同じ朝が来る

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(2)確信に変わる時




 放課後は、相変わらず体育祭の準備が続いていた。今日は外での作業だから、皆制服からジャージに着替えていた。

 買出しを決める為、班の中の三年四人でジャンケンをし、負けた二人が行く事になった。一、二年に行かせても、わからないことも多いだろうからと言う、委員長の迷惑な配慮だ。
「あー負けちゃった」
 いきなり木下さんが一人で負けた。
「じゃ、俺も行くよ。飯田さんが負けて女の子だけになったら荷物重いだろうし」
 林が彼女に声をかけ、その場で二人に決まる。
 必要な金を委員長から預かって、林と木下さんは廊下を歩き出した。前へ進みながら林が彼女に話しかけ、二人で楽しそうに笑っている様子がわかった。
「……」
「倉田くん」
「え?」
 声を掛けられ、ハッとする。
「どうしたの? 買出し行きたかった?」
 隣にいた飯田さんが、俺の顔を心配そうに見た。
「え、や、そういう訳じゃないけど」
 俺、いつのまに……二人のこと見てたのか。もう一度そっちに目を向けると、遠くから木下さんが振り向き、一瞬目が合ったような気がした。
「いってらしゃーい!」
 横で手を振る飯田さんに、木下さんも手を振る。
 ここで林が行くのは当然なんだけど、さ。俺と木下さんの組み合わせでも林に対して気まずいし。

 今日は天気がいいから中庭に移動してブルーシートを広げ、ペンキを使って入退場門の字やら、よくわかんない絵に色を塗り始めた。後輩達に指示を出しながら作業を進めていく。離れた場所では、看板やパネルなんかに他の班の奴らが同じ様に描いていた。

 三十分程して二人が戻り、彼女がこっちへ向かって歩いて来た。
「お帰り。お疲れ」
「ただいま」
 彼女は横に立ったまま、俺を見下ろしている。
「やっぱ2だね」
 そのまま隣にしゃがんで、悪戯っぽく笑った。
「……じゃ、木下さん書いてよ。俺と同じじゃなかったっけ?」
「2じゃないよ、苦手だけど」
 そう言って、俺が持っていた刷毛を使って書き出した。暫くそれを眺めてから、口を出す。
「やっぱ2じゃん」
「2じゃないってば」
「この辺が2」
「ひどーい!」
 俺が指を差すと彼女がその腕を叩いてきた。可笑しくて笑って彼女の顔を見ると、彼女も俺の顔を見て笑った。
 この前から思ってたけど……可愛いよな、やっぱり。

「次、どの色使うの?」
 横たわっている入退場門から、彼女はいくつか置いてあるペンキに目を向けた。
「俺はコレのつもりだけど」
「混ぜてみない? これとこれ」
 彼女は、ふたつのペンキの缶を指差した。
「や……それは、ちょっと。やっぱ2のセンスだな」
「だから、私は3だったの!」
「ははっ! 大して変わんないじゃん」
 俺が声を出して笑うと、彼女は少しだけ口を尖らせた。
「だいぶ変わるってば。……ね、貸して?」
 彼女は俺の言う事も聞かずに、それぞれの蓋を開けて中身をトレーに出し、色を混ぜ合わせ始めた。新しいペンキの匂いが鼻をつく。最初はマーブル模様だった二色のペンキが、彼女の手によって少しずつ綺麗な色へと変わっていった。
「ふーん……」
「ね? 良くない?」
 グルグルと刷毛でペンキを混ぜながら、彼女が言った。
「うん、結構いい」
「でしょ? すごい?」
「うん、すごい、すごい」
 嬉しそうに俺を振り返る彼女の頭に、思わず手を置いた。
「え……」
 今まで普通に話していた彼女の顔が、みるみる赤くなる。まさかそんな反応が返って来るとは思わなかった俺は、慌てて手を引っ込めて顔を逸らした。
「あ、ごめん」
 俺が動揺したのも伝わったかもしれない。
「ううん」
 二人で手元のペンキを見つめて黙り込む。何とも言えない雰囲気に飲み込まれそうになった時、彼女が口を開いた。

「なんか、今日……暑いよね」
「天気いいし」
「あ! 私、自販機寄って飲み物買ってくるの忘れた」
 彼女が俺の足元に置いてあった、ペットボトルを見つける。さっき下駄箱横の自販機で買ってきて、三口ほど飲んで蓋を閉めていた。
「倉田くん、これ新しいのだよね? 美味しかった?」
「うん。俺は結構イケるけど。飲んでみれば? 買ったばっかだから、まだ冷たいよ」
 彼女に渡すと、それを素直に口につけた。
「うん……私も好きかも。これの小さい方買ってくる」
「大きいの飲めない?」
「うーん。ちょっとその量は多いかな」
 立ち上がろうとする彼女のジャージの袖を、少しだけ引っ張った。
「いいよ」
「?」
「俺そんなに飲まないし、それ飲んでいいよ。少し残しておいてくれれば」
「……いいの?」
「うん」
「ありがと」
 彼女はペットボトルを両手で握り締めて、少しだけ頭を下げた。

 予感が、確信に近付いていく。
 夕暮れの光が影を伸ばし始め、校庭から野球部の掛け声が聞こえた。暖かい風が吹き、彼女の髪を揺らす。春の匂いに混じって彼女の香りもすぐ傍に届いた。

「ここ、塗ってもいい?」
「いいけど、1ミリもはみ出さないように」
「厳しいなあ」
 木下さんは俺の隣で笑いながら髪を耳に掛け、刷毛にペンキを付けて塗り始めた。彼女の刷毛を持っていない左肘が、俺のジャージの右腕に当たっている。彼女も気付いてないわけはない。けど、そのまま俺も気付かない振りをしてその場に座り、一緒に作業を続けた。
 チラリと林の方を見ると、離れた所で後輩の女の子と話をしながら作業を進めていて、こっちは見ていない。何確認してるんだよ、俺。

 本当はさっきからずっと、あいつのことが頭の隅にあったのに。
 どうしてもそこから……帰りの電車に一緒に乗ったあの時のように、彼女の傍から離れることが出来ない。駄目だって思えば思う程、生まれてしまった少しずつ膨らんでいく感情に抗えない。


 傍にあったペットボトルの飲み物は、いつの間にか残りも少なくなり、二人の間に置かれて頼りない影を伸ばしていた。




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