同じ朝が来る

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(16)後悔という名の夢




「……証拠は? 五年後から来たっていう」
 そんなことを聞かなくても、もう確信していた。

「今の倉田くんに影響ない事しか言えないけど……」
「うん」
「お姉さんが、六月に結婚予定」
「……何で、知ってんの」
 誰にも言ってない。姉貴の彼氏に俺が言われたんだ。次の週末プロポーズして六月に結婚したいからって。姉貴本人すら知らない。
「後から友達に聞いたの」
「後から?」
「そう。七月くらい、だったかな?」
「……」
「後は……ごめん、これくらいしか言えないし、今言ってもすぐにわかることじゃないから」
 彼女は風に吹かれた自分の髪を押さえた。

「何で、ここに?」
「もう一度あの頃に戻って、高校生だったあなたに伝えたいって毎日毎日思ってた」
「……」
「私、何も前に進めなかったの。彼も出来たけどやっぱり駄目だった。電車に乗るたびあなたを思い出して、いるわけないのにいつも探してた」
「……どうやって」
「夢の中で三日だけ、っていう声が聞こえて、目が覚めたら部屋の中は高校の頃と同じになってた。教科書が机に並んでて、壁には制服がかかっていて、鏡を見たら顔も髪も戻ってたの。だからこれは、もしかしたら私が見ている夢の続きなのかもしれないけど」
 彼女の声が波の音に混じる。それが余計に胸を苦しくさせた。

「……あの頃、」
 彼女は手を伸ばし、俺の頬にそっと触れた。
「倉田くんが友達思いなのわかってたし、私にも好きだなんて言う勇気はなかった。怖かったの。庸子にも嘘吐いたことになるし、きっとあなたの事もうんと困らせる。ずっとそう思ってた」
 俺と、同じだ。
「でもね、卒業してあなたに会えなくなってからずっと、後悔ばっかりしてた」
「……」
「どうして言わなかったんだろうって。たった一言だったのに、好きなら周りなんて気にしないであなたに言えば良かったって」
「俺だって、別に友達思いっていうんじゃないよ。自分の立場ばっかり守ってさ」
「そんなことないよ」
「そんなこと、あるよ……!」
 俺に触れている彼女の手を握った。冷たくて、小さくて、少しだけ震えていて悲しくなる。

「今は……何歳?」
「短大卒業して三年目だから、もうすぐ二十三歳」
「会えなくなったっていうのは、いつぐらいから?」
「……卒業してから一度も、会ってない」
「一度も? なんで?」
「学校が始まって社会人になって、すごい速さで流されていくの。その中で何の約束もしていない関係なのに……特別じゃないのに会ったりなんてしない。クラス会も同じじゃないし、きっかけもなかったの」
「メールとか、電話は?」
 俺は必死になって彼女に問う。だって有り得ない。一度も、会わない?
「……してない。卒業したからいいだろう、なんて虫のいい話、できなかった。それに、もしも私が知らないうちに倉田くんの電話番号もアドレスも変わってたら、って思うと怖くてできなかった」
「俺も? 俺からもしなかったの?」
「……一度だけ着信があったけど、噂を聞いた後だったの」
「何の噂?」
「倉田くんに彼女が出来たって。本当なのかはわからない。確かめるのが怖くて……それっきり」
「……」

 一瞬俯いた木下さんは、顔を上げて微笑んだ。
「だから私、言えて良かった。倉田くんにやっと伝えることが出来て。勝手な事ばかり言って困らせてごめんね」
 何て答えたらいいのかわからない。掴んでいる彼女の手を強く握る。
「最後に、やっぱりいい?」
「……なに?」
「抱き締めて欲しいの」
「……」
「……駄目かな」
「……いいよ」
 腕の中に引き寄せた彼女を、好きだと思う。いつも学校で会う彼女を、きっとこうして何年経っても好きでいるんだと確信した。

「俺、木下さんのこと」

 口を開き目を開けると、天井があった。横を見ると机の上の時計が見える。針は六時を指していた。起き上がるといつもの俺の部屋で、朝になっていた。

「……」

 部屋中を見回し、彼女の跡を必死で探す。でも何も、ない。約束もしていない、何かもらったわけでもない。
 たったの三日間だ。三日の間、一緒にお茶して、知らない町を歩いて、勉強して、海に行った。それだけだ。
 夢だったのかもしれない。木下さんが俺を思ってて欲しいという願望が、夢になって現れただけなのかもしれない。

 パジャマのままリビングへ行き、のろのろと朝ごはんを食べて、顔を洗った。
大貴だいき、学校明日まで?」
「あ、うん」
 母に言われて気がつく。明後日から冬休みだ。

 部屋へ戻り、かけてあった制服を手に取る。……その瞬間、はっきり目が覚めた。
 制服から彼女の香りがする。昨日、抱き締めた時に届いた香り。優しい温もり。悲しい笑顔。
「……卒業してから一度も、会ってない」
 その言葉を口にした途端胸が痛み、三日間傍に居た彼女が教えてくれた事実に、涙が溢れた。

 毎朝、俺と同じ電車の同じ車両に乗り、視線を合わせメールをしてくれる彼女。
 廊下や昇降口で、誰もいない時に偶然逢うとそっと声を掛けてくれる彼女。
 二ヶ月前、お互いの友達に気遣って一緒にいるのを諦めた時、校舎の壁際で同じ歌を聴きながら、やっぱりあの悲しい顔をしていたんだろうか。

 確かめたい。
 五年後の彼女が、悲しい思いをして俺に会いに来なくてすむように。勇気を出して、俺に好きだと言う言葉を届けてくれたように。
 もしもこれが夢だったとしても。彼女が俺を好きでいてくれるなんて、それこそ夢なのかもしれない。もう今更だって笑われて拒絶されるかもしれない。それでも……。
 俺だってきっと彼女よりも、ずっと後悔する。逃げ回って後悔した俺は、一度だけ彼女の携帯を鳴らしたんだ。


 卒業したら、もう会えない。
 目を逸らしていた現実が目の前に現れて、全てが吹っ切れた気がした。




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