カルボナーラとフレンチトースト 番外編
(2) Dランチとデザート
会社の最寄駅の階段を下りていると、後ろから靴音が近付いて来た。
「おはよ、優菜」
「あ、秋子おはよう」
仲良しの同期の秋子は、私を見ると顔を近づけてこそっと言った。
「ちょっと金曜日どうだったの? さっさと二人で帰っちゃってさ」
「どうって……送ってもらったよ」
「それだけ?」
「うん。それより秋子は? ほら、田中さん」
私も周りを気にしながら、声を小さくして秋子に話しかける。
駅を出ると、スーツ姿のサラリーマンやOLがそれぞれの会社に向かって早足で歩いている。残暑の厳しい日差しが、朝からビルの間を照りつけていた。
「ライバル多いからね。もちろん何もなかったし。また頑張るけど」
田中さんは背も高くてガッチリしてて体育会系。明るくて誰にでも声をかけているから、女の子達にも人気の先輩なんだよね。
「でもさ、皆川さんも結構いいよね。オシャレだし。もうちょっと背があればなあ」
秋子は170くらいあって、スタイルも良くてカッコイイ。今日のスーツも決まってる。何も言わない私が怒ったと勘違いしたのか、彼女が慌てて言った。
「冗談、冗談。優菜とだったらちょうどいいんじゃない? 上手くいくといいね」
ポンポンと私の肩を叩く。
「え……うん。まだよくわからないけど」
仕事も丁寧に教えてくれて優しくて、見た目も私好みの皆川さんのこと、いいなってずっと気にはなっていたけど、まだ好きとかは、はっきりしない。でも、この前送ってもらった時の嬉しくてたまらなくて胸が一杯になった気持ちを、ちゃんと確かめてみたいって思うんだ。
社内の廊下の突き当たりは広めのフロアになっていて、お金を入れなくてもいい自販機とソファや椅子が並んでいる。
仕事の前、いつもそこには彼がいるのを知っていたから、廊下へ出てそっちの方をこっそり見つめる。……い、いた。私って何て目がいいんだろう。随分離れているけど、すぐにわかる。何かドキドキしてきた。
自販機の傍で紙コップを持ち、大きな窓の外を眺めている彼にそっと近付く。
「おはようございます」
私の声に振り向いた彼の手にしているコーヒーのいい香りが、鼻先をくすぐった。
「おはよう」
「金曜日はありがとうございました。あの、電車大丈夫でした?」
「ギリセーフ」
そう言って彼が笑った。
「すみません」
「全然。あ、そうだDVD持ってきたよ」
「わ、ありがとうございます。嬉しい!」
ちゃんと覚えててくれたんだ。私も笑顔で答えると、彼はコーヒーを口にしてから言った。
「今日の昼、誰かと約束してる?」
「いえ、特には」
「じゃあ一緒しない? その時渡すよ」
え、うそ! 嘘嘘ほんと? ほんとに? その場で飛び上がりそうになるのを抑えて、代わりに後ろで組んだ両手をすごい力で握り締めた。これなら見えないよね?
「はい。よろしくお願いします」
「仕事区切りついたら、声かけてくれる?」
「わかりました」
初めて一緒にランチ……! ラ、ランチよ、ランチ! 何年もやってないけど、スカートでヒール履いてるけど、スキップしてデスクに戻りたい気分! 今なら苦手だった幅跳びも、走り高飛びも記録更新できちゃいそう。
こんなお店あったんだ。
約束通り、お昼に彼と一緒に会社を出た。路地を入って5分程の二階にあるイタリアンのお店。ランチもお手頃な値段なのに、静かで落ち着いていて雰囲気もいい感じ。同じ会社の人もあまり見かけない。
「決まった?」
「はい」
皆川さんが呼ぶと、感じのいい店員さんがやってきた。
「お決まりですか?」
聞かれてすぐに、真っ白いテーブルクロスの上に置かれている、種類の豊富なランチメニューへ目を向ける。
「えーと、これ」
「これで」
二人で同時に同じものを指差した後、お互いに顔を見合わせる。
「食後のデザートのフレーバーは、いかがなさいますか?」
「ショコラで」
「ショコラで」
また同じものを同時に言ったことに驚いて、お互いに可笑しくて吹き出してしまった。こんなに種類があるのにデザートまで同じ。店員さんも一緒に笑って、その場を去って行く。
彼が先に口を開いた。
「なんかさ、この前も思ったけど似てるね」
「……好きなもの、ですか?」
「そう。食べものも一緒とは思わなかった」
「私も」
他には何が好きなんだろう。好きな音楽、本、季節、好きな場所……。彼のことをもっと知りたいっていう気持ちに、もう答えが出てしまいそう。
暫くしてランチが運ばれて来た。美味しそうな彩りと香りに、急にお腹が空いてくる。
「俺今度は、工藤さんが頼みそうにないもの頼んでみようかな」
「じゃあ、その裏をかいてみます」
「うーん、それじゃ結局また同じの頼んじゃいそうだな」
「そうかも」
二人でクスクスと笑い、フォークを手に取る。彼が口にした「今度」の言葉がすごく嬉しい。
デザートが口の中で甘く広がった時、彼が言った。
「……あのさ」
「はい」
私に微笑む彼を見つめる。
「きっと工藤さん好きだろうなって思う映画があるんだけど、一緒に行く?」
「!」
彼の声と表情に胸がぎゅっと狭くなった。一瞬何を言われているのか上手く理解できなくて、頭の中で繰り返す。一緒に? 映画?
「無理だったらいいんだよ?」
「行きます!」
「おっと」
デザートスプーンを持っていた手が当たり、コーヒーが入っているカップを倒しそうになって、それを咄嗟に彼が支えてくれた。
「ご、ごめんなさい」
「良かったね、零れなくて」
「あの、行きます」
「うん。けど、いいの?」
「皆川さんが好きな映画だったら、私絶対好きだから」
「じゃあ行こう」
彼の言葉に頷いて小さく深呼吸しながら、朝思っていたことを確かめる。
コーヒーにお砂糖とミルクを入れてクルクルとかき回した後、始まったばかりの好きを、飲み込んだコーヒーと一緒に胸の中でゆっくり温めた。
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