午後から急に雲行きが怪しくなってきた。十月初旬の今日は、お日様が出ていないこともあって、とても涼しい一日だった。
「これと、これと、これです」
 お客さんが途切れ、私と職人さんで雑貨の在庫を確認していた。売れた物、これから置く物。ディスプレイを変えるのは私の役目。職人さんは売れた物をご両親に連絡する係りになっていた。
「おい、俺の家具より雑貨が売れてるって、どゆこと?」
「数は雑貨の方が出てますけど、単価が違うんだから仕方ないんじゃ……」
「お前、家具買おうとしてる客に雑貨だけ勧めてんじゃねーだろーな」
 一緒にしゃがんでいた職人さんが、私の頭の天辺をがしっと掴んで左右に振った。
「いた、いたた。そんなことするわけないじゃないですか。私、職人さんの家具好きだし、もっと売れて欲しいですし」
「じゃあお前も買えよ。雑貨は買ったんだろ、俺が知らない間に」
 鮮やかなブルーの、ぽってりとしたクグロフ型があまりにも可愛くて自分用にゲットしてしまった。
「そのうち絶対買います! その……家具はいいお値段だから、まだちょっと手が出なくて」
 職人さんは手前にあったスツールを持ち上げて、私の前に置いた。
「これ四万でいいよ」
「社割どころか、お客さんより高いって、どういうことですか、っていてて! 髪の毛変になる〜」
 またぐりぐりとやられて髪が乱れてしまった。いつか絶対やりかえしてやるんだから。
 売れた物をチェックし、ホームページの雑貨内容を書き換える。最初は私がしていたけれど、最近は職人さんも時間がある時にやっておいてくれた。
 職人さんは家具をチェックし終わると、また事務所へ引っ込んでしまった。これから倉庫の方で作業があるらしい。

「なんだか雨降りそうですね」
「うん。真っ暗だね」
 一週間の中でも木曜の夕方が一番お客さんが来ない。この時間はこうして店長と二人、カウンターの前に並んで立つのが定番になっていた。
「良晴ってさー、人見知りするし、女の子とあんまりしゃべんないんだけど、くるみちゃんとはよくしゃべるよね」
「そうなんですか?」
「うん。仲いいと思うよ」
 私は全く全然そう思えないんですけど。会話も噛み合わない時が多いし、しょっちゅう怒られてるし。でも店長にはそう見えるのかな。仲が悪いよりはいいんだろうけど。
「よし、七時まで誰も来なかったら店閉めちゃおうか?」
「え!」
「もう来ないよきっと。くるみちゃんの好きなケーキ食べに行こう。良晴は置いて」
「そんなことしたら職人さんに叱られそうですけど、ケーキの誘惑に負けそう……」
「負けちゃいなよ」
 店長の優しい声に、なんかもう別の意味でいろいろ負けそう。もしそうなったら二回目のお出かけだよね。
「土曜から新作フェアするんだから、その前に英気を養っておこうかなと思ってさ」
「嬉しいです」
 返事をしたと同時にホールが光った。続いて激しい轟音が鳴り、お店が揺れて窓がびりびりと軋んだ。
「ぎいやあああああ!!」
「おー、すげー雷だな。パソコン電源落としてこないと。ああ、あっちは良晴がいるか」
 い、いいいいきなり何なの? やめやめやめ! 雷は苦手なんです、ほんとにほんとにほんとに。頼むから早く去って!
「くるみちゃん、雷嫌いなの?」
 目の前に店長がいた。あわわ私、店長にしがみついちゃってるよ……!
「あ、す、すみません! ごめんなさい。あの、 ひっ」
 また光った。今度のは大きいよ。光がピンクだと近いとかなんとか聞いたことある。まさかまさか、お店に落ちたりよね? 避雷針がどこにあったのかチェックしてない……!
 再びものすごい音が鳴り響き、一瞬電気が点滅した。
「近くに落ちたな、今の」
 また店長にしがみついてしまった。彼の匂いにくらくらしてしまう。……って言ってる場合か! 慌てて顔を上げた。私を見下ろした彼と目が合う。
「す、すみません……!」
「俺は別に、ずっとこのままでもいいよ」
 な、なんか普通にハグされてるんですけど。身長差があるから、私の頭がちょうど彼の胸くらいにすっぽり収まってる。
「いえ、大丈夫ですから、は、放してください店長、あの……どうわーーっ!!」
 何回落ちれば気が済むっ!! でかい! 今のはでかかったよ!!
「面白いなあ、くるみちゃんは。放してって言いながらしがみついてんだから」
 店長が楽しそうに笑った。結局同じことの繰り返しだから、もう観念して、しばらくはそのままでいさせてもらうことにした。
 いつの間にか外は雨が降っている。
 店内を流れる音楽が途切れた。雨の音が静かなホールに響く。シャツ越しに店長の心臓の音と息遣いが聴こえた。私の心臓はそれよりも早く鳴り続けてる。他には何も聴こえない。顔が、熱いよ。

 大きな雷が遠のいてすぐに店長から離れたけど、緊張して肩がかっちこち。何やってるんだろう私、ほんとに。
 静かになった雷の代わりのように激しい雨が叩きつけ、辺りはすっかり暗くなった。
 もうすぐ七時。本当にお店を閉めるのかな? と思った時、ドアがからりんと鳴った。
「まいった、まいった。ひどい雨ねえ」
「いらっしゃいませ」
 あーあ、ちょっと残念。なんて言っちゃ駄目だよね。
「少々お待ちくださいね」
 雨に濡れた女性に、レジに置いてあるタオルを持って急いで駆け寄る。
「どうぞ、お使いください」
「あらすみません。お借りしますね」
 店長がドアに行き、表の立て看板を中に入れた。

 席に着いた女性はメニューを見ずに、お水を運んだ私に言った。
「こちらのお勧めって、何があります?」
 小柄で綺麗な人。細身のパンツと首に巻いたスカーフが良く似合う。仕事がバリバリできそうな感じ。四十代くらいかな?
「カプチーノが、おススメです」
「そうですか。じゃあそれと、甘いもののお勧めは?」
 自分で言うのって恥ずかしいなぁ。口をひらいた時、私の後ろを店長が通った。
「チーズケーキがお勧めですよ」
 さりげなく笑いかけた店長に、彼女もにっこり笑って頷いた。
「じゃあ、それもください」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 軽快なテンポの曲が流れ始めたホールを歩き、店長の後を追って厨房に入る。
「店長、ありがとうございました」
「あんなに頑張ったチーズケーキなんだから、どんどん勧めないとな」
 デザート用の厨房にある冷蔵庫からチーズケーキを取り出し、丁寧に切り分け、粉糖を振って仕上げにミントの葉を載せた。気に入ってもらえますように。

「お待たせしました」
「ありがとう」
 その場を離れて厨房へ行く。彼女から見えない場所に立ち、店長と二人でそっと様子を見る。
 彼女はカプチーノとチーズケーキの写真を数枚撮っていた。店長と顔を見合わせてどちらからともなく微笑んだ。
 カプチーノをひとくち飲んだ彼女は目を見開いてしばらくカップの中身を見つめたあと、ゆっくりふたくち目を飲んだ。私が初めて店長のカプチーノを飲んだ時、もしかしたらこういう表情をしていたのかもしれない。
 彼女は鞄から小さなパソコンを取り出し、何かを打ち込み始めた。そのあとはチーズケーキ。同じようにひとくち食べては、またキーボードを叩いていた。
 ホールには彼女しかいない。
 いつまでも私が厨房にいるというのも失礼なので、何気なくホールへ行き、レジのカウンターでラッピング用のラフィアや包装紙を束ねたり、後ろの雑貨を磨いたり、ディスプレイを変えたりしていた。彼女はその間、美味しそうにチーズケーキを頬張り、空を見ながらゆっくりとそれを味わっていた。この人、きっと食いしん坊だ。何となくわかる。
 結局その後、他のお客さんは現れず、彼女は帰り支度をして私のいるレジにやってきた。
「カプチーノとチーズケーキ、とても美味しかったです。おススメに値しますね」
「ありがとうございます」
 彼女が取り出したお財布は変わった形をしていて、表面に繊細な刺繍が施されていた。
「こちらは家具も売ってらっしゃるの? 雑貨も?」
「はい」
「それで椅子とカフェ、なのね」
「そうなんです」
「面白いわ。ごちそうさまでした」
 クスッと笑った女性が、私からレシートを受け取った。
「ありがとうございました!」
 からりんとドアが鳴り、彼女は夜の通りへ消えて行った。雨はもう止んでいた。

「嬉しいね。おススメを訊いてくれたりして」
 厨房から出てきた店長が私へ言った。
「写真を撮ってましたよね。ブログか何かに載せるのかも。雑誌だったらどうします?」
「え、いやあ、それはないだろ〜。だったら名刺とかくれるだろうし。うん、ないよな〜、ないない」
「そうかな。でも、そうだったらいいのに」
 店長が窓際のロールスクリーンを下ろしていく。私はテーブルの上の食器を片づけ始めた。
「くるみちゃん。ケーキは駄目になっちゃったけど、三人で飲みにでも行く? たまには」
「あ、はい! 行きたいです」
 店長と二人ではないことに少しだけホッとした。緊張して食べれなくなりそうだし、変な事口走っちゃいそうだし。さっき抱きついちゃったこと、思い出しそうだし……。

 テーブルにきちんと折りたたまれていた、さっきのお客さんが使ったタオルを手に取る。
 何となく印象深い人だった。
 ここを気に入って、また来てくれるといいな。