十月下旬、肌寒い金曜日の夜。
賑やかな街の中を彷徨い歩き、辿り着いた先には、オレンジ色の外灯が温かい、とても雰囲気のある居酒屋があった。……ピアノのレッスンじゃありません。勘違いした人、こっちの先生もよろしく。
男女7人ずつか。全部で14人って、結構な数の合コンだよな。
広めの個室は薄暗く、テーブルの下は掘りごたつ仕様になっていた。足がなー、これだとくっついたり触れ合ったりしちゃうからなー。さすが俺の友人がチョイスしただけのことはある。
俺の友人は三人。あとはあいつらの会社の同僚らしい。院生組は時間がなくて加われなかった。女の子は梨子先生、美利香先生、睦美先生。あとはOLさんが4人。同じ会社と言うわけでもないらしいけど、友人だかなんだかその辺りはよく聞いてなかった。ってことで、俺の両隣はバッチリ化粧をした、大人っぽい格好のOLちゃんが座っています。
梨子先生は個室の入口近くへ座り、両隣にスーツの男が陣取っていた。俺は部屋の一番奥だから、これじゃあ向こうの会話もまるで聞き取れない。
「あたし、裕介先生みたいな恰好好きですー」
「え、そう? ほんとに?」
俺たちが幼稚園の先生だとわかると、なぜか皆名前に『先生』と付けて呼び始めた。いつもより濃い化粧の美利香先生が、名前を呼ばれて楽しそうにはしゃいでいる。頼むからあと一か月はそのテンション持続でお願いします。
「スーツもいいけど、これかわいー。あそこに掛けてある短いブルーのダッフルコートもかわいー」
「ていうか、スーツ以外が結構大事なんだよねー」
何でもかんでも可愛いとか言えばいいとか思ってんじゃねーだろな。……嬉しいけど。
「……裕介せんせーも、可愛い」
はい!? 何、人の袖引っ張ってんの? グロス光り過ぎじゃね? もしかしてお持ち帰りしてくれんの? さっきからスカートから出てる膝が俺の脚に軽くぶつかってんのも仕様?
「OLさんは皆綺麗ですよねー。普段接しないから、俺緊張するなー」
そんなことないですよお、と笑っている彼女たちへ愛想を振りまきながら、遠くの席にいる梨子先生をチェックする。隣に座ってんの誰だ? 俺の友人じゃない男がやけに彼女へ馴れ馴れしくしてる。
そうだ、今日は梨子先生を守らなければならないんだ。デレデレしてる場合じゃない。
「ねえねえ、裕介先生聞いてるー? どこ見てんのー?」
やべえ、全然話聞いてなかった。それにしても合コン慣れしてんのかね。それとも気遣って普通に話しかけてくれてんのかな。俺も少し砕けるか。
「ん? 聞いてる聞いてる、なに?」
聞いてないじゃんーと俺の肩を叩いたOLちゃんは笑って言った。髪が綺麗に巻いてある。それにしてもどうしたんだよその爪は。いろんなものがくっついてるけど、重たくないのか? 脚は綺麗だけど、皆痩せすぎじゃね? 女の子はこう、もう少しこの辺りにだな、むちっとこう……。まあ、梨子先生と比べちゃこの子たちが可愛そうか。
「幼稚園の先生って優しそうだよね」
「いやー別にふつうだと思うよ。特別優しいってわけじゃないし。俺だって全然優しそうに見えないでしょ?」
なんたって入園式であれだけ子どもに泣かれたんだからな。
「そんなことないよー。カッコいいし、優しそうだし、それに幼稚園の先生ってすごく若く見えるよね」
参ったなー、そんなにカッコいい? でも若く見えるってことはガキ扱いされてんのかな。俺からも彼女たちへいろいろ質問して、楽しく会話が弾んできた時、OLちゃんの一人が言った。
「幼稚園の先生って結婚して子どもが生まれたら、何でも嫌がらないで面倒見てくれそうだよねー」
「家事も進んでやってくれそうだし」
お前ら、それが狙いか。結衣と別れた時の会話が頭の中を掠めた。幼稚園の先生を何だと思ってんだ。
「……」
でもまあ、俺もたいがい過去を引きずる男だよな。だけどさ、先生だって普通の人間なんだ。頭に来たりイライラする時もあれば、悲しくなって何もかも投げ出したい時だってある。第一、俺一人暮らししてたって、家のことなんかまるでやる気ないもんな。掃除も洗濯も料理も全部面倒くさいし。
「あ、おっこちちゃったー」
一口食べ、乗せようとした小皿からテーブルへ転がった唐揚げを、隣に座る髪の長い女の子は箸で摘まんで俺の小皿へ乗っけやがった。
「裕介せんせーにあげるう。あたしの残りー」
「食べて食べてー」
「絶対おいしいって」
両隣のOLちゃんに加え、俺の斜め前に座る女の子も加わってきた。皆だいぶ酔ってきたな。
「あのね、君らねえ……」
テーブルの上とはいえ、落っこったのを食えと。要約すると君の食べかけを食べろと。
「せんせードン引きだし!」
「だいじょぶ、だいじょぶ。三秒ルール、イエー!」
「いっけー!」
女の子たちはきゃっきゃして楽しそうに喜んでる。馬鹿にしてんのか? いえ、全然嫌いじゃないですけど……って言ってる間に、梨子先生がいなくなっていた。隣に座ってた男もいない。
「ごめんね。俺ちょっとケータイ」
ポケットからケータイを取り出し、反対の手で小皿に乗せられた唐揚げをつまんで口へ放り投げた。
「きゃー、食べた食べたっ!」
「ほんとに食べたっ! かわいー」
はいはい、喜んでもらえてよかったっす。……OLの齧りかけうまいな。つって、その場をあとにして店内を探す。トイレに行ってんのか? キョロキョロしながら歩き回り、店を出た所で梨子先生の後ろ姿があった。
「……梨子先生」
「裕介先生どうしたの?」
「いや、別に何でもないです。もう帰るのかと思って」
言い訳がましかったかな。男はここにはいなかった。
「友達から電話がかかってきたから話してただけだよ」
まさかの彼氏か?
「ここのお店美味しいね。いっぱい食べちゃった。さっきからお腹苦しいの」
梨子先生は笑って白いニットを着ている自分のお腹を撫でた。腹なんか全然出てねーよ、それより胸だよ胸! ふわふわして彼女によく似合ってるけど、大きめに襟元が開いてるから、下を向いたら胸元が見えてしまうじゃないか!
とりあえず居酒屋はお開きになり、二次会の場所へ移ることになった。二時間とはいえ、既にたくさん飲んだ気がする。
店を出、外でOLちゃんたちと話をしながら、ふと梨子先生の方へ視線を向けると、彼女は居酒屋で隣に座っていた男と話し込んでいた。男の方は彼女の顔を近くで覗きこんだり、これから行く予定の場所とは別の店の方へ指を差して誘っているようにも見えた。
なんか、これって本当にまずいんじゃないか? 結構気に入られてるし、このままお持ち帰りでもされたら俺の責任が、立場が、いや……そうじゃない。単純に俺がいやだってだけだ。俺はOLちゃんたちを置いて二人へ近づいた。
「梨子先生、ちょっと」
「?」
「あの、仕事のことで彼女に緊急に知らせたいことがあるんで。すんません」
男へ頭を下げ、彼女の手を掴んで足早に歩き出した。あいつらには後でメールでもしとけばいい。すぐに見えた角を曲がり、駅へ急いだ。
「裕介先生どうしたの? 幼稚園のことって何?」
「何でもないです。もう帰りましょう」
「え、なんで?」
梨子先生の履くヒールの音が、斜め後ろから俺の耳へ届く。
「ねえ、どうしたの? 裕介先生も帰るの?」
「帰ります」
「でも女の子たち、裕介先生のこと気に入ってるっぽかったのに」
「別に、気に入られたわけじゃないですよ」
「じゃあ、このまま二人でどこか飲みに行こうか? せっかくだし」
何、無邪気な笑顔を晒して言ってるんだよ。酔ってるのかもしれないけど、その言葉に腹が立って路地裏で足を止めた。
「……彼氏に、叱られるでしょうが」
「え?」
「梨子先生の彼氏ですよ。別に黙ってればバレないだろうけど、俺が彼氏の立場だったらいやです」
振り返った俺を黙って見つめる梨子先生の視線を受け止めた。言いづらいな。でもここで言わなくちゃ駄目だよな。
「俺にこんなこと言う権利はないかもしれないけど、合コンだってやめた方がいいですよ。さっきのあいつらだって、梨子先生に期待するだろうし」
「……平気だよ」
「何が平気なんすか?」
ぼそっと呟いた梨子先生にイラっときて、今度は彼女の顔をしっかり見つめた。梨子先生はバッグを握りしめ、訴えるようにして言った。
「平気だよ。だって」
「……」
「だって、とっくに別れちゃってるもん。今彼氏なんていないよ」
梨子先生は固く口を結んで俯いた。
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