カルボナーラとフレンチトースト
(7)失敗と涙の味
「今日、ほんとありがとう」
そう言って彼は立ち上がり、自分でコートを取って袖を通した。
ほんとに、帰っちゃうの? 彼の背中に聞きたいけど、口に出せない。
そっか……。やっぱり嫌われちゃったんだ。だってひとつもいいとこ無かったもんね。
全部、失敗した。
ハンガーの場所、隠したいナプキン、美味しくないパスタ、割っちゃったカップ、見せたくなかったクローゼット。ケーキだってお皿の上に綺麗に立っててはくれなかった。
自分がいけないんだ。今日だけ頑張ったって絶対にボロは出る。
「ごちそうさま。じゃ……おやすみ」
彰一さんは玄関のドアの前に立っても、まだ目を合わせてはくれなかった。もうここには来てくれない、そんな気がした。
「おやすみ、なさい」
扉を開ける彰一さんの背中に、ひとこと言うのが精一杯だった。
胸がまだどきんどきん言ってる。身体中が、痛い。何であんなに失敗しちゃったんだろう……。
茫然としたまま、彰一さんが出て行ったドアを見つめる。
靴を履き、鍵をかけようとドアノブに手を伸ばした時、遠ざかった筈の足音が近付き、扉を叩く音と同時に私の名前を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりドアを開けると、目の前に大好きな人が立っている。
「あのさ、やっぱりまだ一緒にいたいんだけど……いい?」
彰一さんが、私の顔を見て言った。あんまり見たことが無い、彼の焦ったような真剣な表情。私の気のせいか、それとも寒いのか、少しだけ彼の頬が赤く見える。
あの時に似てる。私のことを好きだって、初めて言ってくれた時の表情に。
ほら優菜、言わなきゃ。
『彰一さんの好きにすれば?』でもいいし、『しょうがないわね、いいわよ』それでもいい。
「……しょ」
「……」
「しょう……う、う……ふ、っく、ううっ」
いい女の言葉なんか一つも出なくて、代わりに涙がボロボロ零れた。
「優菜ちゃん?! ごめん、やっぱり帰るよ」
「っがうの! う……ちが」
彼の腕を掴んで引っ張った。
「……じゃあ、入るよ? いい?」
彼がもう一度玄関に入って、ドアを閉めた。
「どうしたの?」
優しい声に、ますます涙が溢れる。
「きっ、きらわれ、だっでおも、おっおっ、おっ」
もうこれじゃ大人の女どころか、近所の小さい子どもだよ。肩がひくひくして上手くしゃべれない。
「嫌われたと思ったの?」
「うっ、ん。うっうっ」
大きく頷く私の顔を彼が覗きこむ。
「なんで? なんで俺が嫌うの?」
「しっ……ぱ、い、しちゃっ、しっ」
嫌われて当然だよ。だって、何もかも上手くいかなかった。私が彰一さんだったら同じ様に呆れて、きっと出て行ったきり戻っては来ない。でも目の前の彰一さんからは、そんな言葉は届かなかった。
「……嫌いになるわけないよ。優菜ちゃんが頑張ってくれたの、全部わかってるから」
彼が私の肩をそっと抱く。温かくて優しい手の感触に、また涙が込み上げる。
「ほっんっんっ……と、にっ……」
「ほんとだよ。嬉しくてさ、すごく嬉しくて……だから帰ろうとしたんだ。でもごめん。不安にさせて」
「うっ……うう」
「ごめんごめん。本当にごめん。大丈夫だから、ね?」
そう言って彼は玄関に立ったまま私を胸に抱いて、泣き止むまで髪をずっと撫でていてくれた。
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