保健室に彼女を迎えに行き、昇降口を出た所で待っていてもらう。
「ごめんね。吉田くんも怪我してるのに」
「いや、全然いいよ。取りに行くからちょっと待ってて」
自転車置き場にあった高野の自転車には張り紙がしてあり、すぐにわかった。
――俺の愛車はこれだ! 頑張れよ、涼! 上手くいったら何かおごってくれ。
「……」
無言でびりっと剥がし、丸めて鞄に突っ込む。マジで一人で取りに来て良かった。上手くいったら、とかお前こんなの栞ちゃんに見られたらどうすんだよ! しかも無駄に字でかいし。そのテンションどうにかしてくれ。
学校からの帰り道はいろいろなルートがある。道路際、川沿いの土手、住宅街……。車が通らなくて、平地って考えると少し遠回りだけど土手がいいか。俺は土手の道を選んで彼女を後ろに乗せて、自転車を走らせた。
背中一面に緊張が走ってるよ。後ろに彼女がいるってだけで。女の子と自転車の二人乗りは初めてだ。電車通学だし、家の傍は坂が多いから自転車自体滅多に乗らないんだよな。
振動が伝わらないように、気をつけて走る。でもちょっとガタガタする所もあって、自転車が揺れた。
「吉田くん」
「ごめん、揺れた?」
「ううん。大丈夫、なんだけど……少しだけ掴まってもいい?」
「……い、いいよ、もちろん」
彼女は俺のワイシャツの腰の辺りを、片手で小さく摘んだ。途端、頭がかーっとなる。頭だけじゃないな、顔も、首も。女の子に触られるのには慣れてる筈なのに、彼女をほんの少し感じるだけで、どうしてこうも過剰に反応するんだろう。
気づかれないように小さく深呼吸し、少しだけ冷静さを引っ張り込む。彼女は俺に触れていたけど、でもそんな小さく摘むだけじゃ、掴まってられないよな。遠慮してるんだろうけど。
「もっと」
「え?」
「もっとちゃんと掴まっていいよ」
「……うん」
栞ちゃんは今度は両手を伸ばして俺の腰にそっと掴まった。触っているのかわからないくらいだった。そこで大きくガタンと振動が加わる。咄嗟に彼女の手を掴んで、もっとしっかり自分に掴まらせるようにした。
「ごめん、でも危ないから」
「……うん」
彼女の手に触れてしまったし、ちょっと強引だったかと思うと、もう心臓がどうにかなりそうだった。けど怪我をさせてしまうよりよっぽどいい。言い訳するように自分に言い聞かせ、彼女の手を離しもう一度しっかりハンドルを握った。
彼女の手から俺のワイシャツに熱が伝わる。近付いたから、彼女の頬が時折背中に当たる。俺の心臓の音聞こえてるよな、きっと。
いつも離れた所から見ていた彼女がこんなに傍にいる。さっきの保健室でもそうだったけど。そう思っただけで、頭も身体も混乱してるみたいに上手く動かない。しっかりしないと。転ぶなよ、涼。
「吉田くん」
「何?」
「重くない?」
「大丈夫だよ」
「吉田くん、手痛くない?」
「もう全然何ともないよ」
俺に気使ってるのかな。全然平気なのに。こうして後ろにいてくれるだけで、嬉しくて堪らないのに。どうしたらわかってもらえるんだろう。
「吉田くん」
「うん」
「……」
俺の名前を呼んだ後、彼女は暫く沈黙した。
「吉田くん……しいね」
「え? 何?」
「……何でもない」
彼女の俺を掴む手に、ほんの少しだけさっきより力が加わった。何て言ったんだろう。聞こえなかった。それに、気のせいかもしれないけど、何だか声が……。
彼女の声が、涙声に聞こえた。
振り向きたいけど、危ないし振り向けない。もし泣いているとしたらどうしたんだろう。俺何かやっちゃったかな。もしかして足、痛いのか? それとも。少しだけ不安が押し寄せた。
……さっき保健室に来たあいつの事じゃ、ないよな? 急に胸が苦しくなる。聞きたい。聞いて確かめたい。けど、やっぱり聞くのが怖い。
「吉田くん、いつもこの道通るの?」
暫くして話しかけてきた彼女は、元の元気な声に戻っていた。
「あ、うん。結構ここがメイン」
「あたしもだよ。気持ちいいよねここ」
「……うん。朝も帰りも、気持ちいい」
彼女に言われてやっと周りの景色が目に入る。トンボが飛んでいた。秋、って言ったらまだまだ早いけど、でも夕暮れは少しだけ秋に近い。川からの風が、ほてった頬を冷ましてくれる。
駅までの距離がもっとあったらいいのに。ハンドルを握る手に力がこもる。このまま何も言わずに彼女を連れ去ってしまいたい。叶わないことだって……わかってるけどさ。
背中に彼女を感じながら秋の微かな気配を吸い込んで、さっきと同じ様に、そっと深呼吸をした。
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