ぎんいろ まひる編
9 きんもくせい
保育園のお庭のすみに、いい匂いの木が並んでいる。その木には小さなオレンジ色のお花が咲く。今日のお空は青くていい天気。
細かい花びらを拾ってく。十個あつめたら、いい匂いが手にくっついた。落ちているお花のそばをアリンコが通る。
「きんもくせいは、お母さん」
おまじないみたいな言葉は、あったかくて少しだけ泣きたい気持ちになる。
「きんもくせいは、お母さん」
「変なの。これ、木じゃん」
青色のシャベルとバケツを持った、同じクラスのたけしが来た。私、この子きらい。だっていつも意地悪言ってくるから。
「変じゃない。きんもくせいは、お母さんの匂いなんだよ」
「お母さん、いないんだろ」
胸がどきんと鳴った。
たけしはいつも怒ってるみたいに見える。髪が短くてつんつんしてて、先生が読んでくれた紙芝居の子鬼みたい。
「いないよ」
ぎゅーっとお腹の上の方が痛くなった。
「じゃーなんで知ってるんだよ」
「……」
「なんでだよー。言ってみろよー」
「……お父、さん、が、」
鼻がつんとして、のどの奥が痛い。続きを言いたいけど、何も言えない。唇に力を入れてかんだ。目がじわじわする。
「あーまひる、うそついた。うそつきはどろぼうの始まりだって、おばあちゃんが言ってたぞ」
お父さんが教えてくれたお母さんのこと。きんもくせいが好きって言ったお母さんのお話。
唇がすごく痛くて血が出そう。でもこれは、涙をこぼさないようにする方法だから。
「どろぼう、どろぼう」
私の三つ編みを、たけしが引っ張った。お父さんが毎朝してくれる、大切な三つ編み。
「痛い、やめて」
手から、きんもくせいのお花が落ちてしまった。せっかく拾ったのに。我慢してた涙も落っこちそう。
「まひるはどろぼ……でっ!!」
「うるさいんだよ、お前」
誰かが、たけしの頭をげんこつした。知らない男の子だ。だれ?
「何すんだよ!」
たけしが私の三つ編みをはなして、男の子をにらんだ。
「あっち行け。お前声がでかくて、ちょーうるさい。ダンゴ虫が逃げるだろ!」
男の子がたけしの髪の毛を引っ張った。私が引っ張られたみたいに。ううん、もっといっぱい引っ張ってるみたい。
「痛い! はなせよ、ひきょーもの! わるもの!」
「ひきょう者で悪者はお前だろ!」
「う、はな、はなしてよおおお! マ、ママー!」
「もうすぐ年長のくせに何がママだ。男なんだからお母さんって言え!」
「痛い、はなせえええ!」
「うっさいんだよ、ぶっさいく! ぶーすぶーす! かす! ざこ!」
わーんと泣いたたけしは、お砂場にいる先生の方へ走って行った。また言いつけるんだ。いつもそうだから。
私より少しだけ背が低い男の子。髪がうす茶色でサラッとしてる。わたしを見た男の子に聞いてみた。
「ぶっさいく、ってなに……?」
「悪いこと言うやつは顔がブスになるって、お父さんが言ってたんだ」
男の子は、たけしの方を指差した。先生と一緒にたけしがこっちへ来る。
「ほらあいつ、すげーぶさいくだろ。カエルそっくりだ。何だあの泣いてる顔」
「カエル!?」
たけしの顔がカエル。何だかおもしろくておもしろくて、大きな声で笑った。男の子も私と一緒に大笑いしている。涙はどこかへ行っちゃった。
「こらー! 二人とも何したの〜!? たけしくん泣いてるよ〜」
こっちに来たみゆきせんせいに、男の子が話してくれた。
たけしが私に意地悪言ったこと。
髪の毛をいっぱい引っ張ったこと。
あとは……「ママ」なんて恥ずかしいじゃんって。
先生はわかってくれて、あまり怒らなかった。なかなおりのごめんねをした。先生はたけしを連れて、向こうの方でみんなと鬼ごっこを始めた。
私の隣で男の子がしゃがんだ。またダンゴ虫、探すのかな?
「ねえ、ざこってなに?」
私もしゃがんだ。
「知ーらね。いとこのお兄がゲームの時に言ってた。このざこ! って」
男の子は私が落とした、きんもくせいのお花を拾っていた。ダンゴ虫じゃなくて。
「なんて名前? 何ぐみ?」
「いちのせそうた。ゆり組。5歳。きのうの前、引っ越して来た」
「……そうた?」
ゆり組だから、おとなりのクラス。同じ年中だ。
「おまえは?」
「さえきまひる。ばら組」
「ふうん。おひるごはんみたいな名前だな」
「おなかすいたね」
「もうすぐ給食だ。今日は何かな」
そうたは拾ったお花を、私のおズボンのポケットに入れてくれた。
ポケットからいい匂いがする。さっきの悲しい気持ちが、いい匂いに変わった。私もお母さんと同じ。きんもくせいの匂いが好き。
その日から、そうたは私の仲良しのお友達になった。
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