「……今夜は寝かさない、っていうのは」
 ドライヤーで髪を乾かしながら、ひとりごちる。
 一緒にゲームをするから寝かさないとか、次のメニューを考えるのに徹夜するとか、撮りためた録画番組を見るとか、そういうことではないよね。
 ここのところ忙しくて、永志さんとそういう雰囲気になることは少なかったから、改まって言われると何だか照れてしまう。
「あ」
 目の下、クマができてる。永志さんに気づかれちゃうかな。でもお風呂上りにメイクするのも変だし……
 結婚しても綺麗にしていたいと思うのは山々なんだけど、忙しいとそうもいかなくてジレンマだ。皆、どうしてるんだろう。結婚した友達も同じ悩みを抱えてたりするのかな。

 寝支度を終えた私は階段をそっと上り、二階の部屋に入った。先にシャワーを終えていた永志さんはベッドに寝転がり、雑誌を読んでいる。
 私の気配を感じた彼が、顔だけ起こしてこちらへ微笑んだ。途端にどきんと心臓が鳴り、体に緊張が走る。
「くるみちゃん、お疲れな」
「えっ、あ、はい! 永志さんも、お疲れさまでした」
 彼はいつも通りなのに、一人でどぎまぎしてバカみたいだよ、私。
「椅子カフェ堂も、何とか落ち着いたってことでいいのかな。新垣くんと良晴も上手くやってくれそうだし」
 皆でご飯を食べたあと、酔っぱらった職人さんを無理やり新垣くんに任せて、二人で帰らせてしまった。
 職人さんも新垣くんも、ぶーぶー文句を言いつつ一緒に駅へ向かったから大丈夫、と思うことにしよう。うん、大丈夫、大丈夫……多分。
「くるみちゃんのお陰だよ、ありがとう」
「ううん、そんなことない。永志さんが広い心で接してたから、新垣くんが心をひらいてくれたんだと思う。永志さん、大人だし」
「この歳で、ああだこうだ言っても仕方ないしなー。新垣くん腕はあるんだから、なるべく受け入れていこうとは思ってたんだよ。彼は必ず椅子カフェ堂に貢献してくれるだろうってね」
 こっちへおいでと言われ、彼が寝転ぶベットに座る。
 永志さんはベッドサイドの明かりをつけ、部屋の電気をリモコンで消した。薄暗い中の柔らかな明かりが、私の緊張をほぐしてくれる。

「早い段階で、新垣くんに色々聞くことが出来てよかったのかも。私もムキにならなくて済んだし」
 古田さんの時は完全に頭にきちゃってたもんね。あれは私が古田さんよりもずっと、子どもだったからなんだろうな。
「それはあるね。ああ、でも」
「?」
「俺はくるみちゃんに対しては大人ではないよ。ムキになるし、疑心暗鬼になるし、すぐ……嫉妬するし」
 私を見上げた永志さんが、口の端を上げて笑った。「嫉妬」の言葉が私の頬を熱くさせる。
「新垣くんが冗談だって言ってても、頭の中はぐるぐるしてたからね、俺。一瞬辞めさせてやろうかと思ったくらいだ」
「私は永志さん一筋だから大丈夫だって、さっきも――」
「わかってるよ。だからその証拠を見せて」
「見せる?」
「俺のことだけ愛してるって、証拠」
「あっ!」
 ぐいと腕を引っ張られ、彼の胸の上に引き寄せられた。Tシャツ越しに永志さんの熱い体温が伝わる。
「しょ、証拠って……」
「わからないフリしてもダメ。さっき言ったこと、本気だからね?」
 首の後ろを押さえられ、彼の顔が間近に迫った。
「永志さ、ちょっと、まっ、んうっ」
 あっという間に唇が重なり、舌が入り込んでくる。私の舌は捉えられ、ちゅうと吸い付かれた。
「んっ、んっぁ、あの、待って、あ」
 自分から顔を離すと、永志さんが眉根を寄せた。
「どうしてお預けさせようとするの、くるみちゃん」
「そうじゃなくて……」
「もしかして体調悪い? ごめん、それならやめる」
「ううん、そんなことないの。えっと、久しぶりだから……ちょっと恥ずかしくて」
 永志さんが、どうして? という表情をした。彼の胸に頬をあてて呟く。
「私、疲れた顔してるでしょ?」
「え? そうか?」
「クマできてるし、メイクもしてないし、綺麗にしてないなって思って。体も、あんまりお手入れしてないから足とかむくんでるし。見られるのが恥ずかしいの」
「……そんなこと気にしてたのか」
「……」
「俺にとってはいつでも、くるみが一番可愛いよ。化粧なんかいらないくらい世界一綺麗だ。体だって誰よりも綺麗だよ」
 久しぶりに呼び捨てにされて、また胸がどきんと言った。
 夫婦になってからしばらく経つのに、私はいつまでも永志さんに恋しているんだなと気づく瞬間だ。

「立ちっぱなしで痛いよな、足。気遣ってやれなくてごめん。今夜はくるみのことを抱くのはやめて、マッサージにする」
「えっ!」
 むくりと起き上がった永志さんは、私をベッドにうつ伏せにさせた。
「どのへんを揉む? ふくらはぎ? 太もも?」
「そんなつもりで言ったんじゃないの、ごめんなさい」
「遠慮しないでいいんだよ。ほら、どこ? ここ?」
「あんっ!」
 足首からふくらはぎにかけて、永志さんの指がぐーっと押し付けられた。思わず変な声が出てしまい、咄嗟に口を手でふさぐ。
「このへん?」
「う、うん、あっ、やっぱり、あの」
 永志さんの指に触れられたら、足の疲れなんてどこかに吹っ飛んで、別のことで頭がいっぱいになってしまった。
「やっぱり大丈夫、ありがとう。私そんなに疲れてなかったみたい。だから、あの」
 恥ずかしいと言っておきながら、いざやめると彼に言われて、してほしくなるなんて。自分の気持ちを持て余しながら上半身を起こして、彼のほうを振り向く。
「だから?」
 こちらを見る永志さんが上目遣いに問いかけた。もう、降参するしかないよね。
「だから……抱いてくれる?」
 初めからこう言えばよかった。もったいぶった嫌な女だと思われたらどうしよう。
 目を伏せると同時に、彼が私へのしかかってきた。ベッドが大きく弾む。驚いて顔を上げると同時に私は仰向けにさせられて、永志さんに優しく抱きしめられた。
「くるみからそんな言い方されたら、俺、どうにかなりそうだ」
 私の肩に顔を埋めた彼の声が、体に浸透していく。
「永志さん」
「いいの? 疲れてないか?」
「大丈夫。……してほしいの」

 永志さんの手で、私の半袖パジャマのボタンが外されていく。
 襟元が大きくひらく。私の首筋に彼の唇が押し付けられた。そこから耳の後ろ、耳たぶ、そして再び首筋へと丁寧にキスを落とされた。
「あっ、あ」
 彼も私と同じボディーソープの香りがする。新しく取り寄せたもので、お気に入りの香りだ。彼の首に顔を押し付けてその匂いを吸い込む。
「永志、さん」
「永志って呼んでよ、くるみ」
「!」
 耳に彼の唇が触れた。低い声が私の耳の奥へと入り込む。
「最近呼んでもらえてないから寂しいんだ、俺」
 甘える彼の声に胸がきゅんとした。それだけじゃない、私の体中が反応している。
 私の瞳を覗き込んでくる永志さんに向かって唇をひらいた。そうして、体を重ねるときだけの呼び方をそっと吐き出してみる。
「……永志」
 目を細めた彼は、切なそうな表情で微笑んだ。途端に強く抱きしめられる。
「もっと呼んで、くるみ」
「永志」
「くるみ」
 愛する人の名を呼ぶだけで、どうしてこんなに胸が痛くなるんだろう。
 そして愛する人に自分の名を呼ばれるのは、なぜこんなにも幸せな気持ちになるのだろう。
「くるみ……!」
「あっ」
 胸のふくらみを、永志さんの手のひらが包み込んだ。いつもよりゆっくりと彼の指が肌を撫で、先端を優しくこする。
「あ、んっん」
「気持ちいい?」
「うん、いい……舐めて」
「今日は積極的だね、くるみ」
 優しい感触がじれったくて、早く彼の口に含んでほしくなった。
「あっ、あぁ」
 要望通りに彼が舐めてくれる。丁寧にしてくれるから、私の足の間がどんどん濡れていくのがわかった。

 起き上がった永志さんは着ているものを全て脱ぎ、私の身に着けていたものも脱がせた。
 シャワーを浴びたばかりなのに、お互いしっとりと汗ばんでいる。それが今夜はやけに心地よくて、私はわざと彼に自分の肌を押しつけた。
「あの」
「ん?」
「もう、挿れてくれる?」
「え」
 私の下腹に触れようとした永志さんが目を見ひらいた。私も自分で驚いてる。久しぶりのせいか、途中から急に体のスイッチが入ってしまったみたい。
「わがままばかり言ってごめんなさい。あの、なんかもうすごく欲しくなっちゃって。永志さんがよければ、なんだけど、あっ!」
 言い終わる前に両手首を掴まれ、シーツの上に組み敷かれた。
「いいに決まってるだろ」
 薄暗い中で見る彼の瞳に、欲情の色が宿ったように感じた。射抜くような目に捉えられた私の体が、奥から疼いてくる。
「これが欲しいの?」
「あっ、あ」
 永志さんは既に硬くなっていた自分のモノを、私の入り口へ押し付けた。私の滴でぬるぬると滑らせ、なかなか挿れてはくれない。
「ほら、言わないとあげないよ?」
「んっ、ほ、欲しいの、永志さん、の」
「名前」
「え、永志、のが欲しい、のっ」
「可愛いよ、くるみ……!」
「うあぁっ!」
 一気に突き入れてきた彼が、私のナカをこすり上げた。快感が押し寄せ、目の前がちかちかと光る。
「あ、あぁっ、あっ」
「くるみ、くるみ」
 永志さんは激しく腰を打ち付け、私を奥深くまで翻弄した。私の耳に熱く吐息しながら、何度も私のナカを穿つ。
「永志、んっ、んーっ!」
 彼に合わせて私も腰を動かしていると、唐突に達してしまった。びくんと体を震わせる私を、彼はさらに揺さぶり続ける。
「くるみ、俺も……!」
 何が何だかわからなくなってきた頃、彼もまた私のナカで果て……愛の塊を塗り付けた。

 薄暗い明かりの中、永志さんの腕枕でくつろぐ。心地よい気だるさに包まれながら、私は少し先の未来を思っていた。
「私」
「ん?」
「新垣くんがもしやってみるって言ってくれたら、スイーツを教えようかと思って」
「新垣くんに?」
「うん。少しずつでいいから覚えてもらうの。そうすれば……私に赤ちゃんができたときに、助けてもらえるかなって」
 永志さんも言っていたけれど、私たちはいつ赤ちゃんができてもおかしくない状況だ。それに、もう一人スイーツを作れる人がいてくれると思うだけで、日々の気持ちが少しラクになれることも事実だ。
「ああなるほど、名案だね。それじゃあ安心して作るか、もう一回」
「えっ! も、もう一回って?」
 スイーツを作る話をしてたのに、いつの間にか子どもを作る話に……!?
「拒むのはナシね?」
 こんなに素敵な笑顔を見せられたら、拒むことなんてできないに決まってる。そしてすぐに全身で応えたくなる、素直な私がいる。永志さんに抱かれるのは、私にとって本当に幸せなことだから。
「……はい」
「いい子だ」
 額にひとつ、もうひとつとキスを落とされた。
 それは私の耳へ、首筋へと向かい、肩へ到達するころには、彼を愛する私の準備が整い始めている。

 永志さんが宣言した通り、今夜は眠れない、甘くて長い夜になりそうだ。
 覚悟を決めて彼の首に手を回し、ぎゅっとしがみつく。彼は満足そうに微笑み、私をぎゅううっと強く抱きしめ返した。



次話はこの約半年後のお話です。