同じ朝が来る

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(1) 気付かない振り





 今日は早く帰りたい。
 特に何があるというわけでもないけど、朝からずっとそんな気分だった。

 放課後、鞄を持ち廊下へ出て、三年一組の教室へ友人と移動する。廊下の窓の外を見ると、今にも雨が降りそうなくらいどんよりとした曇り空だ。四月といはいえ、まだ寒い日の方が多い。

 教室の中へ入ると、一年から三年までの体育祭の実行委員が集まっていた。机をいくつかずつ合わせ、班に分かれて座っている。

「倉田どうしよ。一緒だよ、俺たち」
 一緒にいた友人、林が焦った顔で言ってきた。
「何がだよ。お前と一緒でも全然嬉しくないし」
「違う。木下さんと一緒なんだよ、ほら」
 黒板に学年とクラスの番号が組み合わされて、班が作られていた。俺たちは入退場門を作る係りらしい。

「各自、班ごとに分かれてー! 説明始めまーす!」
 委員長らしき奴が、大声で言った。

「え、どれ。どの子?」
「髪が肩くらいで、窓際の右から……二番目」
 隣にいた林は、緊張しているのか俺の後ろに隠れてしまった。
「お前、大丈夫かよ」
「駄目かもしれない」
 林に言われた通り、俺たちの班と思われる机で、右から二番目に座っていた女の子を見ると、目が合った。
「……」
 その瞬間、初めて自分じゃよくわからない感情に戸惑う。
 確かに、可愛かった。でも、それだけじゃなくて何故か彼女から目が離せない。話には聞いていたけど、三年になるまで知らなかった。
 ――彼女は、林が思いを寄せている女の子だ。

 優しげな雰囲気の彼女は、人当たりも良く、皆に気を使いながら同じ班の後輩たちにも話しかけていた。そしてそのまま林にも声をかけた。
「林くん、久しぶりだよね。元気?」
「え、うん。久しぶり」
 二人は2年で同じクラスだったらしい。
「……えーと」
 彼女が俺に顔を向けたから、林が気を利かせて紹介する。
「あ、こいつは倉田。同じクラス」
「倉田、くん」
 名前を呼ばれて瞬間的にまずいと思った俺は、彼女から目を逸らした。
「木下です。よろしくね」
「よろしく」
 感じ悪いと思われてそうだな。
 一応、班の中で三年が指揮を執っていかないといけないってことで、俺と林、木下さんと彼女のクラスの女子、飯田さんの4人でメアドを交換した。

 話し合いが終わり校門を出ると、外はもう暗い。駅までの道を4人で歩く。
 乗り換え駅から先は、俺と木下さんが同じ方向の電車だったから一緒に帰ることになった。林が……こっち見てる。彼女と一緒に帰りたいのはあいつだよな。

 電車に乗り込み、ドア際に木下さんと二人で立つ。肩に掛けた鞄を持ち直し、彼女が口を開いた。
「なんか、大変そうだね。門作るの」
「うん」
「倉田くんは、そういうの得意?」
「全っ然。俺昔っからそういうのまるで駄目。美術とかずっと2だったし」
 俺の言葉に彼女が可笑しそうに笑った。
「あたしも美術駄目。選択で取らなかったもん」
「じゃあ何で実行委員?」
「そういうのやるなんて思わなかったの。友達の付き合いだし」
「俺もだよ。林に付き合って」
「そうなんだ」
「……」
 少し茶色の真っ直ぐな髪が、彼女が笑う度にさらりと滑る。睫……長いな。
「なに?」
「え、何でも」
 見惚れてたのか、俺。その時扉が開いて人が降り、ひとつ座席が空いた。

「空いたよ、座れば?」
 俺の言葉に彼女は顔を上げて、長い睫と一緒にその瞳もこちらへ向けた。
「ううん、いい。倉田くん、座って?」
「大丈夫。ここにいる」
 俺も彼女の瞳を見つめて答える。
「私もここにいて、いい?」
「……いいよ」

 彼女は俺から目を逸らして、暗いドアの外に視線を移した。ドアの窓ガラスに片手を当てて、じっと外を見ている。少し後から、俺も同じ様に外に目を向けた。
 外を見たって、暗くて景色なんて見えない。ガラス越しに、彼女は俺を見ていた。
「……」
「……」
 俺も外を見ている振りをして、次の駅までずっと彼女と視線を交わし続けた。
 ……駄目だ、こんなの。
 駅に着き、今度はさっきよりも人が降りて、座席もたくさん空いた気配がする。けど、お互いその場を離れない。足も視線も動かない。

 先に暗闇から視線を外した彼女が、俺を見上げて言った。
「倉田くん、どこで降りるの?」
「次。木下さんは?」
「その次。隣だったんだね」
「何分?」
「え?」
「朝、何分の電車に乗ってんの?」
「……32分」
「早くない? その次のでも間に合うよ」
「そう、なの?」
「……」
 どうしたんだ、俺。こんな言い方して。彼女が乗る次の電車に俺が乗っているとも、その電車に乗って欲しいとも伝えなかった。なのに、明日の朝に期待している自分がいる。

 俺が降りる駅を知らせるアナウンスが車内に流れ電車が止まり、立っていた側のドアが開いた。夜の風が入り込んでくる。
「じゃあ」
「うん。バイバイ」
「……三両目」
「え?」
 彼女の顔を見ずに、暗いホームへ降り立ち歩き出す。ドアが閉まる音がして、電車が動き出した。顔を上げると、明かりで光っている電車の中のドア際で、彼女がこちらを見ていた。
 そして、そっと手を上げ一度だけ振った。俺も少し手を上げ、彼女のそれに応える。彼女は、さっきガラスの暗闇に目を向けていた時と同じ様に、俺を見ていた。小さくなってその姿が見えなくなるまで、ずっと。

 彼女を乗せた電車が、走行音と共に遠ざかる。同時に静けさが現れたホームに、革靴の音が響いた。チカチカと点いたり消えたりしている蛍光灯の横を通り過ぎる。


 朝の予感は、当たっていたのかもしれない。
 気付いてしまいそうな心から逃げ出す振りをして……夜の空気を胸に吸い込み、星の無い曇った空を見上げた。




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