先生やって何がわるい!

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(17) パパたちの参観日





 六月の第三土曜日。今日は、父親参観日である。
 子どもたちは父親と登園し、保育の初めから最後まで一緒に過ごし、帰りもそのまま親子で帰るのでラクと言えばラクだ。そういうわけで、補助の先生は今日は入らないから俺一人だ。

 体の具合もすっかり良くなった俺は、最近調子がいい。清香先生とも上手くいってる。というか、俺の知らない間に主任が清香先生へ注意をしていた。
 清香先生がピアノを弾いているのを偶然見かけた主任は、担任がいない場合を除いて担任の代わりをするのは、子どもたちと保護者に混乱を招くから良くないと、後から清香先生へきっぱり言ったそうだ。もし補助という立場に徹することが出来ないのなら、来年から担任として復活するようにとまで言っていた。
 清香先生はすぐに反省してくれて、俺も自分の至らなさを謝り、お互い気持ちよく助け合おうと約束した。何となく一つの山を越えられた気がして、正直嬉しかった。

 梅雨真っ最中というのもあって、今日は雨が降り出しそうな曇り空だ。
 次々と親子が教室へ入って来る。うわあ……お母さん達が集まるのと違って、何だこの空気は。改めて願書を見たけど、ほとんどが俺の10コ以上年上だ。子どもが三人目というお父さんに至っては、四十代半ばなんて人もいる。この雰囲気に、いつもとは違った緊張が走る。

「裕介先生」
「あ、は、はい」
 低い声で名前を呼ばれて振り向くと、そこにはひかるくんとお父さんがいた。そ、そっくりじゃんか。お父さんデカイなー。
「いつもうちの息子が大変お世話になっております」
 深々と頭を下げられて、思わず一緒に頭を下げる。
「いえ、至らない点ばかりで申し訳ないのですが」
「いや、こんなきかんぼうが一人でも大変だって言うのに、何十人も」
「いえ、そんなこと」
「いやいや、そんな」
「そんな、全然」
「いえいえ」
 ねえ、これいつまで続くの? 五回くらい頭下げ合って何とか脱出成功。と思ったら、その後も次々と俺のところへ来るお父さんたち。何これ、どっかの会社の挨拶? 皆、なんかの取引先?

 そうこうしている内に全員が揃った。子どもたちはいつもの席へ座らせ、お父さんたちには教室の端で立っていて貰う。どうやらこのクラスは全員父親が来たようだ。仕事の都合で母親が代わりに来ることもあるって聞いてたんだけど、見渡す限り男です。二十数名プラス俺、の大人の男が子どもたちを囲んでいる。まあ、安心するっちゃ安心するな。

 朝の歌と挨拶をする。お父さんたちは見事に、子どものビデオ撮りに夢中だ。
「みんな、座ったまま後ろを見てごらん」
 俺が言うと、子どもたちは自分の父親を振り向き、手なんか振ってる。
「今日は誰がいますかー?」
「ぱぱー!」
「せんせー、ぱぱがいるよ」
 お父さんたち、顔が……! にやけすぎだろ! 何て嬉しそうなんだ! 俺まで幸せな気持ちになってきたぞ。
「そうだね。今日はパパたちと一緒に楽しく過ごそうね」
「はーい!」
 うんうん、皆可愛いな。やっと返事もできるようになってきたし。
「お父様方、本日はお忙しい中、ありがとうございます。今日は子どもたちと一緒に楽しんでいって下さい。どうぞよろしくお願い致します」

 今日のメインは親子製作だ。親子で選んだ色画用紙へ、ちぎった折り紙をのりで貼っていくと、紫陽花が出来上がるようになっている。それが終わるとクイズ大会だ。
「せんせー、おのり、もうない」
「あれほんと? 足りなかったかな?」
 どうやら、子どもたちよりも必死になっているお父さんたちが、のりを使いまくっているらしかった。皆、凝り性だよなー。その気持ちはよくわかる。
「すみません、ちょっと隣から予備をもらってきますので、そのまま進めてて下さい」
 声を掛けて部屋を出、ひよこ1組を覗いた俺は、驚きのあまりドアの前で固まった。

 な、なんだ、なんだなんだ!? お父さんたちの手元にあるビデオは、全員梨子先生へ向けられたまま動かない。そりゃ、製作の説明してるからってのもあるんだろうけど、それにしても微動だにしないじゃんか。俺の時と全然違うんですけど。アイドルの撮影会じゃないんだから……って、おいおい望遠レンズで写真撮り出してるのもいるよ!
「……」
 何となくムカッと来て、ドアを開け、静かに教室へ入っていった。ちょうど梨子先生も説明が終わったところだ。
「ゆーすけせんせーだー!」
「ゆーすけせんせー!」
 1組の子どもたちへ一瞬だけニッと笑いを振りまき、梨子先生へ声を掛ける。
「保育中すみません。のりの予備って、ここにありますか?」
「あ、そうだった! 私が持ってたんだ、ごめんね」
 戸棚へ歩き出す梨子先生へついていくと、お父さんたちのビデオ撮影はまだこっちへ注目していた。お前ら、もう梨子先生はいいだろが。俺がお父さんたちを振り向くと、全員ビクッとした後、慌ててカメラを逸らした。そうそう、素直に自分の子どもを撮ってなさいよ。あとで奥さんに叱られるでしょっての。

 自分のクラスへ戻り、製作を続ける。凝り性のお父さんたちのお陰で、それぞれ満足のものに仕上がったらしい。その後のクイズも意外と盛り上がり、子どもたちも大喜びだ。
 いつもより順調に進んで俺自身も驚いている。大人がこれだけいると、何でもスムーズにいくのか。ていうか、男ばっかりで精神的にラクなんだろうな、きっと。……男ばっかり、か。
「……」
 梨子先生、無事だったろうか? そりゃ、梨子先生は可愛い。もうその点に異論はない。優しいし、感じもいいし、なんたって俺より年下で若い。そうなんだけど、そうなんだけどさ。何だろうこの気持ちは。なぜか彼女のことが心配で仕方がない。
「てんてー! ゆーすえてんてー!」
 はっ、いかんいかん。トイレから帰って来た、ともくんが俺を見上げている。彼の言っていることもだいぶ理解できるようになってきた。
「ん? どうしたの?」
「もうぱぱとかえる?」
「そうだね。お歌うたって、ご挨拶して、パパと帰ろう。紫陽花、上手に出来たね」
「うん! ままにみせる!」
「ようちゃんもー!」
「ちかちゃんも、できた」
「うん、みんな上手だから、きっとママ喜ぶよ」
 満面の笑顔の子どもたちと、その話を聞いていたお父さんたちの嬉しそうな表情が眩しかった。俺も少しは、先生らしいこと出来ただろうか?


 全員が帰ったあと、モップを持ちながら、ひよこ1組を覗く。梨子先生も自分の机の上を片付けていた。
「あの、お疲れ様でした」
「お疲れ様! 上手くいった?」
 元気良く振り向いた梨子先生が、俺へ笑顔を向けながら駆け寄って来た。
「はい。お父さんたちが皆すごく協力的で、いつもよりスムーズにいきました」
「良かったね。子どもたちも張り切ってたし、楽しかったよね」
 掃除用具入れから、梨子先生は大きなモップを取り出した。いつも通りの彼女へ聞いてみる。
「1組のお父さんたち、すごかったですね。梨子先生のこと、撮りまくってたじゃないですか」
「あ、あれねー」
 モップを持ったまま、梨子先生はクスクスと笑った。
「今年はわかってたから平気だったけど、去年はね、初めてだったし、ほんとにびっくりしたの。保育中、一緒に写真撮って下さいとか、子どもと帰る時に教室の出口で握手して下さいってお父さんもいたし」
「な、なんですか、それ!」
 俺の時とはまるで違いすぎる。お父さんたち、露骨すぎじゃん……! ていうか、セクハラだろそれ。
「それで、握手したんですか?」
「……まあ握手だし、別に断る理由もないから」
 ったく大丈夫かよ、のん気だな。モップの柄を持ったままモジモジしている梨子先生は、いつもより幼く見えた。
「あの、もちろん一人のお父さんですよね?」
「ううん。一人が言い始めたら、じゃあ僕もって。結局全員」
 全員だとおおお!? いくらお母さん達がいないからって、子どもの前で何してんですか、お父さん!!
「今年は? いたんですか? そういうお父さん」
「今年はいなかったよ」
「そうですか。良かった」
 ビデオ撮りまくってたから、怪しいと思ったんだけどな。俺が一人で頷いていると、梨子先生は綺麗な髪を揺らして首を傾げた。
「? なんで良かったの?」
「なんで、って……」
 そういや、そうだ。なんでだろ。なんだか、すごくホッとしたんだ。
「いや、だってそういうの嫌じゃないですか?」
「別に嫌じゃないよ。皆いいパパだし。他のクラスもこんなもんだって聞いたよ」
「いいパパったって、皆男なんだから気をつけた方がいいですよ」
「……そうなの?」
「まあ、当たり前ですけど結婚してるし、子どもの前だし、変なことはしないだろうけど、でも、やっぱ……」
 何て言ったらいいのかわからなくなって口ごもる俺へ、彼女はにっこり笑って肩を叩いてきた。
「それより裕介先生、ボーナスだよ、ボーナス!」
「あ」
「毎年、父親参観日が終わると出るの。楽しみだねー!」
「はい」
 梨子先生はやったーと腕を振り上げた後、教室の隅から小走りにモップを掛け始めた。
「俺も掃除してこよ、っと」
 ま、いっか。無邪気な笑顔を見てたら、どうでも良くなった。なんかあったら俺が守ってあげればいいんだし。
「……」
 いや、守るとかおかしいだろう。でも俺は男なんだし、園で何かあった場合にはだな、先生たちを守らなきゃいけない。そうだ、そういうことが言いたかっただけなんだ。

 廊下の窓から外を見ると雲はすっかり無くなって、青い夏の空が広がり、来週に迫ったプール開きを歓迎してくれているようだった。





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