相沢が彼女に笑いかけたあの日から、何日かが過ぎたけれど、別に二人の仲は進展していないようだった。二人が一緒にいる所も見なかったし、二人が付き合っている、というような話題もどこからも聞かなかった。一先ず安心して自分を保ちつつ、何とか過ごしている。
このくそ暑いのに、今日の体育はバスケだ。体育館は一年が使ってる為、俺達はここ、中庭でバスケをやるはめになっていた。
「……あっちーな」
「やってらんねーっつうの」
高野と二人ぶつくさ文句を言いながら、バスケットボールを投げ合う。一通り練習が済んで、試合が始まる。俺のチームの相手は……相沢がいるチームだ。
暑くてやる気なかったけどな、俄然湧いてきたぜ戦いの血が! ぜーったい絶対勝ってやる! 今日は女子も外で体育だ。何気に皆見てる筈だ。きっと栞ちゃんも。
ピーッと笛が鳴り、試合が始まった。あいつ背が高いからな、結構有利だ。俺だって変らない。何度かあいつのボールを奪ってやった。うおっし! 見てるか、栞ちゃん! ゴールも決めてやったぞ! よしよしよし! このまま行けば俺たちのチームが勝ちそうだ。
「涼!」
「こっち!」
……その時衝撃が走った。やべ、倒れる! 咄嗟に身体を捻ったけど間に合わず、その場ですっころんだ。
「いって……!」
「悪い、平気?」
覗き込んできたのは相沢だった。ぶつかってきたのお前かよ。
「ああ、大丈夫」
「腕……」
「ん?」
相沢が俺の腕を掴んだ。
「血、結構出てる」
マジかよ。見ると肘の方が擦りむけてべろんとしていた。
「洗ってくるわ」
あーあかっこ悪い。よりによって相手が相沢だとは。
「先生ー保健室行ってきます」
声をかけて、とりあえず水道に向かう。
肘を上げてそこを見ようとすると、手首の方まで血が流れてきた。外の水道で血を流す。何気に女子の方を見ると、バレーボールをしていた。でも栞ちゃんの姿が無い。見落としたかな? いや、そんな筈ないんだけど。とにかく保健室に行こう。
血を押さえるものもないから、結局だらだら血が流れたまま歩く。
校舎に入り、ひんやりした廊下を歩き、保健室の扉に手を伸ばしガラリと開けた。
「失礼しまーす」
保健室に入ると消毒液のツンとした臭いが鼻を突く。と同時に俺は心臓が飛び出しそうになった。ガラス戸の棚の前に……栞ちゃんがいた!
「あ、吉田くんどうしたの?」
「え、ちょ、ちょっと怪我しちゃって」
動揺しながら肘を見せると、彼女が大きな声を出した。
「よ、吉田くん! 大丈夫? ちょっと待って!」
慌てて消毒液と脱脂綿を取り出してくれる。
「そこ、座って」
「ありがとう。でも自分で出来るからいいよ」
「駄目だよ! 座って」
彼女の勢いに素直に座る。
「先生は?」
「午後から研修なんだって。夕方には戻るみたいだけど。水で洗った?」
「あ、うん」
「ちょっと沁みるよ?」
血を拭き取り、消毒液を丁寧につけてくれる。少しの刺激はあったけど、そんな事よりも近すぎる彼女にドキドキしっぱなしで、痛みも何もあったもんじゃなかった。相沢に初めて感謝するよ、俺。
ガーゼも貼ってくれた。ワイシャツのボタンを付けてくれた時の事を思い出す。まだ彼女への思いに気がつかなかった頃の。
そういえば、何で彼女はここにいるんだろ?
「ありがとう。あの……、し、」
「ん?」
自分で言っといて栞ちゃんって呼ぶのに躊躇う。
「栞ちゃん、は、どうしてここに?」
「あたしも怪我したの。たいした事ないんだけど」
「え!」
「大丈夫。足、少し捻っただけなんだ。湿布を探してたんだけど見当たらなくて」
「ごめん! 俺、こんなことさせて」
馬鹿だな俺、ちょっと考えればわかるだろ。舞い上がってて自分の事しか考えてなかった。
「え、全然大丈夫だってば」
「ちょっと待ってて。ここ座って」
俺は立ち上がって、湿布を探した。棚にはない。
「ないでしょ? だからもういいや」
「いや、ここかも」
小さな冷蔵庫がある。開けると、あった。冷やしてあった。
「後は……ネット、ないな」
「包帯あるかな?」
「あ、それならある」
棚から包帯を取り出し、湿布とそれを栞ちゃんに渡した。
「ありがとう。助かっちゃった」
にっこり笑って受け取る笑顔に、何だか照れてしまう。こんな些細な事なのに。
彼女は自分で靴下を脱いだ足首に、湿布を貼った。けど、やっぱり包帯は巻きにくそうだった。どうしよう。いやかな。触られるの。だけど……。
「あのさ、俺が巻くよ」
「え?」
「……貸して」
彼女の手から包帯を受け取る。
なるべく意識しないように、彼女の顔を見ないで包帯を巻いていく。彼女に痛みが伝わらないように、ゆっくり優しく、冷静に冷静に……。少しでも集中力を欠いたら、何もできなくなる。自分の心臓の音に気を取られたら手も震えだす筈だ。気がつくなよ、涼。
彼女も何も言わない。
保健室は……静かだった。
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