昼くらいから陽が射して来て、窓際はポカポカと暖かくなった。
午後の授業が始まり隣の席を見ると、栞の襟元には俺が着けてあげたネクタイが巻かれ、胸元で揺れていた。
……おい、俺のネクタイ。はっきり言って本当はそのポジション変わって欲しいくらいなんだからな。感謝しろよ、マジで。夏は金魚が羨ましいと思ってたけど、もう霞んだな。今は完全にネクタイだよ、ネクタイ。
教科書とノートを開いてるけど、授業の内容なんて全然頭に入って来なかった。
さっき、階段の踊り場で栞とネクタイを交換した時、あれは絶対俺と同じだった。
俺の額に、その……キスしたよな? 栞。思わず右手で額を押さえる。でも、勘違いだったら恥ずかしすぎるし……。ノートに書いて聞くって言ったって、やっぱりいきなりはどうだろう。
キスした? って書いて、ううん。なんて言われたらどうしらいいんだ……! 何言ってんのこの人、的な目で栞に見られたら本当に立ち直れない。
しかも、まさか私のおでこに勝手にキスしたの? 何も言わなかったじゃない、目逸らして何それやだ! とか思われたら、もうおしまいだよな。
まずい、授業中なのにヘコんできた。額に手を当てたまま溜息を吐く。
でも、栞もキスしてくれてたら本当に嬉しい。確かめたいんだ、どうしても。してくれてたら、そしたら俺、少しだけさ……。
「次……吉田」
「……」
「吉田」
「ね、涼」
栞が俺の制服の袖を引っ張る。何だよ、授業中なのに可愛いなあ。
「ん、何?」
思いっきり笑顔で答えてその手を取り、そっと握る。
「……だから、先生」
「え」
「吉田、お前いい度胸してるな」
黒板の方から、苛立った先生の声が聞こえた。
「え、俺?」
「吉田っつったら、お前以外いないだろうが!」
皆がどっと笑った。やべ、全然聞いてなかった。
「デレデレしてるヒマがあったら、後でコレ運んどけ」
教卓の上にある提出用のノートがクラス全員分と、プリントと、分厚い教師用の教材……十冊以上あるだろそれ。
「げ、マジかよ……!」
思いっきり面倒な顔をして椅子の背もたれに寄りかかると、栞が片手を口に当ててこそっと言った。
「あたしも行くね」
あれ、でも確か今日は五時限で授業は終わりで、その後栞は委員会がある筈だ。すると栞がノートに何かを書いて、俺に見せてくれた。
『委員会は絵梨が出てくれるの。今日、涼と一緒に帰りたいんだけど、大丈夫?』
だ、大丈夫に決まってる。一緒に帰りたいだなんて滅多に聞かない栞の言葉に、急激に嬉しさが湧いて顔がにやけてしまう。
『大丈夫。一緒に帰ろう』
俺が返事を書くと、栞は髪を耳に掛けながら嬉しそうに笑って俺を見た。やばい、何だよその可愛い仕草は。授業中に俺をどうしたいんだ、栞は。
よし、この勢いで俺も自分のノートに書こう。『キスした?』たった4文字だ。いや5文字か。ん? おでこにって書いた方がいいな。『おでこにキスした?』9文字か。まあいい。
『おでこに』
そこまで書いて、シャーペンが止まる。何か、こうして文字にしてみるとかなり恥ずかしくないか、コレ? 一旦消しゴムで消し、もう一度書く。
『おでこ』
く……たった9文字なのに、何で書けないんだ。キスって書くのがこんなに恥ずかしいもんだと思わなかった。
大きな溜息を吐き、もう一度消しゴムで消した。うっすら、おでこって文字が見える。
だいたい俺、歳いくつだよ。この前誕生日来たじゃんかよ。十七にもなって、何馬鹿みたいに恥ずかしがってんだよ……!
別に女の子とキスすんのだって全然初めてじゃないし。栞とはまだだけど。
チラリと栞の横顔を見る。
さっき俺が触れた、彼女の前髪と額。そのまま下に目線を移し、彼女の唇を見た。いつ、キスできるんだろ。いや、まだいい。俺は栞のこと、うんと大事にするって決めてるんだ。
そのままさらに目線を下に移し、俺のネクタイが揺れている胸元に目線を移す。……いいな、ネクタイ。
「ん? 何?」
うおお! やばい栞がこっち見てた。
「う、ううん。何でも」
別にネクタイ見てただけだからな、俺は! 落としそうになったシャーペンを慌てて掴む。
「変な涼」
栞がクスッと笑った。
俯いて下を見ると、栞が付けてくれた彼女のネクタイが俺の胸元にある。ネクタイはこんなに傍にいるのに、たまに栞を遠くに感じてしまうことがあった。
さっき昼休みに思ってた、俺ばっかりがこうして栞を好きなんじゃないかってこと。付き合ってるのに、まだ……自信無いんだ俺。
でも、もしも栞が俺のおでこにキスしてくれてたとしたら、少しだけその不安が消えそうな気がする。俺と同じ様な事を思ってしてくれてたとしたら、少しだけ自信が持てそうな気がするんだ。だから聞きたい。聞いて確かめたい。
……今ここで焦る事ないよな。
せっかく一緒に帰れることになったんだから、やっぱり直接栞に帰り道で聞いてみよう。
窓の外の葉が落ちた木々を眺め、胸元にある栞のネクタイを弄びながら、放課後を待ちわびた。
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