同じ朝が来る

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(12)崩された日常




 木下さんの傍へ行くと彼女は目の前に立ち、今度は嬉しそうに俺の顔を眺めた。その後も、俺のことを上から下まで見つめている。
 そして言った。

「寂しくなったり、つらくなったりしない?」
「え?」
 その表情とは全く反対の唐突な質問に、何て答えたらいいのかわからない。
「……私は、ずっとつらかったよ。寂しくなって、押しつぶされそうになってた。毎日」
 彼女は俯いた。
「倉田くん……手、出して?」
「手?」
「そう」
 俺が手を差し出すと、彼女は寒さで冷たくなった自分の手を合わせてきた。帰りの電車でその大きさを比べた、あの時のように。
「こんなに、大きかったんだっけ」
 顔を少しだけ傾けて、俺の手を離そうとはしない、いつもと違う雰囲気の彼女を見つめる。

 何だろう。目の前の木下さんは同じ筈なのに、何となく感じが違う。手を離して口を開こうとした時だった。
「ね、今から言うからよく聞いててね」
 彼女は顔を上げ、俺の目を見た。
「?」
「何も答えてくれなくていいの。返事もしないで」
 埃っぽい風が校庭から吹き、お互いの髪を一瞬散らしながら通り過ぎていく。
「ただ聞いてくれるだけでいいから。だから……目逸らさないでね」
「うん」
 目の前の彼女はほんの少しだけ息を吸い、その唇から言葉を発した。

「……私、好きだったの。倉田くんのことが」
「!」
 胸が痛み、また身体の奥が軋んで熱くなる。彼女の口から届いたその甘い言葉に、いけないと知りつつ、どうしようもなく縛られて動けない。
「ずっと言いたくても、言えなかったの。言いたくても、言っちゃいけなかったから」
 急に彼女の声が低くなり、大人びて聞こえた。
「もうひとつだけ、いい?」
「……」
「一度でいいから、抱き締めてくれる?」
「え……」
 彼女は俺を真剣な目で見ていた。手を組み唇を少し噛んでいる。どうしたんだろう。そんなこと、彼女が口にするなんて思ってもみなかった。
 俺だって木下さんが好きだ。何も考えずに彼女を抱き締めて好きだって言いたい。けど……彼女に伸ばそうとした手を握り締め、また無理に抑え込んだ。喉の奥が痛くなり、あと一息で何かを言ってしまいそうな時、彼女の寂しそうな声が届いた。

「……嘘。ごめんね、困らせて」
「……」
「受験前の大事な時期にごめんなさい。本当は今言うことじゃないんだけど、時間が無かったから」
「え?」
「やっと、言えた」
 揺らいだ瞳と少し歪ませた眉を見て、泣く? って思ったけど、くるりと俺に背を向け彼女は言った。
「聞いてくれて、本当にありがとう」
 そのまま彼女は俺を置いて校舎へと走り去る。

 どうすれば、いいんだ。
 まさか木下さんがこんな風に言ってくるなんて思わなかったんだ。今さら俺のこと……。
 さっき彼女が言った様に、俺だって今までずっと彼女に好きだとは言えなかった。言いたくても言えない、言ったらいけない、そう思ってたのは俺だけだった筈じゃない。彼女もここで、この場所で、俺と一緒にそう決めた。……決めたんだ。

 ――ずっとつらかったよ

 胸に刺さったその言葉を繰り返す。


 突然崩された日常に圧倒されて、ただその場にいつまでも立ち尽くし、冷たい風に吹かれていた。




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