年上幼なじみの若奥様になりました

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5 マリッジブルー



 大学のキャンパス内にあるカフェは、去年リニューアルしたばかりだ。
 ここのカフェオレがお気に入りで、こればかり飲んでいる。
「それで、話はいろいろ進んでるの?」
「うん。晃ちゃんの仕事が忙しくなる前にって、お正月明け早々に結納と、その日のうちに式場まで決まっちゃったの」
 私は友人ら三人――愛理(あいり)、礼奈(れな)、唯香(ゆいか)と久しぶりに一緒に過ごしていた。彼女たちの話題は卒論や就職先の話ではなく、私に集中している。
「はー……本当に結婚するんだねえ。永久就職ってこういうのでしょ?」
「スマホ見て噴いたもん、あたし」
「私なんか、すぐ蒼恋に電話しちゃったよ」
 三人が私を見つめながら、ため息を吐いた。
「私だって……まだ信じられない」
 カフェオレをもうひと口飲んで、テーブルのすぐ上にぶら下がっている可愛らしい形のランプシェードに目をやる。ほんわり浮かんだオレンジ色の灯りが綺麗。そうして、晃ちゃんに結婚しようと言われてからのことを思い浮かべた。
 最初は大騒ぎだった私の家族も晃ちゃんのお父さんも、話が進むうちにいい方向へと落ち着いた。お互いの家族に紹介なんてことも省けるし、何より家族同士知り尽くした関係って最高だよねと、最後には笑って喜んでくれた。
「晃ちゃんは、いつこっちに戻ってくるって?」
「四月の中旬だって。三月の終わりまでは一番忙しいときだから、それをが過ぎてからこっちに戻るみたい」
 不動産業はこの時期に家を購入する人、転勤する人、進学や新卒の社会人の引っ越しなどで、非常に忙しい。そんなときに結婚準備なんて慌ただしいはずなのに、話はトントン拍子に進んでいき、あとは新居を決めるだけとなっている。
「式は?」
「目黒で、五月のゴールデンウィーク明けの日曜日なんだけど……皆、来てくれる?」
「行くに決まってるでしょ! 楽しみにしてるんだから。あー、何着て行こう」
 私の家から目黒駅までは電車で一本だ。晃ちゃんのこっちの会社の人たちや、私の友人にも来てもらいやすいだろうということで、そこに決まった。
「家はまだ?」
「うん、賃貸で晃ちゃんが探してくれてる」
「どのあたりに住むの?」
「晃ちゃんの仕事場が池尻だから、中目か代官山になるみたい」
「どっちもいいなぁ。絶対遊びに行くから美味しいお店とか教えてよ?」
「う、うん。でも私そういうの疎いからなぁ」
 雪の結晶ネイルを触りながら、浮足立つ気持ちを落ち着かせる。という努力をしてみても、爪と同じ桜色に心が染まっているのは、しばらくはどうしようもないみたい。
「まぁ何にしても……」
「?」
 顔を上げると皆が立ち上がり、私の周りに来た。な、何……?
「よかったね、蒼恋!!」
「わ」
 愛理が座っている私をぎゅっと抱きしめた。柔らかなアンゴラセーターで目の前がいっぱいになる。はい次、と礼奈のほうを向かされ、今度は鮮やかなブルーのニットに埋まった。
「ずっと好きだったんだもんね。継続は力なりだよね! おめでとう!」
「礼奈のそれ、ちょっと違う気もするけど、でもこういうことってあるんだね。目移りしないで思い続けたのがよかったんだよ、ほんと。幸せになるんだよ蒼恋」
 次の唯香は私の頭をぽんと撫で微笑んだ。
 大学で知り合った彼女たちは、私の晃ちゃんに対する思いを、いつも聞いてくれた。私を焦らせたりすることもなく、呆れることもなく、そっと見つめていてくれたんだ。
「うん、うん! ありがと……!」
 そんな彼女たちの気持ちが嬉しくて、涙が浮かんでしまった。最近泣き虫だな、私。

+

 とても寒い二月初めの水曜日。彼の休日に合わせて目黒の挙式会場へ打ち合わせに行く。
 打ち合わせは予定通りスムーズに終わったけれど、衣装の試着は予約の時間を押して始まった。最近は五月挙式の人たちが増えているらしく、今日も一日ここでの予約がいっぱいだという。
 ようやく私たちの番になり、まずは晃ちゃんから試着した。待っている間に選んでいたものだ。
「よくお似合いですよ。ご新婦様もご覧ください」
 店員さんに促された晃ちゃんが、試着室から出てきた。
「あ……」
 素敵……!!
 晃ちゃんは身長が178センチある。私とはちょうど20センチ差だ。濃いグレーのフロックコートに身を包んだ彼がカッコよすぎて、目が離せない。晃ちゃんはちょっと照れくさそうにしながら、私の前までやってきた。
「黒も着てみたんだけどさ、こっちの方がイイ感じだったから」
「晃ちゃん、すごく似合う。王子様みたい」
「よせって、恥ずかしいよ」
 だって本当だよ、と呟くと、珍しく晃ちゃんは顔を赤くした。何だか可愛くて、思わず笑ってしまう。
「蒼恋は選んだのか?」
「たくさん着てみたいのがあって迷っちゃって」
「全部着てみれば?」
「いいの?」
「一生に一度なんだから、後悔しないように着ろよ。な?」
「うん!」
 広い試着室の中に店員さんと一緒に入る。まずは選んだ三着のドレスが、中にあるポールハンガーにかけられた。
 真っ白なシルクのドレスは履きやすいようにふんわりと私の前に置かれた。結構な大きさに戸惑う。そっと足を入れて、店員さんに着るのを手伝ってもらった。というか……長いドレスって結構、重い。
 素敵だと思って手に取ったのに、鏡に映った自分の姿を見ても何だかしっくりこない。
「新郎様に、お見せしますか?」
「あ、ちょっと待ってください。こっち、じゃなくてやっぱりそっちの方がいいです」
 あんまり似合っていないのを見せるのも、なんて欲が出てしまった。
 着るのにも手間取って、あれこれしていると、カーテンの向こう側から声が晃ちゃんの声が届いた。
「蒼恋ごめん、一人で選べるか?」
「え?」
「俺、ちょっと抜けないとならないんだ。東京駅で取引先の人と会う約束しててさ」
 う、嘘でしょ? そんなこと聞いてないよ。
「好きなの選んでていいからな」
「え、え、ちょっと待って、晃ちゃん」
 試着室の大きなカーテンから顔だけ出して、晃ちゃんを呼び止める。申し訳なさそうな表情で近づいた彼が、私の頬を撫でた。
「こんなに時間がかかるとは思わなかったんだ。ここが終わったら蒼恋も一緒に連れて行って、向こうで少し待っててもらおうかと思ってたんだよ、ごめん」
「そうなの……?」
「蒼恋のドレス姿は、当日までのお楽しみにしとくから」
「……」
 私たちの結婚の為に貴重なお休みを使って、名古屋と東京を行ったり来たりしてるんだもんね。晃ちゃんの大変さに比べたら、私の我儘なんてくだらないことだ。
「……わかった。お仕事頑張ってね」
「ありがとう。二、三時間で戻れるから、そのあとで一緒にメシ食おう」
「うん」
「すみませんが、お願いします」
 晃ちゃん側にいた別の店員さんに、彼がお辞儀をする。
「はい、行ってらっしゃいませ。お写真の画像、お取りしておきますので」
「ありがとうございます。じゃあな、蒼恋。あとで」
「うん」
「ほんとごめんな。スマホに連絡入れる」
 急ぐ彼の背中を見送って、ひとつため息を吐いた。

 数時間後、こちらへ戻ってきた晃ちゃんと一緒にレストランへ。私はもちろん、晃ちゃんも初めてだというイタリアンのお店だ。
 白ワインで乾杯をする。口当たりがフルーティで、とても美味しい。
「仕事、忙しいんだね」
「ああ。名古屋のお客さんの引継ぎと、こっちで関わる業者と同時進行だからな。もしかすると、結婚準備を蒼恋に任せることが増えるかもしれない。なるべく帰るけど」
「うん、いいよ」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ〜! 私は時間あるもん」
「何かあったら言えよ?」
「大丈夫、大丈夫」
 これくらい晃ちゃんに頼らなくても平気ってところを見せなくては。いつまでも子ども扱いされるのは嫌だし、大人な彼に釣り合う為にも頑張らないと。
 アンティパストの鰯のマリネを口にすると、ほどよい酸味が広がった。ゴルゴンゾーラのパスタはチーズが濃厚で舌がとろけそう。和牛ロース肉のタリアータを、たっぷりのサラダといただいた。
 美味しいねって微笑みあって、その雰囲気とワインのほろ酔いから、つい聞いてしまった。
「晃ちゃん、今夜はこっちにいるの?」
 だって気になるの。
「ああ、実家に泊まる。明日の午前中はこっちで少し仕事して、午後は名古屋で仕事」
「……そっかー」
 滅多に会えない貴重な時間を過ごしているのに、晃ちゃんは――
「どうした?」
「ううん、何でも」
 私、何を言おうとしてるんだろ。何、期待してるんだろ。もしかしてこのあとお泊り、なんて言われたらとか、勝手に想像して顔が熱くなってる。今彼は、実家に泊まるって言ったばかりじゃない。
 二年前、晃ちゃんにプレゼントしてもらった首元のネックレスに触れる。アフォガートの甘さが舌の上でとろりと溶け、ほんのりと苦みが残った。

 実家の最寄駅からタクシーで帰る。
 便利なはずのお隣同士が、こんなときは恨めしい。どこかに遠回りしたいって言いたいのに、言えない。
 タクシーから降りると、晃ちゃんが私の家の前で立ち止まった。
「見ててやるから入んな」
「うん」
 何度も聞いたことのあるその言葉に、何だか笑えてくる。
「おやすみ、蒼恋」
「おやすみなさい……」
 私たち、もうすぐ結婚するんだよね?
 今度はいつ会えるの? 別れ際に甘い言葉をかけてくれるとか、キスとか、しないの? 一緒にいれば普通は、もっとそれ以上のこと、しない? ……私はしたことないけど、それくらいわかるよ。
 彼に冷たくされたわけでも、彼の態度が変わったわけでもない。優しくて穏やかで……そう、晃ちゃんはいつも通りなんだ。今までと全然変わらない関係に思えて、まるで恋人同士という感じがしない。
 家に入ると、お母さんがリビングでテレビを見ていた。
「お帰り、蒼恋。お風呂湧いてるわよ」
「ただいま。お父さんは?」
「飲み会で遅くなるって。晃ちゃんと一緒に帰ってきたの?」
「……うん。今夜はこっちに泊まるんだって」
 晃ちゃんにプロポーズをされたとき、彼に言ったことを思い出す。やっぱり就職がダメになった私を可哀想がって、勢いで結婚を決めたのかな、なんてネガティブな気持ちに襲われた。
「ねえ、お母さん」
「どうしたの? 何かあった?」
「う、ううん。あの、明日お料理教えてくれない?」
「いいわよ〜! そうよね、もうすぐ奥さんだもんね。何か作ってみたいものとかあるの?」
「晃ちゃん、お母さんの味に慣れてるだろうから、何でもいいよ」
「嬉しいこと言ってくれちゃって。何にしようかしらね〜」
「着替えてくる」
 自室に入り、スマホで友人たちにメッセージを入れた。
 私の愚痴への答えは皆、同じだ。
『初めて付き合うから気になるだけじゃない? 大切にしてくれてる証拠だよ』
『年上はそういうとこ、ガツガツしてないんだって』
『気にしすぎ。マリッジブルーってやつじゃないの?』
 そうだよね。わかってる。わかってるんだけど。モヤモヤしたものが離れてくれなくて、自分でも困ってる。
 お風呂に入ってさっぱりすれば、気持ちが切り替わるかな。

 翌朝から早速、お母さんに料理を教わった。
「次にニンジンをいちょう切りにして」
「胃腸切り……?」
「……蒼恋、葉っぱのイチョウよ。別の意味だと思ったでしょ」
「あ、イチョウね。知ってる知ってる」
「ちょっと大丈夫かしらね、この子は」
 呆れ顔のお母さんの隣で、私はニンジンを切り始めた。
「ねえ、お母さん」
「ん?」
「お父さんとは恋愛結婚だったんだよね?」
「そ、そうだけど? 何よ急に」
 昨夜お風呂に入っても、ベッドの中でも、結局悶々と考え続けていたこと。
「ということは、結婚前から仲良しだったんだよね?」
「そりゃ、お見合いじゃないし、恋人同士だったわけだし」
 味見して、と差し出された小皿を受け取る。ほわほわと湯気の立ちのぼるだし汁を啜った。その味を忘れないようにと確かめながら、話を続ける。
「デートで手とか繋ぐじゃない? 普通は」
「まぁそうね」
「帰り際にキスとかした?」
「えっ、だあっちっち!」
 慌てたお母さんは、煮物の鍋の蓋を床に落とした。
「も、もう蒼恋が焦らせること言うから……!」
「ごめん」
「昨日、晃ちゃんとそういうことになったの? いいじゃない、もう結婚するんだから」
「違うの、その逆」
「逆?」
「二人で会ってても全然何もしてこないんだもん。ちょっぴり手を繋ぐだけだよ? 私、そんなに魅力ないかな……」
 言いながら涙ぐんでしまった。
「それは違うわよ、蒼恋」
「……何が?」
「晃ちゃんはね、蒼恋のことを大切にしてくれてるのよ。それは絶対保証する」
「そう、かなぁ」
 皆と同じ答えに、何だか納得がいかない。
「私たち、親の手前もあるでしょ。うちのお父さんがあんな剣幕で怒るんだから、そりゃ手も出せないわよ。でもそれは蒼恋を大事に思えばこそよ」
「……」
「蒼恋がそういうことで悩むなんて、大人になったのねえ。お母さん何だか感動するわ」
「茶化さないで」
「茶化してなんかないわよ、全然。晃ちゃんに冷たくされたわけじゃないんでしょ?」
「それは、ないよ」
「あんまり気になるなら、晃ちゃんに聞いてみたらどう? 我慢してるとよくないのよ。夫婦になるなら遠慮したり、溜め込んじゃダメ」
 お母さんの言葉に、黙って頷いた。

 嬉しいはずの結婚が、不安で仕方がないのは自分に自信がないからなのかな。
 今までと比べたら、これが贅沢過ぎる悩みだってことはわかってる。
 こんな思い、晃ちゃんからのたったひとつのキスで、きっと全部消し飛ぶのに。




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