「涼、あの、おはよ」
栞が俺の机に来て言った。
「……おはよ」
「ちょっと、いい?」
「何?」
「話が、あるの」
……振られるのかな、俺。面倒くさい奴だって、やっぱり思うよな。
栞の後をついて屋上の踊り場まで歩く。栞の髪が日に当たって、茶色に光ってる……。こんなに好きなのに、逢いたかったのに、ここから逃げ出したい俺がいる。いつもの場所に着いた時、予鈴が鳴った。
「メールとかじゃなくて、顔見てきちんと言いたかったから」
栞が俺を振り向いた。
「……」
「あの、桜井くんのことなんだけど」
「……」
「涼が言ったように、中学の時付き合ってたの、少しだけ」
「……」
「はっきり言わなくて、ごめんなさい。でも別にもう何でもないの。今はただの友達だし」
「……もっと早く聞きたかったよ、俺。栞の口から」
俺の言葉に栞が顔を上げた。
「文化祭で桜井に会った時、言ってくれればよかったじゃん」
「言おうとしたよ? けど、」
「あいつ栞に俺と付き合うなって、泣かされるって言ってたの覚えてる?」
「……うん」
「何でただの友達が、そんな事言うんだよ」
あいつはまだ栞が好きだって言ってた。さっきの桜井の言葉が頭の中に響く。泣いたって、何でなんだよ。それをあいつが知ってるって事は二人で会ってたのか?
「ただの友達だよ? どうしてそんなこと言うの?」
「……桜井が、いろいろ言ってきたんだよ」
「多分、桜井くんはあたしの事心配して」
「何で、あいつのこと庇うんだよ?!」
「庇ってるわけじゃないよ。桜井くんは、」
何度もあいつの名前を口にする栞の声を、もう聞きたくなくて彼女から目を逸らした。
「もういいよ。俺、栞の口からあいつの名前聞きたくないんだ」
「……」
「そうやって必死になって庇ってんのとか、見たくないし、聞きたくもない」
「涼、違うよ。聞いて?」
「……栞は、俺の事そんなに好きじゃないんだよ」
妙に、自分の声も遠くに聞こえる。
「え?」
「いつも俺から連絡して、誘って……いつも俺ばっかり心配して一緒にいたいって思って、俺はこんなに好きなのに、栞は全然わかってないんだよ……!」
「涼」
「俺、無理だからそういうの」
「え、無理って……」
もうこれ以上話してたら、もっとひどいこと栞に言うかもしれない。そう思ったら、栞を置いて駆け出していた。
「涼、待って!」
教室に戻りたくなくて、階段を駆け下りて中庭に飛び出した。
頭の中がぐちゃぐちゃで、今言った事だって本当はあんまりよく覚えてない。ただ栞の声が耳から離れなかった。待ってって言われたのに、待てなかった。ひどい事たくさん言ってしまった。栞は謝ってくれたのに、俺、全然受け入れられなかった。今まで思ってた事全部、とうとう口に出して言ってしまった。女々しくて情けないこと言いたくなかったのに。こんな姿、絶対見せなくなかったのに。
何が大事にする、だよ。
何が絶対大丈夫、だよ。
俺ほんと馬鹿だ。何で栞の言う事、冷静に聞けなかったんだ。頭ではわかってるのに栞の声を聞いた途端、あいつの名前を栞が口にした途端、我慢できなかったんだ。……栞を、傷つけてしまった。
本鈴が鳴った。のろのろと歩き、その場を離れる。こんなに教室に行きたくないの初めてだ。
教室に入ると栞は席に着いていた。またさっきと同じ様に、その背中を見て俺の胸がずきんと痛んだ。今度は目の前の椅子をわざと大きな音をさせて引いて、座る。
けど、栞は振り向かなかった。
授業が始まっても、
休み時間になっても、
栞は振り向かなかった。
一日経っても、あれから一度も……栞は振り向いてくれなかった。
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