろ?」
 俺が手を差し出すと、よういちくんは眉を寄せ、不快な表情を露わにした。
「……年少じゃないんだからさー、自分でできるし。時間はかかるけど、待ってよ」
「あ、ああそうか。ごめんごめん」
 彼はせいいちくんの兄だ。入園式後、せいいちくんはこのお兄ちゃんを呼びながら泣いてたっけ。
「ていうかさ、年少だって結構いろいろできるんだぜ? オレの弟だってこれくらい家で自分でやってるよ」
「え」
「だって赤ちゃんじゃないだろ。先生まだよくわかってないよなー、ひよこ組のこと」
「……」
 俺は驚いていた。驚いたっていうか、驚かされたんだ。この二十個近く年下の男に。赤ちゃんじゃない。そうか、あいつらを俺が赤ちゃん扱いしてたから、何もできないように見えてたのかもしれないのか。
「反省した」
「え?」
「先生、反省したよ。そうだよな、赤ちゃんじゃない。お母さんとお父さんと離れて幼稚園に来てるんだ。そんなの赤ちゃんじゃないよな」
「どうしたんだよ、裕介先生。変なんだけど」
「いや、ありがとな。やっぱ年長ってすごいや」
「はああ? そんなの当たり前だし!」
 赤くなったせいいちくんの兄、よういちくんは綺麗にまとめた縄跳びのひもを手にして、下駄箱で待っている友人の元へ駆け寄っていった。


「お疲れ様です!」
「あー裕介先生、お疲れ様でーす!」
 一日担任が終わり、職員室の前の廊下で睦美先生と一緒になった。ショートカットの睦美先生は、これ以上はないんじゃないかというくらい満面の笑みを俺へ向けた。
「裕介先生、ひよこ2組の子たち、本当に可愛いね〜!!」
「あ、はは……」
「可愛いし、いい子だし、素直だし、お手伝いもたくさんしてくれたよ」
「ほんとですか?」
「うん。きっと裕介先生がいい指導してるんだね。感心しちゃった、すごいよ」
「いや、それは清香先生がいてくれるから……」
 俺が言い終わる前に、睦美先生は真面目な顔で言った。
「そんなことない。子どもたち、ちゃんと裕介先生のこと見てるんだよ。担任の先生を自分たちの先生だって、こっちが思ってるよりもずっと認識してるものだよ」
「そう、ですかね」
 なんか、睦美先生の言葉に感動してしまった。
「うちのクラスの子たちはどうだった? 生意気だったでしょ?」
「……ちょっとだけ。でも僕にいろんなこと教えてくれました。子どもたちよりも僕の方が勉強してきた感じで。皆いい子でした、本当に」
 うんうん、と睦美先生は嬉しそうに頷いた。
「毎日その……本当すごいですよね、年長の担任って。大変だと感じました」
「そんなのお互い様でしょ。年少だって根本的な所から大変じゃない」
 睦美先生は俺の肩をポンと叩いた。
「でもありがと。報われた、何だか」
 声のトーンが低くなって微笑んだ睦美先生が、何というかすごく綺麗に見えてしまった。変な意味じゃなくて、先輩として、先生として。先に職員室へ入っていった睦美先生の背中を見送り、その場に残った俺はジャージのポケットから、くま3組の女の子たちにもらった手紙を取り出した。綺麗に折りたたんである、ピンクや水色の便箋を数枚ひらく。

『おおきくなったら、でーとしようね! やくそくだよ。まりあより』
『ゆうすけせんせい、わたしがおとなになったらおよめさんになってあげる。みずきより』
『ゆりかは、かっこいいゆうすけせんせいがだいすきです! ゆりかのハートのシールあげるね。だいじにしてね』

「……ははは」
 モッテモテじゃん、俺。おまえら十年経ってもその気持ち忘れんなよ?
「裕介先生、どうだった?」
「!」
 うおー! 梨子先生の登場にまた心臓が……! 後ろからの不意打ちはやめてくれ。彼女はあれから何事もなかったように接してくれているというのに、俺はまだまだ修行が足りない。
「さ、最近の子って、なんか、ストレートですよね。ハハハ」
 手紙を覗き込んできた梨子先生も、ふふと笑って持っていた日誌を抱きしめた。
「私もプロポーズされちゃった。僕が大きくなったら結婚しようって。年中さんなのにねー」
 ぬお、な、なんだとおおおお!? このクソませガキが!! ……いかんいかん、子ども相手に何をムキになってんだ俺は。でも、年中、年長の男児たちはしゃがみ込んで女の先生のハーフパンツの中を堂々と下から覗いてたり、さり気なく胸触ったりしてるからな。天然な振りして油断がならないんだよ、あいつらは。
「どうしたの?」
「いえ、別に。あの……なんていう子ですか?」
「ヒミツ」
「え」
「だって二人だけの秘密だよ、って言われちゃったから誰にも教えない。ママにも秘密なんだって」
「へー……」
 俺もたいがいにしないといけないなー。たった5歳かそこらの男児に思わず激しく嫉妬してしまったじゃないか。

 子どもたちにもらった手紙を、またポケットへ突っ込み、梨子先生が開けてくれた引き戸から職員室へと入る。
 これからどうすっか、俺。梨子先生に対して、この気持ちを。





BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2012 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-