「倉田くん」
学校の帰り、俺が降りる駅の改札を出た所で、後ろから声を掛けられた。
「あ……」
振り向くとそこには木下さんがいた。彼女の姿を見て動揺が隠せない。昼休みのこと、今だって思い出してたのに。
「あの、ちょっといい?」
「何?」
俺の言葉に、彼女は傍に来て言った。
「お昼休みは、本当にありがとう」
はっきりとした口調と真っ直ぐな目から、視線を逸らすことが出来ない。
「受験前で大変なのに、ごめんなさい。けど……私の一生のお願い、聞いて欲しいの」
昼休みと同じ様に俺を見上げ、彼女は真剣な面持ちで言った。
一生のお願い? 俺を好きだと言ったり、抱き締めて欲しい、とか……次々とそんな事を言う彼女に、戸惑いからか違和感すら覚えた。
バスターミナルに入ってくる車の音や、あちこちから流れてくるクリスマスソング、人の行き交う喧騒はいつの間にか消えて、目の前の彼女の言葉しか耳に入って来ない。
「三日間だけ、一緒にいてくれる?」
「一緒に?」
「メールだけじゃなくて、おしゃべりしたり、どこかで一緒にお茶したり……歩いたりしたいの」
彼女の縋るような声に、胸が詰まる。
「今日合わせて三日だけなの。それが終わったら元に戻るから」
「戻る?」
「こんな風に我侭言わない、元の私に戻るから」
「……?」
言っている意味がわからない。けど、その声と表情から必死な気持ちが伝わって来る。今まで見たことのない彼女の姿に、全てを許したくなってしまう。俺だって、許されるなら一緒にいたい。
「お願い。五分でも十分でもいいの。絶対バレないようにするし、誰にも言わないから。ほんの少し一緒にいてくれるだけでいい」
「大丈夫、いいよ。もうバイトも辞めたし、冬休みまでゼミもないから時間ある」
「ありがとう」
駅から五分程歩いた先にある、ファミレスに二人で入った。
別に悪いことをしているわけじゃない。ただ、話をするだけだ。そんな言い訳を心の中でしながら、いつものように周りに誰かいないか確認して見回す。矛盾した後ろめたさを感じながらも、彼女の傍にいられて嬉しい自分がいた。
席に着き飲み物を注文すると、彼女が先に口を開く。
「ね、この辺って大型のショッピングモールになるって知ってた?」
「……何年も前からみんな言ってるけど、全然なんないじゃん」
「ううん、なるんだよ。一階にね、すごい人気のドーナツ屋さんが入るの」
「ドーナツ屋?」
「1時間くらい待つの」
「そんな一時間も待つようなドーナツ屋なんてあったっけ? ……なんてとこ?」
「……内緒」
彼女はくすくすと笑い、両手をテーブルの上で組んだ。
「制服、いいよね」
彼女が俺を見つめて目を細めた。
「いいって何が?」
「よく似合ってる」
「え? 皆同じじゃん」
「そうだけど」
「……」
「私は? 制服、どうかな」
「どうって、いいんじゃない。……可愛いし」
思わず言ってしまってから目を逸らす。別に制服のことじゃない。初めて会った時からずっと可愛いって、そう思ってた。
今日、告白されたんだ。ずっと好きだった目の前の彼女に。そう思った途端身体の奥が熱くなり、また終わりの無いせめぎ合いが心の中で始まる。
「……ありがとう」
彼女は恥ずかしそうに笑って、目の前に置かれたクリームソーダをくるくるとストローでかき混ぜた。炭酸がぶくぶくと泡立ち、零れ落ちそうになったのを慌ててストローで飲んでいる。俺も小さい頃はよく頼んだっけ。最近はファミレスで見かけなかったから珍しく感じる。
「ここ、美味しいよね」
「どこ?」
「アイスと氷がくっついて、ちょっと固まったとこ」
「あ、わかる。俺も小さい時から思ってた」
彼女とはこういう話をメールでもよくする。
「楽しいね」
木下さんはクリームソーダを見つめて言った。
「……うん」
たいした事を話した訳じゃない。けど俺も、ただこうして一緒にいるだけで楽しいと感じていた。
彼女と堂々と付き合えたら、こんな感じなんだろうか。他愛無い話をして、彼女に目を向けて、笑って寄り添って。誰の目も気にしないでいられたら……きっと幸せだよな。こんなこと思っても、仕方が無いのかもしれないけど。
「お昼休みに言った事、気にしないでね」
その言葉に、コーヒーを持つ手が止まる。
「ただ言いたかっただけだから。彼女になりたいとか、付き合えたらいいとかそういうんじゃないの。あの時決めた事……わかってるから」
もう一度カップを持ち直し口へを運ぶと、彼女が口にする甘い匂いが届いていたせいか、いつもより苦く感じた。
「明日もまたこうして話してくれる? あと二回だけなの。二回で、もう二度とそんなこと言わないから」
「何で、二回?」
「……」
彼女は俺の質問に答えない。ストローをクルクルと回して、ただじっと緑色の泡を見つめている。
「明日の放課後……私の降りる五つ先の駅の改札で待ってる」
「五つ先?」
「そこなら学校の子、誰も降りないでしょ?」
「……」
「じゃあ、楽しみにしてるね。今日は本当にありがとう」
そう言って彼女は自分の分の金をテーブルに置き、一人店を出て行った。
あと、二回。
何度もその言葉を頭の中で繰り返す。
彼女の傍にあった緑の泡にまみれて取り残されたグラスを見つめ、さっきまでの彼女を、ひとつひとつ思い出していた。
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