A birdcage〜トリカゴノナカデ〜

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(15)愛の挨拶




 羽田発パリ直行便の飛行機へ乗り、シャルル ド ゴール空港へ到着すると、そこはあの封筒を開けた時と同じ匂いがした。

「陶子!」
 私の名を呼ぶ柊史へ駆け寄る。
「疲れた?」
「少しだけ。でも柊史の顔見たら、もう大丈夫」
 鞄を持ってくれた彼が言った。
「陶子の荷物、無事に届いたよ。今日はこれだけ?」
 一週間前に到着していた柊史は、私を迎える準備を終えていた。空港から出てタクシーへ乗り込み、朝の街を走る。

「まだずいぶん暗いのね」
「ああ。こっちは冬へ近付くに連れて、日本よりもずっと日が短くなる」
 初めて訪れた土地を窓越しに見詰める。
「どれくらいで着くの?」
「道が空いていれば一時間もかからないよ」
「……ずいぶん、飛ばすのね」
 柊史へ近付き、運転手さんに聞こえない様小さな声で呟くと、彼が小さく笑った。
「大丈夫だよ。多分日本語はわからないから」
「あ、そうね」
「これでも安全運転な方なんだよ」
「そうなの?」
 驚いた私の声に今度は楽しそうに笑った柊史が、そっと手を握って言った。

「ご両親は何か言っていた?」
「空港まで送ってくれたわ。父が、頑張れって」
「そうか。お母さんは?」
「……涙ぐんでた。幸せにならなきゃ駄目よって」
 あんなに反対していた父と母は、力強く私を見送ってくれた。
「あとでゆっくり電話するといいよ。二人に安心してもらえるように、僕も挨拶したいから」
 私の手を強く握った柊史が、真っ直ぐ前を見詰めて言った。

 遠くの空が薄っすらと白んでいる。辺りは日本よりも、少しだけ早く秋の終わりが近付いているように見えた。温かいタクシーの中で、私たちはたくさんの話をした。

「今回大賞を取れたのは、もちろん僕一人の力じゃない。たくさんの人が関わってくれたからなんだけど、その中でも寺田さんが一番バックアップしれくれたんだよ。信じられる?」
「寺田さんて、私が会ったことのある、あの人?」
「ああ。本気で狙いたいならやれって。結構あれこれ世話してくれた。感謝してもしきれないよ」
 柊史と一緒に行ったホールで、側にいた私ですらつらくなってしまう程の会話をしていた人が。嬉しい驚きに自然と笑みが浮かぶ。
「これからこっちで、いろいろとやりたいことがたくさんあるんだ」
 遠くを見詰める私の大好きな彼の瞳は、あの頃と同じだった。その横顔を眺めていると、振り向いた彼が言った。

「陶子がしたいことは?」
「恥ずかしいけど、まずはきちんと言葉を覚えたいの。少しは勉強したけど、まだ全然だめ」
「恥ずかしいことなんかないよ。もう少し慣れて来たら、どこかへ通うといい」
「そうね」
「今度の日曜日、アンティークマーケットへ行こうか。きっと陶子が好きそうなものがたくさんある」
「うん」
「それから、陶子が喜びそうなパティスリーと、美味しいショコラショーを出すカフェも、似合いそうな帽子が置いてあるブティックも」
「……嬉しいけど、無理しちゃいやよ?」
 何となく申し訳ない気持ちになり俯いた。肩から滑る私の髪を指ですくった彼は穏やかな声で言った。
「無理はしないよ。だけど、陶子を僕の一番貧しい時に傍にいさせてしまったから、今は何でもしてあげたいんだ」
「柊史」
「後少しでどうにかなるっていう時が、一番何もないんだって思い知らされたよ。働く時間は限られているし、かといってまだ演劇だけでは食べていけなかったし」
「……」
「でもしばらくは大丈夫だよ。半年後に僕の戯曲も出版される」
「そうなの?」
「ああ。ここでのことが評価されれば、あと二つ、声がかかってるんだ」
「私、どんなことがあっても平気よ。柊史と離れさえしなければ、何もつらいことなんて、もうないの」

 到着の場所よりも少し手前でタクシーを降りた。彼の案内で色付いた葉の落ちる石畳の上を歩く。道の両脇は、石造りやレンガで出来た古い大きな建物がどこまでも連なっていた。遅い時間に昇る朝日が、ゆっくりと建物全体を照らし始めていく。まるで映画の街並みのような風景を目の当たりにしながら、朝の空気を胸に吸い込んだ。

「柊史」
「ん?」
「柊史、柊史、柊史……!」
 彼の腕にしがみつき、何度も確かめるように身体を摺り寄せる。彼がここにいる。私の隣にいる。ベッドの中で交わした約束の場所に、今こうして二人でいる。嬉しさに抗えない気持ちが、自然に私へ彼の名を呼ばせた。
「だめだよ、陶子。少し離れて」
「どうして?」
「……部屋に入った途端、節操のない人になりそうだから」
 戸惑う彼の可愛い声を追いかけて、唇から思いを零した。
「なって、お願い。……たくさん抱いて」
 離れていた日々を思い返すと、益々それは私の胸を熱くする。
「そんなこと言われたら僕、陶子をどうするかわからないよ?」
「言ったでしょう? 柊史になら壊されてもいいって」
 顔を赤くしながら私を見つめる彼の瞳に意地悪したくなって、わざと顔を覗きこんだ。
「覚えてる?」
「……忘れるわけない」
 肩を強く抱いてくれた彼が、ここだよと教えてくれる。その声に顔を上げると、飛び込んで来たのは懐かしい匂いのする建物。

「ここなの?」
「気に入った?」
「……似てる」
 縦長の白い窓枠がいくつも連なった古い三階建てのアパルトマンは、二人が過ごしたアパートメントを思い出させた。
「あいつに、似た所を探しておいてもらったんだ。注文付けすぎだって、ぶつぶつ言ってたけど」
「あいつ?」
「陶子にカードを送ってくれた僕の友人。割と近くに住んでるから、今度お礼にここへ呼ぼう」
 暗証番号を押した彼が、背の高い黒い鉄の門を静かに開ける。
 狭い石造りの通路を歩いていくと、その先には広く美しい中庭が広がっていた。白い石の壁には蔦が絡まり、真ん中に立つ大きな樹は葉を黄金色に輝かせ、その足下には鮮やかな色の花を纏っている。いくつか置かれた白くペイントされているベンチも皆、花と緑に囲まれていた。
「部屋の窓からこの中庭が見渡せるよ。部屋はね、ベッドルームとリビングに分かれてるから、前よりもずいぶん広いんだ」
 中庭から部屋の扉を繋ぐ入り口には、使い込まれた木製の螺旋階段が見える。
「すごく素敵だわ。何もかも」
 感激に大きな溜息を吐いたその時、遠くから微かに楽器の音が耳へ届いた。

「……チェロだ」
 愛の挨拶が流れていた。
「ねえ、今の私達にぴったりだと思わない?」
「ああ、最高だね」

 肩を寄せ合い笑った後、待ちきれない私達は、人目もはばからず深く唇を重ねた。

 扉の開かれたこの鳥籠で二人、自由に暮らすの。
 誰にも邪魔されることのない、愛に満たされた幸せな鳥籠の中で。










 〜end〜





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