年上幼なじみの若奥様になりました

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4 突然のプロポーズ



 呼ばれてリビングへ行くと、母がテレビを指さした。
「これ、蒼恋の内定先の親会社じゃない?」
「え?」
 ニュースで実質倒産だという企業の報道が流れている。
「何もわざわざ大晦日に発表しなくてもねえ」
「まぁ、こういうのはどこも随分と前から検討しているもんだ。影響があるなら、そもそも新卒の募集なんぞかけないだろ」
 トイレから戻った父もコタツに座る。
「そう、だよね」
「何かあるなら、とっくに連絡来てるわよね。さぁさ、年越しそば食べちゃいましょ〜」
「お! 美味そうだなぁ!」
「でしょ、でしょ〜」
 スマホを手にしてSNSをチェックする。ちょうどそのニュースが回ってきたけれど、情報はテレビとそう大差はなかった。

 もうすぐ大学を卒業して、就職して、新しい環境できっぱり晃ちゃんのことは諦める。
 四年もかかってしまったけれど、ようやくそう思えるようになったんだもん。去年のお盆時期に私も晃ちゃんも忙しくて、会えなかったことがよかったのかな。せっかくその気になったんだから、今その環境が揺らぐなんてことはちょっと勘弁してほしい。
 初恋をこじらせると本当に大変だ。
 大学にいる間、何人かの人とイイ雰囲気になっても、結局気持ちは晃ちゃんに戻ってしまって、付き合うことすらできなかった。
 晃ちゃんは今、三十二歳になっている。いつ誰かと結婚の話が出たっておかしくはない。そのときには笑ってお祝いしてあげられるような、余裕のある女でいたいんだ。好きになってもらえなくても、嫌われたくはないから。
「美味しい〜! いっぱい食べていい?」
「もちろんよ。まだたくさんあるからね」
 いい香りのお蕎麦を一気にすする。
 晃ちゃんはいつものようにお正月、二日に私の家へくる。
 その前に、幼い頃からの夢も、晃ちゃんにもらったぬいぐるみも、ネックレスもピアスも、写真も全部、クローゼットの奥へ閉じ込めてしまおう。
 晃ちゃん、って呟くだけで、涙が出てしまうほど大好きだった。
 その気持ちを忘れはしないけれど、見えないところに一旦埋めて、そうして新しい私に生まれ変わるんだ。

+

 お正月二日。空は真っ青で、空気が澄んでいる。
 お昼には姉家族と晃ちゃんたちが、私の家に集合して食事を始めていた。私は晃ちゃんに普通に接することができるし、晃ちゃんもそれは変わらない。彼の傍にいるだけで胸がきゅっと痛くなるのは、癖のようなもの。きっとそれも近いうちになくなる、はず。
 それにしても晃ちゃん、どうしてスーツなんて着ているんだろう。いつもお正月はラフな恰好でここへくるのに。このあと仕事なのだろうか。
 二時を過ぎた頃、家のインターホンが鳴り、母が慌てて受け答えした。
「郵便屋さんだって。珍しいわね、お正月に。今行きますよー」
「梨乃(りの)もいくー」
 お母さんのあとを、姪っ子が追いかける。開いたリビングのドアから冷気が入り込んだ。
「何だ、正月早々。二日は休みじゃないのか」
「急ぎ扱いの書留は届きますね」
 お父さんに晃ちゃんが返事をする。何だろう、と皆で顔を見合わせていると、お母さんと梨乃がリビングへ戻ってきた。
「蒼恋に、書留……」
 お母さんの表情を見て嫌な予感がする。
「誰から?」
「就職先の会社、だと思うんだけど」
 私は受け取った封筒を、その場で開けてしまった。だってまさか、そんなものが入っているとは思いもしなかったから。
「内定、取り消し……だって」
 大晦日にテレビで放送されていた内容や、それに伴う影響で今後の会社運営の見通しが立たないこと等々が書かれていた。
 漫画によくあるがーん、ってこういう音? 衝撃的過ぎて、そんなことくらいしか思いつかない。
「どういうことだ? 見せてみなさい」
 老眼鏡をかけたお父さんは、私の手から封筒ごと書類を奪った。姉がお父さんの後ろからそれを覗き込む。
「ひどい話だよねえ。だったら最初からとらなきゃいいのに」
「蒼恋……」
 同情の声と、ため息が胸に刺さる。
「あ、ええと、大丈夫だから、は、はは……。ちょっと部屋にいる、ね」
 皆の前でこんなの最悪。恥ずかしくて笑うしかないよ。私ってば、晃ちゃんの前だといつもこうじゃない? カッコ悪いところばかり見られている気がする。
 ずきずきと痛む頭を抱え、私は皆に背を向けて歩き出した。平静を装っているつもりでも足が震えてる。早くこの場を去りたい……!
「蒼恋」
 私を呼んだのは晃ちゃんの声だった。仕方なく足を止めて、ゆっくり振り向く。
「何……?」
「彼氏できたか」
「なっ、何で今そんなこと聞くの!?」
 かっと頭に血が上り、思わず大声を上げてしまった。
「今だから聞くんだよ。大学入って四年間、彼氏はできたのか」
「ひどいよ、晃ちゃん……。そんなこと聞かなくたってわかってるでしょ……!? どうしてこんな最悪なとき、に、っ」
 ぼろっと涙が零れてしまった。皆が見ていて恥ずかしいのに、勝手にぽろぽろと零れてくる。
「なんでできなかったんだ」
 真剣な顔で晃ちゃんは私に聞き続ける。これって、どんな拷問? もうやめてよ。
「なんで彼氏ができなかったのか、俺に教えてほしい」
 立ち上がった晃ちゃんが、私の顔を真剣に見つめていた。
「な、なんで、って」
「蒼恋、言いなよ」
 傍にいたお姉ちゃんが、私の肩に触れた。
 今さらどうしてそんなこと言わせようとするの? 長い長い一方通行の思いから、ようやく別の道へ行こうと決めたのに。晃ちゃんのこと、ただのお隣のお兄ちゃんで、歳の離れた幼なじみだって……
「お姉ちゃんまで、どうして、意地悪言うの?」
 昨日ぬいぐるみも、ネックレスも、写真も片付けたんだよ、私。なのに。
「いいから言っちゃいなさい、蒼恋。ほら!」
 背中を叩かれた勢いに、胸の奥底に溜め込んでいた私の言葉が溢れ出す。
「あ、晃ちゃんのこと、諦めきれなかったからだよ……! ずっと好きで、だから、できなかったの」
 私へ勢いよく近づいた晃ちゃんが、私の腕を掴んだ。痛い、と思ったそのとき。
「蒼恋、結婚しよう」
「え……?」
「おじさん、俺に蒼恋をください」
 隣に立つ晃ちゃんが、お父さんに向き直る。
「俺が蒼恋を、一生かけて幸せにします」
 その場がしんとした。
 私だって何を言われたのか、何が起きたのか、わからない。
 私の口は言葉を失って、体は自由にならないくらいに硬直している。ただ、心臓だけがその意味を理解しているかのように、ドキドキと大きな音を立てていた。
「ど、どういうことだ……!? 晃ちゃん、俺に内緒で蒼恋と付き合ってたのか、え!?」
 沈黙を破ったのはお父さんだった。
「いえ、付き合ってはいません」
「だったら結婚というのは、いきなり何なんだ! まさか付き合ってもいないのにデキたのか!?」
「そんなこと晃ちゃんに限ってあるわけないでしょ。お父さん、落ち着いてよ」
「友里恵はちょっと黙ってなさい」
「晃弘、どういうことなのかきちんと説明しなさい。落合さんに失礼すぎるだろう」
 晃ちゃんのお父さんまでもが立ち上がっている。混乱していた私は、どうにか声を出した。
「お父さん、違うの。晃ちゃんのお父さんも聞いて」
 お父さんたちと、晃ちゃんの顔を交互に見る。
「私、晃ちゃんに告白してフラれてたの、ずっと。なのにどうして晃ちゃん、そんなこと言うの? 内定取り消されたからって可哀想がって同情したの? そういうのやめて、よ……」
「そういうんじゃないよ」
 晃ちゃんの落ち着いた声が、私をさらに苛立たせた。
「嘘言わないで」
「嘘じゃないから聞いてくれ。おじさんも、お願いします」
 晃ちゃんが頭を下げる。と同時に、お母さんの冷静な声が響き渡った。
「とりあえず皆、座ったらどう?」

 リビングの座卓周りに皆座って、晃ちゃんの言葉を待つ。彼は私の隣に正座した。
「蒼恋に告白された俺は、まだ高校生だった彼女の気持ちを受け入れることはできませんでした」
「当然だ!」
 お父さんが声を荒げる。
「落合さん、すみません」
「え、いやいや、なんだほれ、そのう別に野田さんが悪いんじゃないしなぁ」
 晃ちゃんのお父さんが頭を下げると、私のお父さんが狼狽えた。傍にいた梨乃がお父さんの顔を覗き込む。
「おじいちゃんこわい」
「え……梨乃ちゃん、おじいちゃんは怖くありませんよ〜」
「お父さん、今は黙って聞きましょ。晃ちゃん、続きをどうぞ」
 孫に対する豹変ぶりの隙を突いて、お母さんが再び場を取り仕切った。
「俺は名古屋に行くことが決まっていたし、何より蒼恋にはもっと身近な、彼女に歳の近い男がいいに決まっているんだと思っていました。もちろん、大の大人が高校生と付き合うっていうのは許されることじゃありませんから」
 真剣な晃ちゃんの声に、お父さんが深く頷いた。
「でも俺は……正直言うと、蒼恋が俺に好意を寄せてくれるのは嬉しかった。この気持ちはなんだろうと戸惑っていました。それで自分の気持ちをしっかり確認するために、この四年間、仕事だけに打ち込みました」
「女は作らなかったということだな?」
「そうです。名古屋に行く前も、しばらくいませんでしたが……とにかくそう決めてたんで」
 晃ちゃんは、ふうと息を吐いて背筋を伸ばした。
「こちらへ戻るたびに、蒼恋に対する気持ちは固まっていきました。それでも、もし蒼恋に特別な人ができていれば、それは仕方ないと思っていたんです。ですが、蒼恋がずっと俺のことを思って誰とも付き合わなかったというなら話は別です。俺に責任を取らせてください」
 晃ちゃんが私の手を取る。優しく握るその感触は、ずっとずっと知っていたもの。大きくて温かくて、私の心まで包んでしまう彼の手。
「今日は最初からそのつもりで来ていました。もちろん、蒼恋の気持ちが優先ですが」
 そのつもりでスーツを着てきたの……? 私のために?
「どうなんだ、蒼恋」
 お父さんが私に問いかける。
 もしかして私、本当はまだ目が覚めていないのだろうか。晃ちゃんを好き過ぎて、せめて夢の中では諦めたくないと思う私のーー
「蒼恋」
「ど、どうってそんなの……決まってる」
 夢ならどうか覚めないで、なんてどこかで聞いたセリフに縋ってみる。
「私の、小さい頃からの、夢は、あ、晃ちゃんの、お嫁さんだったん、だも、ん……!」
 わぁと泣いてしまった。
 多分、梨乃がこっちを見てびっくりしてる。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、晃ちゃんのお父さんだって、きっと。

 そして何より私が一番驚いている。だって信じられないよ、こんなこと。夢じゃないなんて……本当なの?




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