足首の痛みも治まり、吉田くんへの思いを胸の奥に閉じ込めて、何もない振りをしながら気がつけば、もう十月に入ろうとしていた。
「愛美おめでと!」
「……ありがと」
私と絵梨の言葉に、愛美は嬉しそうに笑った。
「あとは、栞だね」
絵梨が私の方を見る。
愛美に彼ができた。同じクラスの男の子で、すごく優しくて、愛美に告白してからずっと返事を待っててくれたんだよね。
「いいよ、あたしは。二人が幸せそうだから、何か満足してるし」
ほんとに、自分の事はまるでそんな気にはなれなかった。
「栞、好きな人もいないの?」
愛美の言葉に目を逸らす。
「いないよ」
「即答するところが怪しい」
逸らした視線の先から絵梨が覗き込む。
「な、何にも怪しくなんかないよ」
今日は中庭の芝生になっている所で、三人でお弁当を広げて食べていた。まだ日差しが強い日もあるけど、時折吹く風はもう随分涼しくて、秋の入り口に入り込んでいる。中庭には、蕾をつけた秋桜が揺れていた。
「ね、吉田くんてさ、栞の何?」
突然、吉田くんの話題を愛美が振ってきた。
「……何、って何、突然」
「友達?」
「友達だよ。それ以外に何があるの?」
「ふーん。そっか。そうだよね」
「そうだよ」
何、どうしたの急に。持っていたおにぎりに力が入って、少しだけ潰れてしまった。
「じゃあ吉田くんに彼女ができても、喜べるよね? 関係ないか。ただの友達だし」
「え、吉田くん彼女できたの?!」
いきなり胸がズキンとした。
「……」
愛美は黙ってお弁当を食べている。
え……どうしよう。ほんとに? 全然知らなかった。でも当たり前だよ、彼女ができないわけがない。誰だろう。私が知ってる人?
「……ね、ほんとに?」
「気になる?」
「それは、気になるよ」
「何焦ってるの、栞」
「べ、別に焦ってなんかないよ、ただ」
愛美がお箸を止めて、私の顔を覗きこんだ。
「ただ……何?」
「え、ただ……知りたいなって」
「いいじゃん、別に知らなくても。関係ないんでしょ?」
またお弁当を食べ始める愛美に、何も言えなくなってしまった。
「ね、相沢くんにも彼女できたって知ってた?」
今度は絵梨が私に声を掛ける。
「そうなの?」
「誰か知りたい?」
「え、別にいいよ。だいたいわかるし」
「まだ好きなんでしょ?」
「ううん。もう……違うよ。友達としては好きだけど」
相沢くんの事は大丈夫。っていうか、彼女ってきっと杉村さんだし。
それよりも、まだ胸に引っかかってる。おにぎり持ったままで、全然食べられないよ。
どうにかして話題を戻そうとしていた私がいた。二人ともお弁当を食べ終わったみたい。もう聞いてもいいかな。
「ね、あの……、それで誰なの? 吉田くんの彼女」
「何でそんなに知りたいの?」
愛美がお弁当箱をランチバッグに入れながら聞く。
「……え、何でって。友達だし」
「だって相沢くんのは聞かなかったじゃん。友達なのに。だったら吉田くんのだって別にいいんじゃないの?」
その通りなんだけど、けど……。
「何でそんなに意地悪言うの?! 教えてくれたっていいのに……!」
何これ、何で泣きそうになってるの私。これじゃ小さい子と一緒だよ。
「だって知らないし、嘘だもん」
「!!」
「吉田くんの事も、相沢くんの事もぜーんぶ嘘だよ」
愛美と絵梨がにっこり笑った。
「今良かったって思った?」
「え……」
「ホッとした?」
「……」
「栞、素直になりなよ」
「栞に自覚が出来たら、教えて? 何でも聞くから」
二人が優しく私に微笑む。
「ちょっと売店行ってくるから待っててね」
「あたし、手洗いたい」
茫然としている私に、良く考えなねと言って、二人は私を置いて行ってしまった。
「……」
上を見上げると、晴れた空にいわし雲が綺麗に並んでる。
「素直になんかならない」
手にしていたおにぎりを口に入れながら呟く。
「ぜーったい、ならない」
もぐもぐと口に入れて、食べながらまた呟く。
「しょうがないじゃん……」
もう一回空を見る。何故かいわし雲が滲んできた。
「なりたくても、なっちゃいけないんだから」
おにぎりと一緒に、溢れ出しそうな気持ちを喉の奥に押し込む。
目をごしごし擦って、もう一回空を見る。
好きとか、友達だからとか、そういうの全然関係なしに、また吉田くんと一緒に屋上に行きたい。
あの時みたいに、何も考えずに……また一緒に空を眺められたらいいのに。
Copyright(c) 2009 nanoha all rights reserved.