同じ朝が来る

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(15)夜の海




 今日で約束の三日が終わる。
 昨夜、頭の中で彼女の言った意味を反芻して、次々と浮かんでくる答えに何度も否定しながら眠りについた。

 ホームに滑り込んで来た朝の電車に乗り、木下さんにメールを送る。
『今日はどうする?』
 俺のメールに彼女が振り向き、じっとこちらを見つめている。

『一緒に勉強したいな。倉田くんが勉強してるのを傍で見てるだけでもいいから』
 今の時期、図書館はどこもいっぱいだ。
『ちょっと遠いけど、船の博物館って知ってる? フリースペースがあって、多分今日も空いてると思うんだけど、そこでいい?』
 今日は学校も早く終わる。
『いいの?』
『いいよ』
 彼女は嬉しそうに笑い、俺にその表情を向けた。


 放課後、メールで教えておいた駅で待ち合わせをする。彼女が降りる駅を過ぎ、昨日降りた駅も過ぎて三十分。また乗り換えて十五分。海の傍に博物館はある。大きな博物館のわりに、そのスペースはいつも空いていた。

「倉田くん、自分の勉強してていいよ。私も勝手にやるから」
「え、何で」
「邪魔したくないの。わからない所があったら言うね」
「わかった」
 鞄に入れていたテキストを取り出し、文字に目を向けるけど中々頭に入ってこない。
 今日で、終わり。
 どうして今日なのか、何でこの三日間だけだったのか、下を向いている目の前の彼女に何度も視線を送りながら考える。けど、いくら考えたってわかるわけはない。
 彼女の気持ちを受け入れられたら、もしかしたら一緒にいられるのかもしれない。誰にも知られずこうして会うことは、できる。最初は戸惑ったけれど、そんな思いが自分の中に生まれているのも事実だった。

 閉館を告げる館内放送が流れ、その音に不安を覚えた。
「あ、ごめん……俺」
 いつの間にか夢中になって問題を解いていた。顔を上げると彼女は俺を見て微笑んでいる。
「ううん。楽しかった、すごく。三日間ありがとう」
 まだ、嫌だ。そんな気持ちが言葉を続かせた。
「……どっか、入ろうか」
「海、行かない? 近いよね、ここから」
「いいよ、行こう」

 夜の準備を始めた屋外の厳しい寒さに、息が凍りつきそうだった。
 革靴の音を響かせ、海の傍の大きな公園に行くとツリーが遠くで輝いている。彼女は海沿いの歩道の柵の前に立ち、真っ暗な海に視線を向けた。
 はっきりと知りたいような、このまま何も知らずにいたいような複雑な気持ちを抱え、彼女の横に立つ。

「……元に戻るって言ったでしょ?」
 木下さんは静かに話し始めた。
「……うん」
「明日の朝になったら、きっと元の私に戻ってるから」
「今日で終わり?」
「うん」
「もう、こうして一緒にはいないってこと?」
「そう」
「……ちゃんと教えて」
「教えるけど、元の私には言わないで。私が倉田くんに告白したことも何も知らない筈だから。これは私が勝手にしたことなの」
「……」
「約束してくれる?」
「……するよ」
「話したら忘れて。この三日間の私のことも」
「そんなことできないよ」
 忘れる? 何でそんな必要があるんだ。彼女に顔を向け、返事を待つ。

 木下さんは前を向いたまま、白い息をそっと吐き出した。首に巻いたマフラーをその小さな手で握り、呟いた。
「私に教えて?」
「……何を?」
「どうやったら倉田くんのこと忘れられるか、教えて?」
「え……」
 彼女は遠くを見つめて言った。寒い筈なのに背中を真っ直ぐ伸ばし、俺じゃない、自分を追い詰めるような声で言った。
「夜の電車も、真っ暗な外の景色も」
「……」
「ペンキの色も、朝、倉田くんが電車に乗る時のドアが開く音も」
 彼女が口にする度、頭の中で鮮明に蘇る。
「廊下を通り過ぎる時、必ず見てくれることも、黒猫の……話も」
「……」
「遊園地の観覧車も。……何度も何度もおんなじ歌ばっかり聞いている私に」
 その声はいつもより大人びていた。俺に告白して来た時と同じように。
「いつまで経っても、何年経っても、忘れられない私に教えて? どうやったら忘れられる?」
 冷たい潮風が海から吹いた。

「あなたに、会いに来たの」
「どこから?」
 おかしな質問をして一瞬後悔した俺に、彼女は驚きもせず静かに答えた。
「……今から五年後」
「……」
 昨夜否定した言葉が、頭の中をよぎっていく。
 沈黙が長く感じた。何か言いたいけれど言葉が出ない。こんな馬鹿げていること、すぐにでも否定すればいいのに、それが出来ない。この三日間何度も感じた少しの違和感が、急にはっきりと姿を現した。

「信じられないよね。こんなこと言ったって」
「……」
「でも、本当なの」
「だって、見た目とか全然……変わってない」
 こんなことが言いたいんじゃない。目の前の彼女に聞きたいのは、そんな言葉じゃない。
「身体は元のままで、多分意識だけ。もしたしたら、私が勝手に見ている夢かもしれない」
「有り得ない、そんなこと」
「私も同じこと思った。だけどこうして来れたの。あなたの所に」
「……」
「三日間だけ」

 彼女はやっと俺を振り向き、悲しい笑顔を向けた。彼女の瞳が黒い波の様に揺れている。

 この笑顔、知らなかったんじゃない。一昨日、彼女に呼び出された校舎の影で初めて見た訳じゃない。いつも見ようとしなかったんだ、俺が。観覧車でも、歌が流れた時も、廊下でも、靴箱でも、朝の電車でも……。
 気付いてしまった真実に、押しつぶされそうになっている自分の胸を制服の上から掴んだ。

 凍えそうになりながら叫び出したい思いを抱えて、何も言えずに彼女の真っ直ぐな視線を受け止める事しか出来なかった。




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