「おい」
 私、この頃気合が足りないと思う。
「おいくるみ」
 これから椅子カフェ堂を、もっともっと盛り上げていかなくてはいけないのに。
「おい、お前だよ、お前。そこの」
 オーダー聞き間違えたり、お水落っことしたり、厨房で店長とすれ違う時、触れないようにしてたら逆に思いっきりぶつかっちゃったり。
「顔すげーブスになってんぞ、くるみ!」
 バンバンと机を叩かれ、驚いて顔を上げる。
「あ、お疲れ様です! 職人さん、いつからそこに?」
「今さっきからいましたが」
 あーびっくりした。存在自体気付かなかったよ。事務所で休憩をしていた私の前に職人さんが座っていた。またぼーっとしてたんだ私。
「今日お前の友達、何時頃に店来んの?」
 職人さんがペットボトルのお水を一気に飲んだ。
「閉店の八時ジャストって言ってました」
「わかった」
「職人さんも食べますよね? 試食」
「食うけど、そっちで一緒にってのは無理」
「お仕事ですか?」
「納品ぎりぎりなんだよ。普通は無理なスケジュールだけど俺は天才だから間に合わせる。それより俺の分もメシ取っておいてくれって永志に言っといて」
 その自信、私にも少し分けて欲しいです。
「私が作ったお菓子も食べます?」
「当然」
「わかりました」
「お前さ、そんなブスっ面で永志と出掛けたのかよ、この前」
 飲み終わったペットボトルを大きな音を立てて机に置いた。汗を掻いたペットボトルが雫をぽたぽたと落とす。九月も終わりだというのに残暑は厳しく、この部屋もまだエアコンをつけていないと耐えられなかった。
「あんまりブスブス言わないでくれます? 一応傷つくんですけど。店長と出掛けた日は今の千倍は輝いていました」
「あそ」
 あれはデートって言ってもいいのかな。楽しかった食べ歩き。店長に買ってもらったサシェはベッドの枕元に大切に置いてある。
「ブスとは言ってねーよ。ブスっとしてんなよ、ってこと」
「別に機嫌が悪いわけじゃないんです。ただ……」
「何があったか知らないけど、客の前でそういう顔すんなよ? 永志に迷惑がかかる」
「……気を付けます」
 何よ、永志、永志ってさー。でも少しは私のことも気にかけてくれたのかな? 気のせいか。

 今日最後のお客さんがお店を出た。外はすっかり暗くなっている。
 closedのプレートをドアノブにかけ、外の立て看板をお店の中に入れようとしたところで、後ろから肩を叩かれた。
「くるみ、久しぶり!」
「あ、尚子!」
「皆で来たよ〜! 久しぶり、くるみ」
「佳織、昌子さんも……! 今日はわざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「元気だった?」
「はい」
 元同僚で今は友人の三人が、笑顔で私の前に現れた。私が会社を辞める前に、この三人は既に別の職場へ移っていた。こうしてまだ仲がいいのは全員食いしん坊で趣味が似てるからなんだよね。
「お忙しい日曜日にお呼び立てしてすみません。店長の有澤です。今日はよろしくお願いします」
 ホールの席に着いた皆のテーブルへ行き、店長が挨拶をした。一日働いた後なのに疲れた様子は全くなくて、腰にびしっと巻かれた長いカフェエプロンが今日は一段と似合っている。
「あ、はい」
「あの、よろしくお願いします」
「こちらこそ……楽しみです。はい」
 皆ぽーっとした顔で店長を見つめてる。もじもじしちゃって……。いつもの勢いはどこ行っちゃったのよー。
「遠慮せずに、どんどん意見を言って下さいね」
「はいっ!!」
 彼の笑顔に皆が大きな声で返事をした。
 店長と一緒に食べ歩きをした帰り、試食会に私たち以外の人を呼んでみてはどうか、という話になった。椅子カフェ堂の客足を戻すために、新作に対する客観的な意見をもらおうというもの。
 ここにいる友人たちは味にうるさく、新しいお店の探索に余念がない。私よりも細かいところに気付くし、様々なお店の情報をブログやSNSでマメに流し、そこから意見をもらっている。
 相談するには申し分ない相手ということで、定休日前の日曜日の閉店後、ここに来てもらう約束をした。

 店長が次々に料理をテーブルへと運んだ。友人たちはお箸を忙しなく動かしながら、口に入れて味を確かめていく。店長は全ての料理を運び終わると、テーブルの脇に立ち、メモを取り始めた。
「炊き込みご飯セットは、煮物か何かの小鉢が付いてたら嬉しいかも。青菜の煮びたしとか、ほうれん草の胡麻和えとか」
「きのこの炊き込みご飯、美味しいです。栗おこわでもいいかな」
「豚汁もいいけど、あっさりなけんちん汁が食べたい気もする」
「こういうセットものはトレーが欲しいです。最近よく見かける、和ごはんのお店で使ってるような明るい木製の」
 す、すごい……。自分の友人ながら驚いてしまう。よくまあ、あれだけ食べながら、同時に意見がぽんぽん出て来るよ。
 店長は皆の言葉に頷きながら、意見を素早く書き取っていた。
「ひじきのサラダは豆類を入れて欲しいかな。ひよこ豆とか枝豆とか」
「海老より小柱のかき揚げの方がいいかも。三つ葉があれば綺麗ですけど、季節的に無理ですかね」
「ロールキャベツ、クリーム系の方がこれからの季節は良い感じ?」
「塩漬けきのこのパスタは彩りがもっとあった方がいいです。パプリカとか、バジルとか。にんにくが効いてて味はとてもいいです」
「さつまいもとカボチャのコロッケ、ちょっと塩気が足りないかな。ねっとりしてて口当たりはいいです。黒ゴマを入れれば香ばしくて見た目的にも綺麗じゃないかと」
「ああ大学いものイメージだよねー、それ。美味しそう」
 そろそろかな。スイーツの用意をするために、私は一旦厨房へ入った。

「なんかさ、くるみちゃんがあそこに三人いるみたいだよね」
 片付けをしながら厨房に入った店長が、私の方へ来て小さな声で言った。胸がどきんとして、慌てて振り返る。
「す、すみません。皆細かくて」
「その方が助かるんだって。美味しかったですよ、はいおわり。それじゃあ来てもらう意味ないんだから。本当にありがたいよ」
 にっこり笑った店長に私も何とか笑って返す。馬鹿、ドキドキしてる場合じゃないでしょうが。
「次はくるみちゃんの番だな。俺、皆のカプチーノ入れるから、頑張って」
「はい、頑張ります!」

 大きな四角いお皿に目いっぱい並べたプチカップケーキを皆の前に置いた。途端に、きゃーと悲鳴が上がる。
 カップケーキ部分のフレーバーはバニラ、チョコ、抹茶、さつまいも、モカ、チーズの六種類。それぞれ色を変えた生クリームを絞って載せ、マジパンで作った小さなお花や蝶、アラザンをほんの少し飾った。
「可愛い〜! これカップケーキ? 選んでいいの?」
「何でこんなに可愛い色が付いてるの〜? 何よ、このお花は!」
 皆目を輝かせながらカップケーキに手を伸ばしている。店長がカプチーノを淹れてくれた。その香りが、緊張していた私をホッとさせてくれた。
「どうかな? 気に入ってくれた?」
 声を掛けると、皆が一斉に顔を上げて私を見た。
「気に入ったよ〜。まずデコが超可愛いし、サイズが小さいから食べやすいし」
「色がいいよね。淡いパステルカラーで毒々しくなくて」
「味も甘すぎなくてちょうどいいんじゃないかな。もう少しほろほろ感が欲しいけど」
「私はもっとしっとりがいいな」
「たくさんあるのは嬉しいけど、迷っちゃうから四種類あれば十分じゃない?」
「大きさはちょうどいいよ。もう少し食べたい、ってくらいの量が絶妙」
「現物の見本を置いておけば選びやすいかもね。もしくはメニューに写真を付けてほしいな」
 は、早すぎてメモが取りきれないよ〜。喜んでもらえて良かった。貴重な意見が参考になる。

 一通り終わって、皆が美味しかったと口にしながら帰り支度を始めた。皆がまとめてくれたテーブルのカップや小皿を片付けて厨房に入る。
「くるみちゃん、今日はもういいよ。着替えて皆と一緒に帰んな」
「でも片付けが」
「明日は休みだし、ゆっくりやるから大丈夫だよ。良晴もまだいるし」
「じゃあ、すみません。お先に失礼します」
「お疲れね。今日の意見を参考にして、また考えよう」
「はい」

 急いで着替えを終え、外で待っていた友人たちと合流する。彼女たちは店長から食後のカプチーノとデザート付きの一食分無料チケットを貰ったらしい。
「今日は皆さん、ありがとうございました。助かったよ〜」
 駅へ向かう道で歩きながら、お礼を言った。散歩道にある時計を見上げると、十時を回っている。
「ねえちょっと、店長イケメンすぎない? 何で先に言ってくれないのよ、くるみ!」
 佳織が私の隣で声をあげた。
「だってホームページに載ってたでしょ? 見なかった?」
「載ってたけどさー、間近で見た方が数倍良くて驚いちゃったしー」
「何歳なの?」
 すぐ前を昌子さんと歩いている尚子が私に訊く。確か最初に言ってたのは……
「二十八だったと思う」
「結婚してんのかな〜。微妙な年齢だよね」
 佳織ったら食いつくなぁ。
「してないよ。彼女もいないんだって」
「マジ!?」
「佳織、彼氏に叱られるよ、もう」
 私が言う前に尚子が佳織を振り向いて嗜めた。その時ふと、昌子さんが空を見上げて呟いた。
「私さあ、あの店長って、どこかで見たことあるんだよね〜。どこだろ?」
 この中で一番年上の昌子さんは、私が入って半年で辞めてしまった人。
 夜は風が涼しくなっていて、秋がすぐ傍まで来ていることがわかる。木立が風に吹かれて、優しくざわめいた。
「ねえくるみ、チャンスじゃん。店長イケるんじゃない? 毎日一緒なんでしょ?」
「そういうんじゃないよ。今はとにかくお店のために仕事をちゃんとしないと。真剣なんだから」
 私はお花屋さんのプチブーケに視線を向けながら佳織に言った。
「ごめーん。そうだよね」
 違う。佳織にじゃない。私、自分に言い聞かせてる。
「そうだよ……。そうなんだから」
 もっともっと、言い聞かせなくちゃ駄目。もっと……。
「ちょ、どうしたの? 泣いてんの? ごめん、くるみ。真面目にやってるのに茶化したりして」
「ううん。こっちこそごめん。佳織は悪くないよ」
 俯いた時、昌子さんが立ち止まった。
「あーわかった! あの人、取引先の人だったんじゃない?」
「うそ、私覚えてないですよ」
「尚子ちゃんはいなかった頃だよ。私が入った年だから、今から三年前くらい。その時、イケメン来たーって皆で盛り上がったんだよね。しばらくして、ぷつっと来なくなっちゃって……。取引先の会社は確か、」
 昌子さんがその会社名を呟いた。誰もが一度は訊いたことのある大企業の名前。職人さんが教えてくれたエリートの言葉が頭に浮かぶ。
「あんな大きい会社辞めて、ここでちんまりカフェの店長やってるってこと? それはちょっと信じられないですよ。人違いじゃないですか?」
「違うのかなぁ。なかなか、あんな人いないと思うんだけどねえ」
 そういえば、どうして一度就職したんだろう。すぐに修行してここを継がなかったのは、おじいさんがまだ現役だったとか?
 店長のことが気になって仕方がない。些細なことも、見えないことも、全部。

 恋しちゃったなんて言えないよ。これからが、お店にとって大事な時なんだから、浮ついた気持ちでいちゃダメ。今まで以上にもっともっと頑張らないと。何より店長にとって迷惑なことこの上ない。
 生まれてしまったこの気持ちは、誰にも気づかれないようにそっとしまっておくしかない。
 そうするしか、ないんだよ。